微熱の中身
ただいま、副鼻腔炎を発症してしまいたいへんつらい状態です。
インフルエンザだとかに比べると身体は動かせるものの、ずっと調子が悪いというように、頭痛や胸のあたりのモヤモヤだとか、少しばかりの神経的な痛みだとか、咳だとか鼻水だとか、微熱が下がらないだとか、ああ五月蠅い。
考えることもできるので、「何かを書き記そう。体調悪いし。」というよくわからない理論で書き始めました。多分変わりのない、いつもの文章になるでしょう。
副鼻腔炎というのは厄介だ。市販の薬は効いた試しがない。風邪薬を数日飲もうが改善しなくて、耳鼻科にかかることでやっと改善の兆しが出てくる。「ちくのう症の方に!」なんてうたい文句の薬も、結局改善の手助けにもならなかった。
一番効くのが鼻にノズルを突っ込んでもらって、ズズズーと膿を吸い出してもらうこと。あとは鼻に霧状の薬を吸わせること。あれが一番いい。でも、医者に行かなければならないことがとても厄介だ。あの膿を吸い出すものは、赤ちゃん用の鼻水吸引機とかで何とかならないだろうか。
37歳のおじさんが鼻も出せずに苦労している。
体調不良になったのは6月終わり頃以来。そんなに体調を崩していく人間でもなかったので、ここ最近のストレスだとか不摂生だとか、そんなものが時間をずらしてやってきたに違いない。
ストレスが原因って、とても都合がいいよなと思う。ノーストレス・ハッピーライフ!みたいな人は少ないだろうから、人類皆リスクを抱えて生きているんだろうな。動物だって生育環境なんかでストレスを抱えてしまうという事実もあるわけだし、みんなストレスで体を壊してしまうんだろうな。
常態的にストレスがあるなら、もうそもそも身体が慣れてくれたらいいのにと思うがそうもいかない。自分が抱えているストレスは一生なくならないような気もするし、こいつと仲良く手を繋いで付き合うしかないんだろうな。せめて病気にならないくらいにしてくれよ。
付き合っていくといえば、色々な環境だとか自分が招いた負債のような荷物達がいる。切り捨てようにも切り捨てられない。過去は変えられないし、過去の自分が連れてきたものが私と一緒に居るだけだから。
こうしたもの達のことを考えると、切り捨てたい。もうなくしてしまいたい。と考えることも少なくない。けれど、そんなに都合よく捨てられないもので、しっかりと自分で彼らとの別れを演出してやらなくてはならない。
トラウマを克服したので、買い替えたので、代替品が見つかったので、そうして別れが演出されていく。演出が見つからないものはそのまま連れていく。もしかしたら、この荷物は代替品のないものかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えながら手を引いて歩く。
自分もいい大人なので、そんな風にしながらもいい付き合い方を考えようとしている。たとえば、浪費してしまうタイミングがあれば、「本当に必要なものにだけ」とか、ルールを作ってあげる。もちろん、浪費なんてしないに越したことはないけれど。ちなみに、私は浪費癖はそんなにない。と思っている。
そもそも、そのもの達は負債でも何でもないかもしれない、と考えてもいる。悪いようにとらえてしまうと、ずっと悪いものになってしまうからね。過去の私が残したものなのであれば、やむを得ないものであったり、とても大事だから残したものなのかもしれない。そう考えると遥か昔に抱いてしまった嫌な気持ちだとか、そういうものも一種の財産なんだろうな。
財産だと自覚したわけではないけれど、こういう訳のわからないものたちが自分の周りにちゃんといて、自分のために存在している。嫌だなあと思うものもたくさんあるけれど、全部と手を繋いで歩くしかないんだろうね。
ストレスはあんまり連れて歩きたくないけど、少しの辛抱なんだろうな。
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