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クラウドを支える技術の重要性 (2011年5月) 三菱電機技報

 クラウド・コンピューティングが情報処理のパラダイムを変えようとしている。おそらくこれに異を唱える人はほとんどいないだろう。しかし,クラウドを支える技術の重要性については意見が分かれる。ITのコモディティ化の進展によって,技術はもはや重要ではないという専門家がいる。たとえば,次のような主張である。

 ハードウェアは完全にコモディティ化しており,数万円で十分パワーのあるIAサーバを手に入れることができる。必要があれば、低コストでハードディスクやメモリを増強することも可能だ。こうしたマシンを何台か調達し,この上にLinuxとXenをインストールすれば仮想化環境が整う。さらにEucalyptusやHadoopなどを必要に応じて組み込めばクラウド環境を構築できる。こうして個人でも簡単かつ安価にクラウド環境を構築できるのだから,IT系企業であればどこの企業でも、より大規模で高性能なクラウド環境を容易に構築できるだろう。したがって,クラウドはもはや技術の問題ではない。

 この主張は正しいのだろうか。たしかに,個人でもある程度の知識とスキルがあれば,それなりのクラウド環境を構築することはできるし,企業であればより大規模なクラウド環境を構築できる。しかし,こうしたクラウド環境を企業向けのサービスの基盤として提供できるのか,あるいは,ビジネスとして利益を生み出す事業にすることができるのかとなると,これは別の問題である。

 企業ユーザーがクラウドを利用するにあたって,最も懸念する問題は,クラウドの情報セキュリティと信頼性である。ネットのあちら側にあるデータは安全なのか,なりすましや不正アクセス,盗聴による漏えいや改竄の恐れはないのか,サーバやネットワークの不具合によってサービスが中断されるのではないか等々。

 クラウドに蓄積する情報の種類や重要性によって,あるいはクラウド上で処理する業務によって,求められる情報セキュリティや信頼性のレベルは異なるだろうが,個人が簡単かつ容易に構築できるクラウド環境では,こうした企業のニーズを満たすことは難しいだろう。高度な情報セキュリティ技術と情報システムの運用技術がなければ,企業ユーザーが要求するセキュリティと信頼性は実現できない。

 もう一つは,数多くの企業が参入しつつあるクラウド市場で,競争優位を獲得できるのかという問題である。他社のサービスにはない特徴や機能・性能を備えたクラウドを構築するという戦略をとる場合でも,他社よりコスト・パフォーマンスに優れたサービスを提供するという戦略をとる場合でも,それを支える重要な要素は技術である。

 たとえば,ユーザーからみたクラウドの最大の魅力は,情報システムの調達,開発,運用に必要なコストが,オンプレミスの情報システムと比べて極めて安価なことにある。この低コスト実現のキーワードが「規模の経済」[1]であり,それを生み出しているのも技術である。

 無償で利用できるOSSで実現できる仮想化も規模の経済を実現する一要素であるが,それだけではまったく不十分である。たとえばSaaS (Software as a Service) の場合,1つのインスタンスで複数のユーザーにサービスを提供できるマルチテナント方式の採用が規模の経済を生み出す。ユーザー毎に異なったインスタンスを割り当てるシングルテナント方式に比べて,マルチテナント方式の方が保守運用コストは圧倒的に小さい。ソースコード修正することなくカスタマイズできる仕組みがあれば,管理するソースコードは一つで済み,保守管理が圧倒的に容易になる。これも高度な技術がなければ実現できない。

 クラウドではデータセンターを効率よく管理運用する必要がある。大量のコンピューティング・リソースを集中管理することによって,サーバ一台あたりの運用管理コストを下げることができるが,これも優れた自動管理システムがなければ実現できない。最先端の巨大なデータセンターでは一人で数千台のサーバを管理しているが,単にサーバやネットワークの障害を監視するだけではなく,障害の未然防止,自動復旧やリソースの最適管理を行う技術がなければ,これは実現できない。

 以上のように,企業向けクラウドにおいては,高いセキュリティと信頼性,効率のよい運用管理を実現するために高度な技術が必須であり,今後一層の技術発展を期待したい。


[1] 生産量や販売量の増加に伴って平均費用が低下し,その結果として利益率が高まること。規模に関する費用逓減(収穫逓増)とも言う。

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