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撮りたい写真がわからないとき

撮りたい写真がわからない。自分の個性とか、オリジナリティとか、よくわかんない。適当に花とか、風景とか、たまに人を撮るかなぁ...なんて人は結構いると思う。

よく、写真教えてと言われる。その度、ぶっきらぼうに「たくさん撮れば勝手にうまくなる」としか言わない。教えてあげられるモノならいくらでも教えてあげたいが、相手も軽い感じで聞いて来るので、ディープな話は求めていない、面倒くさいとかではなく、うまく説明できない。

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私は「圧倒的な量を撮れ」と教わってきた。これは質より量、数うちゃ当たるということではない。(たまに当たるが...)

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シャッターを押すということは、そこに「何か」を感じたからだ。友人と遊んで楽しかった、花がきれいだった、恋人が愛おしかった、空が青かった、etc... 感じたことを人に伝えたいとき、絵描きなら絵を書くのだろうし、音楽家なら歌やメロディにするのだろう。それらと同じように写真家は写真を撮る。

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写真を撮るときは、その「何か」を探すところから始まる。道端の石ころ、前を歩く人の背中、光と影、遠くに見える山... いつ「何か」を感じるかはわからない。意識して探さないと当たり前のように去っていく。

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「圧倒的な量を撮れ」とはどういうことなのか、すべて練習なのだ。「何か」を探す練習、イメージする練習、カメラの設定や使い方も含めて、反射的に体が動くようになるまで繰り返し繰り返し。

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ここまでしても上手くいくことは少ない、それでも極稀に捕まえたイメージをさらりと人に見せる。苦労なんてしてませんよ、たまたまですよと... なんでかって?その方がカッコいいから。

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たくさん撮って、ある程度の量が集まったら、自分が納得のいく写真たちを、落ち着いて見返してほしい。それはあなたの心が反応した「何か」が集まっているはず。その「何か」たちが、あなたの獲得した個性であり、あなたが撮りたい写真なのかもしれない。

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