非行少年に与えられたもの⑦
〜児童自立支援施設での生活③編〜
中学3年生となり、梅雨のジメジメした季節に移り変わる頃、いよいよ私の耳にも退園の話が入るようになった。
13歳まで暮らしていた養護施設に帰ることを待ち遠しく思いながら、学園の厳しい規則の中で寂しさや羨ましさを耐えて生活していた。
ある日、担当のナカ先生が私の居室を訪れ苦い表情で言い辛そうに、「お前の日頃の頑張りを施設の人に十分伝えたが もしかすると施設に帰ることができないかもしれない」と言われた。その言葉に続いて「でも必ず施設に帰れるように俺が頑張るから心配するな」と言ってナカ先生は私の居室を後にした。
私はナカ先生からの知らせを聞き、すごく不安になった。帰る場所を失ったら、このままずっと学園で生活しなければならないの? 帰る場所が見つかったとして、熊本で暮らせるのか?幼馴染や友達とはもう一緒に居られなくなるのか?
児相の職員と「学園で1年間真面目に生活すれば施設に帰れる」と約束したはずなのに...。
この時、私は自身が置かれている環境を憎んだ。なんで、俺にはまともな親がいないのか。なんで、大人に振り回されなければならないのか。なんで、生まれてきたのか。
なんで、なんで、なんで…。
先の見えないトンネルの中を歩くのは、怖いし寂しいし不安になる。
だから、ナカ先生が言ってくれた「必ず施設に帰れるように俺が頑張るから心配するな」という言葉はとても心強かった。
不思議と、人間は自分では変えられないどうすることもできない状況に陥ると神頼みをするようにできている。目には見えない期待、希望に縋(すが)りたくなる。
この時、私は神様に「もう二度と悪いことをしないので、施設に帰らせて下さい」と祈った。
私が育った施設はアメリカの宣教師が創立した歴史があり、小学生の頃までは毎週日曜日にキリスト教会に通う習慣があったので、その習慣が祈りへと導いたのだと思う。
不安になる度に祈っていると、私の行動が神様から見られているような気がして悪いことが出来なくなった。自分の行動によって現状を変えられるならば、僅かな可能性をも信じて真面目に生活した。
少しでも希望を持ちたかった。
ナカ先生からの知らせを受けて1ヶ月が経つ頃、寮から離れた多目的室に施設の園長先生と学校の担任の先生、児相の職員、学園の寮長先生等が集い、私の退園後の措置について会議が行われた。
会議の後、ナカ先生から関係者が集まる多目的室に呼ばれて久しぶりに施設の園長先生や学校の担任の先生と顔を合わせた。
みんな険しい表情で嫌な雰囲気が漂う空間の中、私の心臓は緊張で鼓動がバクバクと動く。
席に座り、児相の職員がゴニョゴニョと何か喋っていたが、緊張で意識が飛びそうな私は何を話しているのか分からなかった。その後、施設の園長先生が口を開いた。
「単刀直入に言うと〇〇くんは施設に帰ることが出来ません」
「学校では〇〇くんと仲良くしていた生徒が非行に走り 〇〇くんは生徒から怖がられています」
「今〇〇くんが戻ってくると他の生徒に悪い影響を与えてしまいます」
園長先生の話を聞きながら、再び意識が飛びそうになり言葉が出てこなかった。
園長先生が話し終え、児相の職員が「何か話しておきたいことなどありますか?」と切り出す。
その時、普段は温和な学園の寮長が声を荒げて「何を考えてんだお前らは!それでも〇×〇×!」と怒鳴った。何を言っているのか聞き取れなかったが、園長先生や児相職員、担任への怒声が室内に響き渡った。
その後、寮長は退席してその場の空気がシーンとなった。
児相の職員が「もう一度 何か話しておくことはありますか?」と私に訊ね、私は「特にないです」と返答して会議が終了した。
現実を受け止めきれずに戸惑う私は、頭の中が真っ白になり、返す言葉が見つからずとにかくその場から離れたかった。
