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Hotwired 第1回 「日本のソフトウェアに未来はあるか」 (2004年10月)

日常生活に入り込んだソフトウェア

 3週間ほど前、わが家のハードディスク内蔵型ビデオレコーダーがまた壊れた(1)。見終わった番組を消去した直後に「予期せぬエラーが発生しました」というメッセージがテレビ画面に表示され、まったく操作不能になってしまった。急いで取扱説明書を取り出してエラーメッセージ一覧を見ると、お客様相談窓口に電話をするようにと書いてある。日曜の午後だったが、電話はすぐに通じた。相談窓口の女性は、申し訳ありませんと丁寧にお詫びを言った後、「本体の電源スイッチを10秒ほど押しつづけてください。それでエラーは直るはずです。ただ、もしかすると録画済みの番組の一部が消えているかもしれません」と答えてくれた。幸いなことに勝手に消去されてしまった番組はなく、ビデオも正常に戻った。
 前回のトラブル時には修理に1週間ほどかかった上、録画した番組がいくつか消えてことを考えると、極めて軽症で本当によかった。
 間違いなく、今回もソフトウェアのバグ(不具合)が原因である。
 ソフトウェアが組み込まれた機器が、ソフトウェアのバグによって利用不可能になったり、異常動作をすることは珍しくない。2004年7月には発売されたばかりの某社のVHSも扱えるハードディスク内蔵型のDVDレコーダーにソフトウェアのバグがみつかったため、店頭在庫が回収されるという事件が起きている。録画した番組にタイトルを付けようとして、かな漢字変換を利用すると、あるタイミングで電源が切れるという不具合が発見されたらしい。これも間違いなくソフトウェアのバグである。このビデオを購入してしまった消費者に対しては、サービスマンを派遣して修理を行うか、修正用のソフトウェアを入れたCD-ROMを郵送するとメーカーは発表している。
 バグを修正するためのソフトウェアをCD-ROMで送るという方法がとれるのは、DVDプレーヤーがCD-ROMを読むことができるからである。たぶん、送られてきたCD-ROMをDVDを入れるトレイにいれて決められた手順にしたがって操作すると、修正用ソフトウェアを読み取り、組み込まれたソフトウェアの不具合を修正する仕組みになっているのだろう。
インターネットに接続できるDVDプレーヤーもあるから、いずれ、ネット接続可能なDVDプレーヤーは、ネットから修正用ソフトウェアをダウンロードしてバグを修正したり、最新のソフトウェアに入れ替えたりすることになるに違いない。たぶん、インターネット接続が可能な情報家電も同じである。
 しかし、現時点では、ネット経由でソフトウェアのバグを修正できるのはパソコンくらいで、ほとんどの家電はCD-ROMを読み取ることもできないため、組み込まれたソフトウェアにバグが発生すると、機器を回収するしか方法はない。実際、携帯電話やデジタルカメラなどが、ソフトウェアのバグのために回収されるという事件はいくつも起きている。

