見出し画像

「本の福袋」その16 『奇跡のリンゴ』 2012年10月

 東京電力の福島第一原発事故によって、エネルギー問題への関心が高まっている。これはこれでよいことだと思う。ただ、脱原発をどう実現するのかとか、本当に脱原発が可能なのか、どの自然エネルギーが有望なのかといった目先の問題も重要ではあるが、より長期的に持続可能な社会をどう構築するのかを考えることも必要ではないだろうか。
 
 1972年にローマ・クラブが、『成長の限界』を発表して「人口増加や経済成長を抑制しなければ、地球と人類は、環境汚染、食糧不足など100年以内に破滅する」と警鐘を鳴らしてからもう40年が経つが、依然として地球全体の人口増加のスピードは加速している。たとえば、全世界の人口は、100年前は約10年で1億人程度の増加であったものが、現在では1年あまりで1億人増というスピードになっている。ところが、幾何級数的に増加する人口に対して、食糧生産は算術級数的にしか増加しない。一説には、世界的にみると一人あたりの穀物生産量はすでにピークアウトしているという。
 
 おまけに先進国の農業はエネルギー多消費型のものになっている。たとえば、日本では米1キロカロリーを生産するために石油2.6キロカロリーが投入されている。産出エネルギーより投入エネルギーが大きいのは、米以外の農作物でも変わらない。投入エネルギーが大きくなっている原因は、化学肥料や農薬、農業機械を運転する燃料、農業用ビニールシートや温室の暖房費などにある。農産物は太陽の惠みではなく、石油エネルギーの惠みになってしまっている。そういう意味で化石燃料に依存した農業をどう改革するのかという課題は、持続可能な社会を実現する上で重要な課題の一つである。
 
 今回紹介する『奇跡のリンゴ』は農薬も肥料も使わずにリンゴを栽培している青森県弘前市の木村秋則氏のドキュメンタリーである。2006年1月にNHKが「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、このリンゴ農家の木村さんを取り上げているし、この本も含めて関連本が8冊ほど出版されているので、ご存知の方も少なくないだろう。
 
 この本を読むまで知らなかったのだが、品種改良されて実が大きく甘くなった現代のリンゴの木は、病虫害に非常に弱いのだそうだ。それだけに無農薬でリンゴを栽培するのは絶対に不可能だと思われてきた。その無農薬栽培にチャレンジしたのが木村秋則氏である。
 当然のことながら、無農薬栽培がすぐに成功するわけはない。木村氏のリンゴ畑は、葉っぱ全体が黄色くなり落葉する斑点落葉病にやられたり、毛虫が大発生したりして、まったくリンゴが実らない年が続く。リンゴ畑からの収入がゼロという苦難の歳月は数年間続いたという。その間、木村氏は、畑で作った野菜を売り、冬には東京に出稼ぎに行き、パチンコ屋や夜の繁華街でアルバイトをする。自慢のイギリス製のトラクターを売り、2トントラックも自家用車も売り、ついには水田まで手放す。木村氏は試行錯誤を繰返すが、800本あったリンゴの木の半分ほどが枯れてしまった。自殺も考えたことがあったそうだ。
 しかし、死を決意して登った山中であることに気付く、そして、すべての畑で農薬の散布を止めてから8年目の春に7つの花が咲き、その秋に2つのリンゴが実った。
 
 シェールガスやシェールオイルの開発によって、化石燃料の時代の終焉は少し遠のいた。しかし、化石燃料が有限の資源であることは変わらない。また化石燃料の利用によって着実に温室効果ガスの排出量は増加し、地球環境をじわじわと破壊している点も考慮する必要がある。遠からず農薬や化学肥料に依存した現代農業が破綻することは間違いない。持続可能な社会を構築するためには、農薬や化学肥料に依存しない農業を確立する必要がある。  『奇跡のリンゴ』が示すように、それは不可能な道ではない。この本を読んで、そんなことを考えてしまった。
 
 なお、この奇跡のリンゴの話は、現在、映画化がすすんでおり、2013年には全国で公開される予定である。映画では、周囲の圧力や極貧に耐え、不可能を可能にした男の軌跡が、夫婦愛や家族の絆を交えて描かれるそうだ。是非、映画も見ていただきたい。
 
 
 【今回取り上げた本】
石川拓治『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録』幻冬舎文庫、2011年4月、本体533円+税

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?