ナカ先生から、「寮に戻っとけ」と言われて多目的室を後にして寮に向かった。
寮に戻る途中、ソメイヨシノの木が並ぶ下り坂を歩きながらようやく状況の理解が追いつき、施設に帰れない悔しさや仲間たちと別れる寂しさ、学園の先生の温かさなどのぐちゃぐちゃした感情が涙と一緒に溢れ出てきた。私は急に走りたくなって自分の部屋に駆け込んだ。
心に穴が開くってこんな感じなんだなっと分かった。
「生まれてこなければよかった」。私は神様を憎んだ。
しばらく放心状態となり、数日間居室に籠ってしまった。
ワカ先生が私を心配して部屋に来てくれた。何を話したのか覚えていないが、珍しくふざけずに慰めてくれた。私は終始言葉が出ず、頷くことしかできなかったがワカ先生の優しさに涙が止まらなかった。その後、担当のナカ先生と話をした。ナカ先生は泣きながら私に土下座をして「施設に帰す約束を守れなくて大人としてすみませんでした」と謝ってきた。ナカ先生は1ミリも悪くないのに、必死になって謝る姿を前にしてまたしても涙が止まらず、ナカ先生と一緒にずっと泣いていた。
ナカ先生から「お前どうせ逃げるんだろう?」と言われ、私が学園から脱走しようと思っていたことが見透かされていた。
ナカ先生は、「逃げてもいいから、3つの約束を守ってほしい」と言って私の手に5千円札を握らせた。
1. 脱走中は絶対に犯罪をしないこと
2. 3日間で学園に帰ってくること
3. この件は職員にも寮生にも誰にも言わないこと
という約束だった。
公務員であるナカ先生がそんなことを許しては、何かしらの処分が下るのは中学生の自分でも分かりきったことだった。
それでも、私を守るためにナカ先生は自分を犠牲にした。
この約束を交わしたとき、全てを投げ出して崩れていきたい気持ちと、ナカ先生や学園の先生方の優しさに答えなければならないという2つの葛藤で苦しんだ。
私はナカ先生との約束を守った。
学園を飛び出し、施設の仲間や学校の友達、彼女に会いに行った。久しぶりに地元の景色が視界に広がり、懐かしい思い出に浸りながらみんなに別れを告げた。
学園に帰ってきたとき、ナカ先生は笑顔だった。他の先生もみんな笑顔で優しくしてくれた。
帰ってきて3日間は規則違反で部屋から出ることが出来なかったが、叱られることは一度もなく、「よく戻ってきた」「スッキリしたか?」などの温かい言葉をかけてくれた。
もうこのときには私も気持ちの整理ができており、現実を受け入れることができていた。
自室待機を終え、久しぶりに学園の教室に戻ったときは教員の先生たちも慰めてくれてとても温かかった。
そんな出来事から2ヶ月が経つ頃、私の身元引き受け人になってくれる里親が見つかり、私は里親に預けられることになった。
帰る場所が見つかったことから学園を退園する日が決まった。
退園の前日、学園の先生方との交換日記には先生方のとても熱い想いが込められたメッセージがあった。
ワカ先生は相変わらずふざけたキャラクターの挿絵を描いて笑わせてくれた。
寮の先生の他にも、新年度から異動してきた英語の先生から手紙をもらった。
私は学園の先生方に出会って、本当に良かった。
もし、施設に帰れなかったときに先生に庇ってもらえなかったら、慰めてもらえなかったら、私は一生大人を恨み、自分の人生を恨み、他人に優しくしたり人を愛したりすることが出来なかったと思う。
そう思えるくらい、学園で経験したことや先生方との出会いは私の人生に大きな影響を与えた。
この時点でしっかり更生できれば良かったが、この頃の私はまだまだ人を思いやる力や感情面で欠落したところがあり真っ当に生きることができなかった。
次の記事では、里親のもとでの生活について書きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?