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「本の福袋」その19 『立川談志の正体』 2013年1月

 1月5日、朝の10時、ダメもとでローソンチケットの当日券予約専用ダイヤルに電話をかけた。「志の輔らくごin PARCO」の当日券を買うためである。一度目はツーツーと話中音が流れた。すぐに電話を切り、リダイアルボタンを押す。また、話中音。またリダイアルボタンを押す。すると今度は呼び出し音が流れた。まだ喜んではいけない。「残念ですが、今日の当日券はすべて売り切れました」と言われる可能性がある。しかし、この日は違った。「何枚ですか」という優しい女性の声が受話器から聞こえてきたのである。これは奇跡だ。
 「志の輔らくごin PARCO」のチケットはプラチナ・チケットである。インターネット上のオークションサイトでは通常2倍以上の価格がついている。 プレオーダーで申し込んでもなかなか当たらない。一般発売の日にはコンビニの多機能端末から申し込んでみたが、どの講演日も売り切れであった。会場の席数と公演回数から計算すると約1万人分のチケットがあるはずなのだが、噂では、一般発売日のチケットは数秒で完売するらしい。
 
 昔から落語には興味があったが、偶然テレビで落語番組を見ることはあっても、寄席や落語会に行くことはほとんどなかった。十年ほど前、iPodで落語を聴くようになり、インターネットで落語会のチケットを購入できるようになって、年に何回か、落語会に出かけるようになった。
 落語を収録したCDやDVD/ブルーレイディスクも販売されているが、音楽や映画と同じで、家でビデオを見るよりは、寄席や落語会に行ったほうが格段に落語を楽しめる。
 ただ、人気のある落語家のチケットはなかなか手に入らない。「志の輔らくごin PARCO」を含め、立川志の輔の落語会のチケットは即時完売である。上方落語だと桂文珍のチケットも競争率が高い。
 ちなみに、これまでで一番笑った落語はその桂文珍の「商社殺油地獄(しょうしゃころし あぶらのじごく)」である。タイトルは近松門左衛門作の人形浄瑠璃「女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)」のパロディであるが、内容は古典落語の「能狂言」を現代に置き換えたような新作落語である。この演目を初めて聞いた時には、笑い過ぎて、本当にお腹が痛くなってしまった。
 
 落語は、歌舞伎や文楽とは異なり、物語にあわせた書割や大道具、小道具は使わない。もちろん登場人物にあわせた衣装もない。使う小道具は扇子と手拭いだけ。扇子は食事の時の箸にもなれば、キセルにも、船をこぐ竿や櫓、武士の刀にもなる。手ぬぐいは財布や証文になる。
 さらに、落語は、一人で何人もの登場人物を演じ分ける。古典落語だと、殿様やその家来、長屋に住んでいる浪人、宿屋の主人、その泊まり客、大店の旦那や番頭、丁稚の定吉、横丁のご隠居、職人の熊さん(熊五郎)や八っつぁん(八五郎)、ちょっと知恵が足らない与太郎、吉原の花魁やおかみさんといった女性まで演じてしまう。
 話に引き込まれてしまうと、舞台の上に「ないもの」が見えてくる。ここがすごい。それは、小説を読んでいる時に、脳裏にさまざまな情景が浮かぶのと似ている。だから落語が好きなのかもしれない。
 
 さて、今回取り上げる『立川談志の正体』は、2代目快楽亭ブラックが、2011年11月21日に死去した立川談志への思いをすべてぶち撒けた本である。師匠への恨みや憎しみの中に屈折した愛情が見え隠れする。
 弟子から毎月上納金を取るという家元制度の話など、談志が非常に金に細かったというエピソードが多いが、談志のすごいところもきちんと書いてある。特に芸については、いいものはいいい、ダメなものはダメだったと評価しているところが素晴らしい。マスメディアが報道する談志とはちょっと違った談志像が描かれている。
 特に共感を覚えたのは、談志の「芝浜」は面白くないという意見である。世の中には談志の「芝浜」が最高だという落語ファンが山ほどいることは承知しているのだが、個人的にはまったく同意できない。最近も録画しておいた「芝浜」(昨年の大晦日にBSジャパンが放送したノーカット版)を見たが、まったく面白くないし、感動もしない。そもそも物語の中に吸い込まれていく感覚が生まれない。過度に感情移入したセリフを聞くと逆に白けてしまう。
 ブラックは「あっしは『芝浜』が大きらいだ。酒呑みが大好きな酒を呑むのを辞めたがために小市民的な幸せを得ましたなんて話のどこが面白いのか」(p.139)という。確かに「芝浜」自体はそれほど面白い話ではない。腹をかかえて笑える話でもないし、思わず涙がこぼれてしまうような人情話でもない。ただ、いい「芝浜」は、そこに江戸の浜辺や、貧乏暮らしをしている裏長屋が見えてくる。残念だが、録画した「芝浜」を見ていたら、有名だけど居心地の悪い高級料亭で食事をしているような気分になってしまった。
 
 【今回取り上げた本】
快楽亭ブラック『立川談志の正体 愛憎相克的落語家師弟論』彩流社、2012年2月、1600円+税

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