外国人から教わったことVol.8「主体は誰?」
外国人と働いてると共通する感覚と真逆の感覚とがおり混ざっている事に、戸惑うとともに、違いを発見する喜びがあります。
人間にとって普遍的なことと、地理や文化的要因で個別性がでること、あとは個人差。その境目を実体験や文献やデータを元に理解していくことは専門家の務めです。
今回のエントリーでお伝えしたいのは、アメリカ人のMさんから教わったことは、文章を作る際の主体は誰か?というと
1.事件は会議室でおこる。
某島をPRする仕事があって、Mさんとは動画とサイト用の文章を作る仕事でご一緒しました。丸3日間その島を取材して、さあ原稿を書きましょうとなった段で事件は起こりました。
クライアントから、いったいこのMさんって人、大丈夫ですか?と、ご指摘と心配の連絡をいただきました。
Mさんは、日本生活も長く、今では観光庁の専門人材に登録されたり、JNTOの英語サイトの原稿も書いている人物です。もちろん私も原稿を見てチェック済み。そこまでおかしいものではないと思うのですが、クライアントにヒアリングをしてみました。
2.その橋はどこから、どこに架かるのか?
ヒアリングしてみるとクライアントが不満に思っている点はその島をつなぐ連絡通路の島が、どこからどこに架かるのかという説明文についてでした。
Mさんの書いた
『橋はfrom B area to A island に続いている。』
というような文章に対して、気分を害されたようです。クライアントはA islandなので、この橋は自分達の島から作られたように書くのが筋だろうとのこと
つまり
『橋はfrom A island to B areaをつないでいる』みたいな文章を期待していたようです。
他にも全体的にご指摘をいただいたが、具体性のある指摘はここだけだったので、まあここを変えれば矛をおさめるし、そうでなければ全体的な不満をばら撒くよという脅しも混ざっとるなぁと思い、Mさんに事情を聞きました。
『これfrom とtoの関係を変えてくれと要望が来ている。この順番にした理由を教えてくれ』とMさんにお伝えすると
『木立さん、このプロジェクトはA islandに旅行者を呼ぶものだよね。で圧倒的に外国人旅行者はB areaに多い。だからB areaからA islandに来て欲しいから、from B to Aにしたんだよ。だいたい橋なんて両側から架かってるんだからどっちのもんでもないでしょ。入れ替えるとfrom A to Bにしたら、Bに行けって!メッセージになるよ』と
3.高度な日本語翻訳文制作技術
Mさんの話をしたもののクライアント内では、修正する案が決まってしまったので一切変えれないとのこと。Mさんは不満の様子でしたが他の原稿まで止まってしまうと、どうしようもないのでここは相手の要求をのもうと。
もう少し大人になろうよ。
とも言おうと思ったけど、アメリカ人の思う大人と、日本の仕事文脈における『大人になろうよ』は意味合いが違うのでここは黙っておくのが大人になることかと
この時から私はネイティブ書き下ろしの原稿制作は、世に出ない日本語訳の方が重要であるという不本意な事実に気がつくわけです。日本人クライアントが日本語で読んで美しい、外国人目線で書いて違和感のある場所にはわざわざ注釈をいれて原稿だしてました。
(日本人だと説明不要ですが、地理に詳しくないので説明しています)とか(寛永○年といってもわからないので17世紀と表記してます)といった申し送り事項をつけて
そうでもしないと『こいつはおかしい』というエコーチャンバーがクライアント内で働いてしまうと、後から説明をしても、おかしいと騒ぎ立てた以上、矛をおさめない(おさめれない)ケースがあるからです。
こういう出来事を通じて、ウェブサイトの文章は『文章が旅行者にとって適切』より『発注側の納得』が大事なんだなぁと学んだことを覚えてます。
表に出ないものに対してコストをかけるのはもったいないなぁと思う反面、江戸時代の粋な大工は見えないところにも細工を入れてたというから、日本語でクライアントが好きそうな文章を忖度してだして翻訳するのが楽なんだけど、それだと外国人目線じゃないしなということでネイティブ書き下ろしとクライアントにご理解いただくための説明にはこだわっております。
ちなみにインフルエンサー招聘だと、ファクトチェックくらいで細かい修正が入らない(入れるものでもない)という状況から察するに.『誰の発行物か(所有の観点)』と『誰のための発行物か(目的の観点)』の違いがこのギャップの根っこなのだろうか
外国人目線というビッグワードをもう少し分解して、共通理解をつくっていきたいものです。
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