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#039|ゆるしゆるされて生きる

GPT4を楽しみに課金したのだけど動いてくれない時が多くてつらみなnote365日連続投稿チャレンジ39日目。自分のバランス(調子)を崩してからの回復を経て、あらためて「どう生きたいのか」について考えた。

「人間」の時間を過ごす

日々AIで無限に高速で文章が生成できるようになっていくさまを見ていて、いちいちわざわざ時間をかけて、このようなブログ - 自分と向き合って内面を絞り出そうとするようなブログ - をやっている意味や価値について、ますます確信が深まっている。

この内容はAIには代替できないし、仮にできたところでなんの意味もない。結果でなくプロセスに価値が宿る営みだからだ。

だからこそ「真摯に書こうとすること」だけは妥協してはいけない。迷いや苦しさや落ち込みなど、最近はネガティブベースの記事が続いていたが、これを出さないように綺麗にまとめたいと何度思ったことか。しかし、オブラートにつつむのなら途端に「AIでいい」ことになり、そもそもこのブログを書く意味もなくなる。

自分の血で言葉を書けるようになりたい、そしてそれを世に出していけるようになりたい私にとって、時短や効率化、役立つかどうか、美しいとか読みやすいとかわかりやすい、といったことは価値のある指標ではない。逆に普段、そういうところでばかり動いている自分を捨てる努力をここではしているのだ。

この試みは還元されて、結果的にはそちら側の、客観的な価値が大切な発信や活動のクオリティも上がると思うが、"こちら側"の活動を忘れてしまうと「人間」を失うことになると感じる。いかに非効率で無駄なことを、他者比較を乗り越え、納得して真面目にやれるか。これが豊かさであり、AIが世界を席巻した後に残る貴重な「人間」の時間だ。この時間を生きるには、「自分」を理解し、ゆるし、受け入れられている必要がある。


「書くことで回復する」という初体験

最近はネガティブベースの記事投稿が続いていて、そのような記事が出るのはそもそも気持ちがネガティブだからなのだけど、さらにそうして記事を書くことで影響が増幅して返ってきて、自分をどうしようもなく「無価値」と感じてしまう錯覚に囚われていたが、昨夜の記事を書くプロセスを経て正気に戻り、通常モードとなった。

昨日の記事の冒頭にも書いたことだが、昨日は「記事を書く」というプロセス自体が結果的に自分を復活させる形になり、これがとてもいい経験だった。

最初はもう本当に何も書きたくなく、その気持ちと向き合い続ける時間を過ごし、自分に問いかけ、自分の内から解決策を取り出すことができた上、それを他者視点を加えて還元するように記事を構成できたこと。

(これが結果としてきちんと他者に伝わるように表現できたかどうかは質の問題で、そこは今は気にしないことにしている)

これは「書く」ことによって得られた新しい体験だった。これが「書いて癒やされる」ということだろうか。とても「癒やし」と呼べるような優しい感じではなかったけれど、いずれにせよ昨日の夜の記事を書くことで完全に復活した。(むしろ強くなった感)


「ゆるしゆるされる世界」に生きたい

時には自分を疑い、壊さなければ大きな変化は手に入らないが、やりすぎると支障をきたす。その試みのバランスを取ることは日常生活を送る上で大切なことだが、しかし渦中にある自分が「今バランスが崩れている」と気づくことも難しく、また、バランスを取れる程度の崩し方でクリティカルなものが得られるだろうか?という点からも、バランスはあまり気にせずに崩していっていいのかもしれない。※心を病むほど崩すのはもちろんよくない

少なくとも、「そういうことに気を遣う"ことしか"できない」自分は崩したい。気を遣わないことも、遣うことも、自由に選べる上で遣えるのが本物だ。

関係者各位に配慮しバランスが崩れないようにやっていくことは重要だが、関係者各位に任せて自分はバランスを崩してしまうのもいい。それも他者に甘えられる力であり、自分への許しであり、人間臭さだと思えるようになった。これは成長で、同時に自分と他者への信頼でもある。

私はもっと命や世界を信じる勇気を持って、手放しで笑い、何も気にせず泣いていたい。1人では生きていけないことをポジティブに受け入れて、完璧でなくてもいいこと、迷惑をかけてもいいこと、かっこわるさやできなさなども、どんどん受け入れ、それを含めて表現していきたい。これまでの「自分をゆるせなかった世界」から「ゆるしゆるされる世界」へ移動する、という感覚。

色々な心の傷から生まれた「本来は不要な気遣い」を手放した上でがんばれたなら、それこそが健全な努力であり、そういう努力にこそ全力で「がんばれ!」と言えるものだろうと思う。

私は、互いにゆるしゆるされる世界に向かって、懸命に生きる人たちと共に生きていく。


御礼

この数日の記事を読んで、心あるメッセージをくださった方々。読んでくれている有り難さ、感じられるやさしさ、わざわざお時間をかけてくれた心遣い、ありがとうございました。また、メッセージは送らずとも心の中で気にかけてくださった方にも感謝します。

引き続き書いていきます。


✑69分|2100文字


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