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「本の福袋」その8 『ビジネスで一番、大切なこと』 2012年2月

 今回はビジネス書を取り上げよう。ハーバード・ビジネススクールのヤンミ・ムン教授の『ビジネスで一番、大切なこと』、原題は邦題とはまったく異なっていて“Different”である。
 なぜ“Different”が「ビジネスで一番、大切なこと」になってしまったのかと不思議に思うかもしれないが、これはおそらく質問とその回答の関係にあるのだと思う。100%の自信はないが、たぶんそうだろう。「ビジネスで一番、大切なこと」は何かという問に対する回答が“Different”なのだ。
 
 経営戦略でもマーケティングでもライバル企業やライバル商品との「差異化、あるいは差別化(differentiation)」が非常に重要である。十分な差異化ができない商品は価格で競争するしかなくなり、利益の薄いあるいは利益の出ない商品になってしまう。もちろん低価格で競争優位に立つという戦略(マイケル・ポーターの戦略論で言えば「コスト・リーダシップ戦略」)もありえるが、それができるのは通常、スケールメリットを活かした低コスト体質を実現できる業界トップクラスの企業に限定される。
 
 マーケティングの世界においてもセグメンテーション(市場の細分化)、ターゲティング(ターゲット市場の選定)の次にポジショニングを考える。ポジショニングとは、そのターゲット市場における自社製品の立ち位置を決めることであり、それがライバル商品との差異化でもある。ビジネスにおいてポジショニングは非常に重要である。
 
 たとえば、レッドブル・エナジードリンクは、その主たる成分からみればカフェイン飲料である。炭酸も入っているのでコカ・コーラと同じ炭酸飲料として販売されていてもおかしくない。しかし、レッドブルのポジショニングはあくまでも「エナジードリンク」である。米国では、レッドブルは最初ナイトクラブやバーで販売された。価格はコーラよりはるかに高い。それでも「牛の睾丸が使われているらしい」とか「飲むバイアグラだ」とか根拠のない噂によって販売量を伸ばしていった。
 確かに、飲むとシャキッとするという人が多い。たぶんカフェインの効果だと思うのだが、睡眠不足でもレッドブルを飲むと元気になるという人もいる。少し癖のある味なので、馴染めないという人もいるが、その一方で手放せなくなってしまったという人もいる。ちなみにカフェインの含有量は250mlの缶で80mgなのでコカ・コーラの2倍程度で、濃い目のコーヒー1杯より少ない。カフェインの他にアルギニンやナイアシン、パントテン酸、ビタミンBが入っているが、これらはそれほどの量が入っているわけではない(例えば、アルギニンの量は120mgで、日常に食べる納豆1パックの数分の1にすぎない)。
 
 仮にレッドブルがコーラと同じカフェイン入りの炭酸飲料として販売されていたとすれば、たぶん激しい市場競争に巻き込まれ、数年で淘汰されてしまったに違いない。ちょうど1990年代後半に真正面からコーラ市場に参入したものの、健闘むなしく撤退することになったヴァージン・コーラのように。
 レッドブルの場合、カフェイン入り炭酸飲料とは「異なる」ジャンルの飲料、「エナジードリンク」というポジショニングを選んだことが、その成功をもたらした最大の要因なのである。
 
 すっかり話がそれてしまったが、この本のテーマは、その原題のとおり「差異化」にある。この本が最初に取り上げている問題は、最初は特徴のある商品も、時間とともにライバル商品と細かな違いしかなくなってしまうのは何故かという問題である。確かに、多くの企業が商品の差異化を目指しながら、改善・改良を続けていくうちに特徴のない同じような商品になってしまうことが多い。たぶん、パッケージソフトの分野でも同じようなことが起きているのではないだろうか。
これは、現代のマーケティングが陥っているパラドックスである。著者はハーバード・ビジネススクールの教授であるが、極めて分かりやすい文章で、その謎を解明していく。ただし、企業がどうすればよいかという回答は書かれていない。それはやはり読者自らが考えるべきことだからだろう。
 
 商品戦略やマーケティングに興味のある人にはお薦めの一冊である。
 
 【今回取り上げた本】
ヤンミ・ムン『ビジネスで一番、大切なこと』ダイヤモンド社、2010年8月

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