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【BFC4応募作】草叢

 ヒトシくんは飛んでいったボールを追いかけて草むらに入ったきり行方不明になった。みんなが見ている前で魔法のように消えてしまって、どこを探しても見つからなかった。
 時間が経つと探す人は減ったが、それでも何年経っても彼を探している人はいた。だから、すっかり大人になった雫がスタバのコーヒーを片手に軽を運転しながら、道端にヒトシくんらしき人が普通に歩いてるのを見かけたとき、彼女は思わずコーヒーをフロントガラスに吹いてしまった。雫が大きくなったのと同じだけヒトシくんも大きくなっていたが、目と目がやけに離れ、額の張り出した特徴的な顔は昔のままだった。雫は少し先にあったコンビニの駐車場でUターンすると、慌ててヒトシくんを追った。ワイパーをかけたが、コーヒーがついたのは内側なので意味がなかった。
 ヒトシくんは見当たらず、雫は行く手に現れたホームセンターに車を停めた。あれから十七年、事件当時にはまだ影も形もなかったこのホームセンターでは、地元の同級生の五人に一人が働いていた。ヒトシくんが行方不明になった空き地も、何年も前に潰されてチェーンのうどん屋になっていた。
 ヒトシくんの家族はもうこの辺りには住んでいなかった。雫は、彼の母親が地元の広報誌にUFOの目撃証言を寄せたときの後ろ姿の写真入り記事を読んだことを鮮明に覚えていた。奇妙な光が西の空にくるくると何時間も浮かんでいたのです。ほとんどの人がそれはパチンコ屋が空に向けて放つサーチライトだと知っていたが、なぜか取り上げられたのだ。母親がメンタルをおかしくして一家は離散したと噂されていた。
 一階フロアをうろついていると、吹き抜けのところでエスカレーターで上の階に向かうヒトシくんを見つけた。雫はその後ろ姿を追って、四階の東棟を占める家具売場にやって来た。そして、奥まったところにある子ども用の勉強机とベッドのユニットを展示した一画で彼を見つけた。
 ヒトシくんはロフトベッドの下のカーテンがかかった秘密基地めいた空間で、うつろな瞳で座っていた。中に入ってみると、大人には少し窮屈だが、人の目が届かないせいか不思議と落ち着いた。商品は十四万円もすると表示が出ていた。
 何から聞けばいいのかためらっていると、ヒトシくんがいきなりキスをしてきた。驚いて押し返すと彼はぼんやりした顔にはてなマークを浮かべるばかりで、雫はとにかく事情を聞いてみることにした。
 ヒトシくんがすんなり明かしてくれたところによれば、彼はここで客を取って日銭を稼いでいるのだという。どうやら雫を客と勘違いしたようだった。十七年前のあの日、彼は見知らぬ男に誘拐され、それから何年も監禁されて性的虐待を受け、こんな風にしか生きられなくなってしまったのだ。客は女性も男性もかまわずで、ここで行われていることについては店側には気づかれていないらしい。
 雫は悲しい気持ちになり、今すぐ彼をこんな生活から救い出さなくてはと強く思ったが、さっきのキスで体が疼きはじめていた。ヒトシくんの目は相変わらずうつろだったが、高まりを見透かされているのを感じた。案の定、彼が再び迫ってくると、雫はほとんど抵抗もできずに押し倒された。
 ヒトシくんは手練れだった。雫は誘拐したのは誰なのかとか、今までどこにいたのかなどと往生際の悪い質問を口にしたが、手品のように鮮やかに下着を脱がされ、陰部をそろりとひと撫でされると頭の中が真っ白になってしまった。
 ヒトシくんは、雫の股間に顔をうずめ、まるでうまい棒の袋の内側を舐めるときのように一心不乱に陰部を舐めはじめた。その舌使いはそれこそ子どものときのままのようなのに、不思議と巧みでツボを心得ていた。
 舌が陰部をかき回しながら少しずつ中に入ってきた。雫は身悶えし、ヒトシくんの顔を見ないようにして快楽に没頭した。
 ふいに呼ばれたような気がして薄く目を開けると、自分がどこか外に立っていることに気がついてあっとなった。もっとされていたかったのに、外だった。見覚えのある風景だと思うと同時に、ボールが頭を越えて草むらに飛び込んでいった。
 十七年前の、あの空き地だった。一緒に遊んでいた子たちが、一番近くにいる雫がボールを取りに行くことを期待するようにこちらを見ていた。雫は促されるようにして草むらに入った。
 草は頭まで埋もれてしまうほど丈があった。足元を確かめながら草をかき分けるようにして探していると、また誰かの声がしたような気がした。
 立ち止まり辺りを見回すものの、誰もいない。振り返ると、視界いっぱいに生い茂る草が壁のようになっていて、他の子たちは見えなかった。雫は再び地面に視線を落とし、ボールを探した。こっちにおいで。今度ははっきり聞こえた。慌てて声の方を振り向いたが、姿はやはりどこにも見当たらなかった。
 こっちだよ。
 ボールのことはもう考えられなかった。雫は心のどこかでダメとわかっていながら、声に引き寄せられていった。誰なのか。なぜ呼ぶのか。どうしても気になって仕方なかった。声の方へ行けば、何かいいことが起こるのではないかとさえ思った。
 他の子たちは誰も草むらに入ってこなかった。背の高い草を声のする方へとかき分けていくと、目と目の離れた大人の男がしゃがみ込んで、雫を見て表情のないまま笑っていた。

いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。