社会のソフトウェア依存度は高まっている

 ソフトウェアが組み込まれた機器は、DVDレコーダーや携帯電話、デジタルカメラといった比較的新しい機器だけではない。身の回りを見渡してみれば、家庭内にある多くの家電もまたソフトウェアが組み込まれている。たとえば、エアコン、炊飯器、洗濯機、電子レンジ、多機能電話。こうした機器も組み込まれたソフトウェアによって制御されている。
 そうそう、自動車もソフトウェアによって制御されている。いや、自動車はハンドルを握っている自分がコントロールしているのだと反論する読者もいるだろう。しかし、それは正しいとは言えない。最近の自動車には60個程度のコンピュータが搭載されている。単純な機能のものからパソコン並みの機能を持つものまで、その種類はさまざまである。エアバッグ、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)、パワーステアリング、カーオーディオ、カーナビ、エアコンなどはみんなコンピュータによって制御されており、そのコンピュータは組み込まれたソフトウェアの指示どおりに動作している。そして、エンジンですらコンピュータ制御になっている。アクセルの踏み込み具合、ギアのポジション、エンジンの温度、走行速度などの情報を総合して燃料の噴出量や吸入する空気量、点火のタイミングが決められているのである。
 つまり、ドライバーが自動車を直接コントロールしているのではなく、コンピュータを介して自動車をコントロールしているのである。したがって、自動車がドライバーの意図に反した動きをする可能性は否定できない。たとえば、組み込まれているソフトウェアにバグがあれば、あるタイミングでアクセルを踏み込んでもエンジンの回転数が上がらないことだってあり得る。もちろん、メーカーは十分にソフトウェアをテストし、そんなことがないように万全の体制をとっているとは思うのだが。
 ソフトウェアによってコントロールされているものは身の回りの機器だけではない。電話やインターネットなどの情報通信ネットワークはもちろん、銀行などの金融機関のネットワーク、電力、ガス、新幹線をはじめとする交通機関など多くの社会インフラは、ソフトウェアによって制御されている。
 こうしたソフトウェアにバグがあれば、さまざまなトラブルが起きる可能性がある。たぶん、システム障害のために銀行のATMでカードが使えなかったり、振込みができなかったという経験を持っている読者もいるだろう。そんな経験はないという人も、そんなニュースを新聞やテレビで見た記憶があるに違いない。
 最近では、2004年9月に紀伊半島沖で地震が連続して起きた際、システムの不具合が原因で気象庁の津波観測情報システムの一部が作動しなくなり、1時間ほど観測情報を地方自治体や防災関係機関へ送信できない状態が続くという事件が起きている。
 また2004年3月には、国土交通省の航空路レーダー情報処理システム(RDP)がソフトウェアのバグのために2時間以上停止し、100便以上の飛行機が30分から3時間遅れるなど、空のダイヤが大幅に乱れるという事件も起きている。航空関係では、1年ほど前にも飛行計画情報システムに障害が発生し、週末の空の便が大混乱したことがあった。
 このように、身の回りの機器から社会システムまで多くの機器やサービスはソフトウェアによって支えられており、このソフトウェアに内在するバグが顕在化すると様々なトラブルをもたらすことは事実である。つまり、この社会はソフトウェアに依存しており、その依存度はどんどん高まっている。

日本のソフトウェア産業は競争力がない

 社会のソフトウェア依存度が高まっているということは、それだけソフトウェアの重要性が高まっているということでもある。しかし、残念なことに重要であるはずのソフトウェア分野における日本の国際競争力は極めて弱い。
 国際競争力を計る指標にはさまざまなものがあるが、(輸出額—輸入額)/(輸出額+輸入額)で定義される貿易特化指数でみると、ゲームソフトと組み込みソフトを除くソフトウェアの貿易特化指数は2000年で-0.98である。この指標は+1と-1の間に収まり、-1に近いほど競争力がないと判断される。したがって、日本のソフトウェアはまったく国際競争力がないことになる。もっとも、こんな指標を持ち出さなくても、日本のソフトウェアの輸出入額を見たほうが直感的に分かるかもしれない(図表1参照)。2000年のソフトウェアに関する日本の輸出額はわずかに90億円であり、9189億円もある輸入額の1%弱しかない。
 おそらく、これには次のような反論があるに違いない。「パソコンのOSやワープロソフト、表計算ソフトのほとんどが米国製なのだから当然の数字だ」という反論である。
 しかし、図表2を見ていただきい。これは1995年と2000年のソフトウェア輸入額を種類別にみたものであるが、最も伸び率が高いのはカスタムソフトである。つまり、構成比をみれば、OSなどのベーシックソフト、ワープロや表計算などが含まれるアプリケーションソフトの方が大きいが、輸入額が一番伸びているのは受託開発型のソフトウェアなのである。
 こうした数字は「外国のソフトウェアに比べて日本のソフトウェアの品質や性能が著しく劣っている」あるいは「同程度の品質・性能であれば日本のソフトウェアは価格が高い」ということを意味する。
 つまり、日本のソフトウェアは設計や品質管理が悪くて粗悪品になっているか、ソフトウェア産業における労働生産性が低くて割高なものになっている、あるいは両方だということになる。

