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音楽家と歴史・社会 -23: ショパンの伝記を書いたリストの想いとは?

主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。前回に引き続き、超絶技巧のピアニストで、かつ、ロマン派音楽の作曲家のフランツ・リストの音楽と生涯をたどります。おまけとして、私がピアノ演奏を趣味にしたきっかけも書きます。

本日放送された「題名のない音楽会」ハロウィンSPで、金子三勇士が弾いたリスト作曲「死の舞踏-『怒りの日』によるパラフレーズ」は圧巻だった。ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」に勝る迫力とロマンを見事に表現。リストのピアノ曲をレパートリーとする金子三勇士については、是非、前回の投稿「フランツ・リストの偉大な音楽人生」を参照して頂きたい。

フランツ・リストは、このような超絶技巧を必要とするピアノ曲で有名だが、実は、フレデリク・ショパン(以下「ショパン」と表記)から多大な影響を受けていた可能性がある。少なくとも、ショパンの熱烈なファンの一人であったことは断言できる。
「パリでのショパンの活躍と「別れのワルツ」」で記載した通り、1832年2月26日、ショパンのブレイエルサロンでの演奏会の頃に2人は出会った。ショパンは、リストの一つ年上で、2人がすぐに意気投合したのだが、友人としての関係は長続きしなかった。性格や気質が根本的に異なっていたからだ。
ただし、リストがショパンの極度に繊細な音の響きや和声に敏感だった、と考えてよいだろう。(エヴェレット・ヘルム著・野本由紀夫訳「リスト」より抜粋)

1852年、リストは、3年前に死去したショパンに関する長大な論文「フレデリク・ショパン」を出版した。事実上のショパンの伝記の草分けである。その章立ては以下の通り。(彩流社刊の八隅裕樹による訳書から抜粋) 
 フレデリック・ショパン-その情熱と悲哀
 第1章 ショパンの音楽とその様式
 第2章 ポロネーズ
 第3章 マズルカ
 第4章 ショパンの演奏
 第5章 芸術家の生活
 第6章 ショパンの生い立ち
 第7章 サンド夫人
 第8章 ショパンの最後 

この伝記は、ペダンティックでロマンに満ち溢れているが、実は、読むのに根気がいる。
リストは、音楽作品とともに膨大な著作物を残したが、その多くが優秀な女性との共同作業によるものと考えられている。具体的には、最初の著名な愛人のマリー・ダグーと、その後の愛人となったカロリーネ・ヴィトゲンシュタイン公爵夫人の二人が、リストの口述を文学的に表現(勿論同時期ではない)したらしく、ショパンの伝記は、後者(カロリーネ)が記述した可能性が高い。

ただ、「第7章 サンド夫人」において、「ジョルジュ・サンドは、ある音楽家から何度もショパンのことを聞かされていた」の記述は、ショパンとジョルジュ・サンドを結び付けたのは、リスト本人であるとも読めるのだ。これはリスト自身による告白ではなかろうか。(投稿者である私の推測)
事実としては、1834年に、リストがジョルジュ・サンドと知り合い、同時期にマリー・ダグーとの愛人関係に入っている。ショパンがジョルジュ・サンドと親密な関係になったのは、1838年である。

さて、リストは、ショパンの伝記の発表の前後に、ピアノ・ソナタロ短調を完成させるとともに、以下のショパンを連想させる形式の名曲を立て続けに発表している。(彩流社刊の八隅裕樹による訳書から抜粋)
・巡礼の年 第1年(1848~1855年)
・コンソレーション(1849年~1850年)
・演奏会用大独奏曲(1849年~1850年)
・華麗なるマズルカ(1850年)
・愛の夢(1850年)
・2つのポロネーズ(1850年~1851年)
・超絶技巧練習曲(1851年)
・パガニーニの主題による練習曲(1851年)

このうち、最も甘い旋律で、ショパンの楽想を思わせるは、「愛の夢」サール番号541の第3番変イ長調ではないだろうか。もともと、1845年に歌曲「おお、愛しうる限り愛せ」として作曲したものを、リスト自身が1850年に編曲したものである。
実は、私は小学生の時に、この曲をテレビで聴いて夢中になったのだが、数年間、曲名が不明であった。中学2年生の時に曲名がわかったので、母に頼んで楽器店に「新興ピアノ楽譜」を買いに行ってもらった。フラットが4つもあり、中盤に2回も小さな音符で細かく書かれている難解な箇所(当時は「カデンツァ」という概念を知らなかった。)に驚いた。
何とか独力で練習し、中学校卒業の直前のある日の昼休みに、同級生の一人を音楽室に誘い、前半部分だけを弾いて聴かせた。そして、ある提案を行ったのだが、数日後却下されてしまった。最初のカデンツァまでたどり着かなかったからだろうか?

私が中学生の時に、母に買ってもらった楽譜



さて、リストが、ショパンを深く尊敬し、遠くから見守っていたことは、伝記を少しでも読めばわかる。しかし、リストは、円熟期から晩年における自身の神秘的な楽想に、ショパンがどのように影響したのかは、語らなかった。
ロマン派音楽の初期から中期にかけての2人の天才の楽曲を鑑賞するのに加えて、それぞれのカップルで人生を謳歌していたかもしれないと想像するのも楽しい。


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