見出し画像

第2話破天荒な大学時代

 さぁさぁ、本日もやってまいりました、尾っぽが無いと書きまして「尾無(おなし)」でございます!!前回は保健師をなぜ目指したのか?をお話ししましたが、今回は無事、保健師への道の第一歩を踏み出した尾無少年が、大学時代に弾け飛びつつ、どのように山田町へ向かったのか、そうでもいいやん!!!っていう声も聞こえてきますが、その秘話についてご説明いたします。笑

●尾無、大学で弾け飛ぶ

 AO入試で無事岩手県立大学看護学部への入学を決めた尾無少年は、大学LIFEに胸が高鳴っていました。幼少期から暗黒時代を過ごし、親元を離れて生活してきた尾無少年は、ようやく自由を手に入れる!!そう感じてたのです。



 「大学では好きなことを好きなだけしてやるぞ!!」



 
…ハイ。大学時代の尾無をご存知の方はもうお分かりですね。そうです、まさに「自由」を履き違え、講義は途中退席・自主休講の嵐(もう時効ですよね??)、服装も髪型もド派手にキメて、まじめに遊びに没頭いたしました。

 その中でも伝説となっているのが(尾無調べ)、6800円のママチャリで、岩手県→東京経由→長野県へ、1万円を握りしめて旅をしたのです!!

 
も〜これも話し始めたら90分(1講義)コース。泊めてくださいって言って断られたり(当たり前)、県境でブンブンバイクの方々に声をかけていただいたり(死を覚悟)、道でひかれた猫を地元の高校生と埋葬したり、まぁドラマティックです。これ以外にも約60kmを練習もせずに友人と走ったり。はい、話し始めたらキリがないので、興味がある方は直接突っ込んでください(笑)

単純計算でこれ。寄り道したりしたのでもっと走ってますね。


●尾無、Reggaeにハマる

 そう、この遊びの中でハマったのがReggae。チャラい・怖い・特殊!そんな声が聞こえてきそうですが、そんなことないんですよ。この時にDJを始め、今もしているって感じです。Reggaeの魅力はこれから曲紹介等々を通じてしていきますので乞うご期待!!



 ここでは伏線的紹介ということでこの辺でっ!(表紙の写真は大学4年生の時の学祭LIVEのやつで、真ん中で輝いているのが僕です。笑)

●尾無、ご縁あって山田町

 大学4年間はできるだけ遊び尽くしたのですが、2年生の終わり頃に、大学の大好きで怖い先生から「尾無くん、3年生からはギアを入れ替えようか」と、震え上がるスマイルを頂いたことをきっかけに、勉強「も」頑張るようになりました。

 この時から、生まれる前からなくなるまで、そして障害のある全ての方に関われて、かつ、海と山の地域で人の気性が違うとも聞いていたので、そんな地域で保健師をしたい!と思うようになりました。また住民さんとの距離が近いこともポイントでしたので、自分の就職の際に募集が出た、一度も行ったことのない山田町の就職試験を受けました(笑)

 実はこれにも神秘的なエピソードがありまして。私は山田町の前に、別の海があって山があって2万人の町の採用試験を受けていました。おめでたい性格の私は、絶対受かると思い込み、これで就活終了!ぐらいに思っていたので、山田町の募集が出ていたのでは知っていたのですが、エントリーシートを書くのをすっかり忘れていたのです。

 この時、夢枕に親戚一同から顔も性格も私とそっくりな「じいちゃん」が立ち、「徹、じいちゃんにもう一回、受験のスケジュールを教えてみろ。確か〇〇町を受けた後に山田町のエントリーシートを出す期限があったよな…」

 あ!!!!!!!!!!!!そこで、焦って飛び起き、その日がエントリー提出最終日(速達でギリ到着する日)。急いで支度してエントリーシートを書いて(笑)山田町が受験できることになった矢先、自信満々だった市町村から不合格通知がありました。あぶねーーーーー。じいちゃんのガイダンスにより、山田町を受験し、合格することができました。

 きっと、この後起きる東日本大震災で頑張って来い、というじいちゃんのメッセージだったのかなと、思っています。

第3話は、「ポンコツ男性保健師と東日本大震災」を以下の3本でお送りします。


・ポンコツ男性保健師
・70代女性達との飲み会
・悪夢の始まり東日本大震災


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?