海外アウトソーシングの増加

 受託開発型ソフトウェアの輸入が増えているというのは、ソフトウェア開発を海外に発注している企業が増えているということであり、言い換えれば、海外へのアウトソーシングが増加しているということである。この海外アウトソーシングの増加という問題は、日本のソフトウェア産業の未来を考える上で避けては通れない。
 近年、インド、中国などがソフトウェア産業を重要産業と位置付け、その育成に力を入れている。インドでは多くの米国企業がソフトウェア開発を行っているし、日本でも中国の企業にソフトウェア開発を外注したり、現地にソフトウェア開発拠点を持つ企業が増えている。
 企業がソフトウェア開発を海外アウトソーシングする最大の理由は、開発コストを削減できるからである。たとえば、国内であれば年収800万円クラスのソフトウェア技術者が、インドでは200万円以内で雇える。単純に計算すればコストは4分の1で済む。ただ、実際には直接経費のほかに、海外企業選択に必要な経費、業務移行のための経費、コミュニケーションに要する経費など間接的な経費が増えるため、賃金格差どおり経費が安くなるわけではない。
 インドや中国のソフトウェア技術者の賃金も徐々に上昇しているとは言うものの、依然として格差は大きい。この賃金格差があるかぎり、海外アウトソーシングは増加していくだろう。
日本より早く海外アウトソーシングが進んだ米国では、この海外アウトソーシングが重要な社会問題になっている。海外アウトソーシングの増加が米国内の雇用に悪影響を及ぼしているからである。米調査会社のフォレスターは、2015年までにサービス業において330万人の雇用が海外に流出し、そのうち50万人がソフトウェアとコンピュータ・サービス分野だと予測している(2)。いずれ日本でも海外アウトソーシングが社会問題化するかもしれない。
ちなみに、米国の海外アウトソーシング先で最も重要な国はインドであるが、日本の場合は中国である。日本の業界団体が調査した結果によれば、日本のカスタムソフトの輸入額に占めるインドの割合は1割弱であり、中国が約5割を占めている(図表3参照)。

日本のソフトウェアのために何をすればよいか

 ある研究会で、この問題について議論した時、インドや中国に優秀なソフトウェア技術者がいて、日本との間に大きな賃金格差があるなら、企業がソフトウェア開発の海外アウトソーシングを積極的に進めるのは当然のことだという意見をいただいた。確かに、企業経営者の立場に立って考えれば、当然の意見だと思う。
 しかし、本当にそれでよいのだろうか。インドや中国は、ソフトウェア産業を国家にとって重要な産業であると位置づけ、積極的に優秀なソフトウェア人材を育成し、ソフトウェアの輸出を増やそうとしている。このまま問題を放置して何の対策も講じなければ、日本のソフトウェアは少しずつ、しかし着実に衰退していくことになるだろう。

 日本は天然資源に乏しく、耕地面積も少ない。しかし、十分に教育された人的資源には恵まれている。ソフトウェア開発に必要な設備はコンピュータとネットワークだけである。コンピュータに関する基本的な知識とプログラミング能力、開発対象となる業務や機器に関する知識を備えた人材さえいれば、ソフトウェアの開発はできる。鉄鉱石や原油のような原材料を輸入する必要もなければ、プラントや工作機械もいらない。ソフトウェア開発には、創意工夫と緻密さが要求されるが、それは日本人の得意とするところである。おまけに、ソフトウェア産業は、高い付加価値を生み出せる産業でもある。
 これほど日本に適していて重要な産業を衰退させてしまってよいのだろうか。

 この短期連載では、日本のソフトウェア産業が抱えている問題点を指摘し、次の3つの提案を行う。

 第1は、日本のソフトウェア産業界にパラダイム・シフトを起こすことである。現在、ソフトウェア開発で用いられている手法のほとんどは欧米から持ち込まれたもので、欧米的な合理主義(事前合理主義)に貫かれている。しかし、実はソフトウェア開発は日本的な手法で行った方がよいことが分かってきており、米国では既にパラダイム・シフトが起こりつつある。しかし、日本のソフトウェア関係者は依然として古いパラダイムから離れられないでいる。ここに第1の大きな問題がある。

 第2は、個人の能力をより重視することである。優秀なソフトウェア技術者を大切にすることだと言ってよいかもしれない。ソフトウェア開発の生産性は個人によって大きく異なることが知られている。しかし、不思議なことに、日本ではほとんどの関係者がこの事実から目をそらそうとしているように見える。

 第3は、ソフトウェアの利用者や発注側の責任を明確にすることである。古くから「店が客を育て、客が店を育てる」という言葉があるが、これはソフトウェアの世界にも当てはまる。日本のソフトウェアをよくするには、客もまた、その責任を負っているのである。

 いずれの提案も簡単に実現できることではないし、政府が何かプロジェクトを実施すれば済むことでもない。しかし、今、ここでソフトウェアにかかわる人たちが、今やるべきことに気づけば、日本のソフトウェアに未来が見えてくるだろう。

(1) 今回、故障したハードディスク内蔵型ビデオレコーダーは2台目のもので、拙著『ソフトウェア最前線』の13ページで紹介したものとは別機種である。(2) Steve Lohr "Many New Causes for Old Problem of Jobs Lost Abroad" New York Times, Feb.15, 2004


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