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甲子園は最高のコンテンツ。

2020年、甲子園が中止になる。というニュースはテレビ、インターネット、ラジオ、口コミによって日本中を一瞬で駆け巡った。

コロナが2020年の夏から奪ったもの。

太平洋戦争の影響で中断していた時期を除き、予定されていた大会の中止は春が史上初、夏は3度目で戦後初、春夏連続は初めてだ。戦争以来の中止という事実が、コロナが我々の日常に与えた影響の大きさを感じさせる。と同時に、日本における甲子園というコンテンツの存在の大きさも、改めて実感することになった。

物心ついた時から野球を始め、40を超えた今でも毎週草野球で汗を流す私のようなオタクは勿論、そうじゃない人にとっても夏の風物詩である甲子園が中止になるというニュースは衝撃があったのではないでしょうか。そして、最後の夏を奪われた高校球児たちの誰にもぶつけようのない気持ちは想像に難しくないと想う。

甲子園が繋ぐストーリー。

甲子園という言葉の背景には、様々なストーリーが存在する。それは、ここでは到底語りきれない。先日、執行猶予明けの清原が生涯で一番嬉しかったホームランは、甲子園の決勝で放ったホームランだと語っていた。何億も稼ぎ、あれだけプロで実績のある選手が、甲子園でのホームランを上げた文脈を想像するに、色々あった波乱万丈の野球人生において、何の利害関係もなく、ただひたむきに好きな野球に没頭していた時代に原点回帰したからではないかと思う。

幼少時代から甲子園目指し、その夢を実現した人、甲子園には縁はなかったけど好きな野球を続けている人、勝てないと分かっていても甲子園常連校に挑むチーム、色んな理由で早々に野球を諦めたけど野球が大好きな人、野球をする子供をサポートする家族、チームメイトとの関係。背番号をもらえる人と、もらえない人。監督、コーチ、ライバル。野球はやっていなくても、甲子園に魅せられている人。野球を通じて生まれるストーリーの背景に、甲子園の存在はとてつもなく大きい。

甲子園の価値。

損得勘定なしに、10代の全てを掛けて、あれだけ必死になれる高校生を見て、大人は心を打たれ、子供は憧れを抱く。たとえ野球のルールが分からない人が見ても響くものがある。応援したくなる。そんな上質なコンテンツが他にあるだろうか。

商業的に見ても、甲子園を中心に大きなマーケットが存在する。とは言え、時代の変化とともに、野球人口は減少の一途を辿り、その価値は変わり始めている。甲子園が持つ普遍の魅力にあぐらをかいていると、マーケットとしての価値は落ちていくことになるだろう。ただし甲子園というコンテツと、その文脈に隠れるストーリーの価値は決して変わらないと思う。そんな普遍の価値を持ったコンテンツの魅力を知ってもらうことがマーケティングの最重要課題だと思う。その時、大人の都合を感じさせる文脈は絶対にあって欲しくない。

本当のサステナブルとは。

仕事で企業のブランディングのお手伝いをする機会がある私は、いつもなんとなく甲子園というコンテンツを想像する。歴史のある企業にはそれだけの価値がある。歴史の浅い企業はこれから歴史を作る必要がある。それは一長一短でできることではなく、その文脈にあるストーリーの積み重ねでしかない。テクノロジーの進化はその速度を上げることができるかもしれないが、惑わされることもある。一番のサステナブルとは、みんなが残したいと思うことだと思う。

2020年夏、甲子園の地方予選を戦えなかった高校球児は、その経験をこれからの人生に活かして欲しいと心から思います。

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