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「自己啓発なんてするな」という自己啓発

最近、自分のストレスの種の一つを見つけた。

この時代の”アンチ自己啓発”の空気感だ。

どちらかというと、僕は自己啓発をする側の人間だと思う。

中学生の時から「人に好かれる35の習慣」みたいな本を読んでたから、
自己啓発歴もそこそこ長いと言っていいだろう。

その本が兄の友達に見つかって揶揄されてから、
ずっと生きにくかったのかもなぁ…

自分が抵抗のあること、
できないことがあるとそれについてずっと考える。
人にはなるべく会うようにしてるし、
読書もよくする。
筋トレだって手を抜いてはいるが続けていたし、
今こうやってnoteを書いてるのだって、
自己啓発にあたるだろう。

それだけにうっすら流れている世の中のこの空気感が、とても生きづらい。

そのことに気づいた時は、
目から鱗が落ちたような気分だった。

と、同時に自分の生きづらさに悲しくなって、
家で一人シクシク泣いてしまった。

なんで上手に生きていけないんだろう。

僕が少しでも、自己啓発的な話をすると、
「考えすぎ」や「そんなのやめときな」と
やたら上から物を言われる世の中に、
いつの間にかなっていた。

正直、自分の本心を隠して、
みんなとそれっぽく過ごすのは楽じゃない。

何で俺が自分のことを考えているだけで、
痛いヤツを見る目で見るんだろう?
何で自分のことばかり、
考えていてはいけないんだろう?

あまり人様にどうこう言われるのが、
得意ではない性分なので、
最近は頭がそれでいっぱいでも、、
何も考えていないフリをしたり
アンチ自己啓発のフリをして、
一緒に自分みたいな人間を揶揄したりしてる。

人に投げた石は、当然自分にも投げ返される訳だ。

僕が隠れキリシタンなら即打首だろう、
隠れ自己啓発者でまだ良かった。

いつのまに、
自己啓発はこんなに、
地位が下がってしまったのだろうか。
みんな自己啓発の何が、
そんなに気に食わないのだろうか、

そもそも「自己啓発って何だろう?」と思って、
検索してみた。

ということらしい

あまり、自分を高みに、
と思って自己啓発してるつもりはなかったので、
何だかしっくりこないが、
そういうことらしい。

でも、これだけじゃ、
全然嫌われる理由も原因もわからなかった。

僕が、ただただめんどくさい人間だけな気がする。

みんな今より良くなりたいと思って、
生きていないのか。
ポケモンを捕まえたら進化させることは、
当然じゃなかったのか。

そういえば、
昨今あまり聞かなくなった意識高い系。

ヤツらが諸悪の根源なんじゃないかとも思う。

僕も確かに、胡散臭い綺麗事ばかり言うやつや、
覚えたてのカタカナ言葉を、
ドヤ顔で言ってくるやつはちゃんと鼻につく。

弁解させてもらうが、僕はそうじゃない。

考えてみたけど、僕の自己啓発のコンセプトは
「自分が少しでも生きやすくなりますように」だ。

目指す方向は確かに今よりも上だが、
自分をマイナスからゼロに持っていきたい、
そんなニュアンスに近い。

天に向かって梯子は伸ばしていない
自意識というドロドロな沼から、
息が切れる前に何とか抜け出したいのだ。

人よりも考えすぎてしまうし、
被害妄想も自意識も強い。
ふと言われた一言を平気で、
何年も覚えていたりするし、怒ってたりする。
人と比べては、
自分に足りないものばかり、
目について落ち込んでしまう。
成功しても、
俺はこんなもんじゃないって認めないくせに、
失敗した時はこの世の終わりみたいに落ち込む。

そんな生きづらそうで可哀想な自分が、
何をきっかけにそう思うようになったのか、
そんな自分に新しく何をしてあげたら、
その思いを払拭してあげれるのか。

僕の、自己啓発はそれの繰り返しだ。

自分のことを、自分一人でいつも考えているから
突然、突拍子もないことをして人に驚かれたり、
人様が嫌がるようなことを自らに課すから、
生粋のマゾと言われることもよくある。

ただ、全ては可愛い自分を、
いつか生きやすい世の中に置いてあげたいから

いつか、自分の全ての自己啓発が終わったら、
その時は、人の話をたくさん聞いてあげて、
誰よりもリラックスして、
全部を肯定しながら生きていきたいと思う。

そんな日が来るのが楽しみで、
今日も悶えながら、
イライラしながら考え事をしている。

僕は、誰よりも往生際が悪いのか、
はたまた意識が高いのかもしれない。

これからも隠れ自己啓発をやめるつもりはない

いつか、「自己啓発なんてするな、辛いだけだよ」
って誰よりも幸せそうな顔で、
みんなにそう言ってやろうと今日決めた。






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