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「本の福袋」その18 『武家用心集』 2012年12月

 もしかすると歳をとったせいなのかもしれないが、あまり洋風な食べ物を食べたいと思わなくなった。平日のお昼は溜池山王近辺で外食をすることが多いのだが、和食を選んでしまうことが多いし、好きな食べ物を尋ねられると、蕎麦、天ぷら、お寿司、うなぎと答えている。
 数日前、そんな話をしたら、それはみんな江戸時代のグルメだと指摘された。ネットで検索してみると、たしかに蕎麦、天ぷら、お寿司、うなぎは江戸時代に町の屋台で売られるようになり、江戸の食べ物四天王として定着したものだと書かれている。つまり、最近好きな食べ物は江戸時代に流行したファストフードなのである。
 
 それでピンときたのは、最近の読書傾向との関連である。この一年ほど、読んでいる本のかなりの割合が、江戸時代あるいは江戸を舞台にした小説になっている。読書中に江戸にどっぷり浸かっているから蕎麦や天ぷらが食べたくなっているのかもしれないし、あるいは逆に蕎麦や天ぷらなどの江戸グルメを好むようになったために江戸を舞台にした時代小説に魅力を感じるようになったのかもしれない。
 
 比較的最近読んだ時代小説を紹介しよう。
 まずは葉室麟、江戸中期の西国の小藩を舞台に下級藩士と家老に出世したその友の友情を描いた『銀漢の賦』、筑前の小藩、秋月藩のお家騒動を描いた『秋月記』、シーボルト事件を背景にオランダ使節が江戸で利用する長崎屋の姉妹を描いた『オランダ宿の娘』、水戸光圀と幕府の確執を背景に引き裂かれた夫婦の愛を描く『いのちなりけり』、その続編で赤穂事件と吉良邸討ち入りを描いた『花や散るらん』。
 
 次は北重人。開府間もない江戸を舞台にした短編が5つ収められている『夜明けの橋』、作者の生まれ故郷である酒田(小説の中では水潟)を舞台にした傑作6編を収めた『汐のなごり』、信長の伊賀攻めを生き延びた忍者三郎が武蔵野で村を守るために立ち上がる『白疾風(しろはやち)』、江戸で相次ぐ商人殺しの犯人を追う旗本の三男、周之助の活躍を描いたミステリー『蒼火』、その続編でありながら北重人のデビュー作である『夏の椿』。北重人は2009年に急逝したので、新作が読めないのがとても残念だが、まだ読んでいない作品がいくつかあるので、大切に読んでいきたい。
 
 最近読んでいるのが乙川優三郎である。最初に読んだのが、松戸・平潟河岸の遊女のちせに惚れ、ちせを身請けするため銚子から江戸まで高瀬舟で荷を運ぶ船頭の修次とちせの崖っぷちの恋の行方を辿る『さざなみ情話』、武家社会のしきたりの中で様々な事件に翻弄される男女の人生を描いた珠玉の短編を6編収めた『闇の華たち』、そして、最近読み終えたのが、『武家用心集』という短編集である。
 
 この『武家用心集』には8つの短編が収められている。いずれも江戸時代の武家の男女の生き様を描いた作品なのだが、江戸時代がそれほど昔のことのようには思えない。これは乙川優三郎の情景描写や心理描写が巧みだからでもあるが、それぞれの物語のテーマが現代に通じるものだからでもある。 たとえば、「しずれの音」は現在の日本が抱える問題である老人介護の問題を扱っている。時代は異なるが、老母の介護をめぐる家族のやり取りは極めて現代的である。また、「九月の爪」は出世のために友を陥れたことを悔いる隠居間近の武士の心の揺れを描いているが、藩を一つの企業と考えれば、これは定年間近のサラリーマンの姿を描いているようだ。初恋を貫き通せなかった二人が再会する「向椿山」、道場の後継者と二人の姉妹のもつれた人生を描いた「磯波」も、設定を現代に変えてもそのまま優れた小説になりそうな話である。
 
 時代小説は歴史小説ではない。そこに描かれているのは現代の我々にも通じる生きることの喜びと哀しみ、さまざまな境遇の男女の揺れる心、世間のしがらみの中で生きることの意味なのである。
 
 ところで、蕎麦、天ぷら、お寿司については、手ごろな価格なのに味は高級店と変わらない店を見つけたのだが、鰻だけは美味しいけれど高い店しか知らない。安くてとびきり美味しい鰻のお店があれば、是非お教えいただきたい。
 
 【今回取り上げた本】
乙川優三郎『武家用心集』集英社文庫、2006年1月、543円+税


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