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第37講Official髭男dism『Pretender』考察〜遊び人はどっち?「pretender」の「ごっこ遊び」を読み解く

先日教材作りをしていたらふと流れてきたOfficial髭男dismの『Pretender』。
ちょうど比喩表現の解説を作っていたため2番の歌詞が気になり急いで検索。
その時に予想検索を見たら、「pretender 歌詞 ひどい」「pretender 歌詞 気持ち悪い」といったネガティブな検索ワードが(笑)
そこで僕の中で大きな「?」が浮かびました。
僕にとって『Pretender』は真逆の印象の曲。
むしろ恋人思いの(でもちょっと自分に自信のない)男性の苦しさを書いた曲でした。
というわけで、今回は僕が思うPretenderの主人公について考察していきたいと思います。
 

むしろ恋人が好きで仕方がない!?歌詞に描かれる動作から男性の性格を読む


〈君とのラブストーリー それは予想通り いざ始まればひとり芝居だ〉
もう1番のAメロの時点で僕はこの歌詞の主人公をいい奴認定していた(笑)のですが、ここからこの男性の考え方を見ていきましょう。
(因みに、なんの断りもなく主人公を男性、恋人を女性としてしまいましたが、これは使う一人称から判断しました)
主人公にとって、彼女との恋愛は①思っていた通りの②自分ばかりが舞い上がるものであるということが伺えます。
ただ単に付き合ってみたら自分ばかりのひとり芝居、つまり一方的に熱があったと分かった訳ではなく、「予想通り」のこういう関係。
ここからずっと男性が一方的に女性のことを好きだったこと、それからどこか自分には手の届かないような存在であったことがわかります。
これは相手の女性が高嶺の花のような存在なのかもしれませんし、単に男性に自信が無いだけかもしれません。
しかしいずれにせよ男性にとって手を伸ばすような存在で、仮に付き合えたとして上手くいかないかもしれないことは覚悟していて、そして実際付き合うとそうなったと言うことがわかります。
さらに男性の性格を考えるなら、そうした恋愛関係を初めから予想している上に、それを全部自分の側の責任と言い切る。
どこか客観的で、どこまでも相手思いの優しい人という印象を受けます。
〈ずっとそばにいたって 結局ただの観客だ〉
 
〈感情のないアイムソーリー それはいつも通り 慣れてしまえば悪くはないけど〉
ここでごめんというのは後半の「慣れれば悪くない」という感想から女性の側だろうと思います。
女性は何に謝るのでしょう?
これは前のAメロの「ひとり芝居」や「観客」という言葉から自分以外の友人との関係を優先させるような女性の諸行動についてではないでしょうか。
そして謝りはするけど感情はない、つまり反省する素振りも見えない。
そんな女性の振る舞いまでも男性は受け入れていますが、反面〈君とのロマンスは人生柄 続きはしないことを知った〉とあるように、どこか限界がくることも感じているようです。
 
〈もっと違う設定で もっと違う関係で〉
Bメロに入ると、違う立場で出会えたら上手くいったのでは...?という仮定の話が出てきます。
そしてそれは現実がうまくいっていないことの裏返しです。
僕は冒頭で「主人公はいい人」と書きましたが、僕の中ではもう一つの解釈があり、それは2人とも「遊びの恋」をしていたというパターンです。
ただ、それだと繋がらないところがあるので(後述します)今回は男性が良い人であるという前提で歌詞を見ていこうと思います。
〈そう願っても無駄だから〉と現実を受け止めて1番のサビへ。
 

男性は良いやつ?悪いやつ?解釈が分かれるサビの「グッバイ」


この歌の主人公をどう受け止めるかは、このサビの解釈にかかっているのではないかというのが僕の考え。
〈グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ その髪に触れただけで 痛いや いやでも 甘いな いやいや〉
この部分、もっといえば「君の運命のヒトは僕じゃない」のワンフレーズの解釈の仕方次第で、この主人公の立ち位置が180度変わってしまうように思っています。
もしこの言葉を、「グッバイ」に続く別れ話の理由とするのなら「もっと良い人がいるはずだよ」という、あたかも遊び人の男性が女性を切ったようなセリフになります。
反面、「グッバイ」が主人公の気持ちとして、その後のセリフがそう考えるに至った主人公の心象描写であるとするのなら、「あなたはどうやったって僕だけをみることはしてくれないんでしょ」という主人公の恋人に対する諦めとも取れるわけです。
ここをどちらで取るかで印象は変わり、だからこそ多様な解釈が生まれる曲だと思うのですが、僕は後者ではないかと思っています。
というのも、そうでなければ「辛いけど否めない」とはならないからです。
「辛い」ということは受け止めたくないということでしょう。
そして「否めない」ということはそれでも受け止めざるを得ないということ。
自分から別れを切り出すのなら、「受け入れられないけど受け入れなきゃいけない」という心境にはならないと思うんですよね。
「恋人が1番と思っていない」のが男性なら、そもそも「受け入れる」必要は無いわけですから。
ということで、僕はこのサビを男性寄りに解釈しました。
 
そしてサビの後半。
〈グッバイ それじゃ僕にとって君は何? 答えは分からない 分かりたくもないのさ 〉
ここも男性の側が不倫なら浮気なりをして弄んだとしたら繋がりません。
「自分は相手にとって最愛の人では無い」という事実を「辛いけど受け止めた」として、それでも相手を嫌いになれない自分の感情に対して「それじゃ僕にとって君は何?」と問いかけているというのが僕の中では最もスッキリくる解釈です。
 
そしてサビの後半〈たったひとつ確かなことがあるとするのならば「君は綺麗だ」〉
自分の気持ちを確認した時にひとつだけ分かることは「君は綺麗だ」というこの表現。
もちろんここはルックスが好きという話ではないでしょう。
自分の感情を整理した時に、その結論として出てきたこの言葉はあえて自分の気持ちを言葉にしないままにしているようにも思えます。
そして良い感情も悪い感情も持っている。
その上で出てきたこの「君は綺麗だ」という言葉は前に「(それでも)君が綺麗だ(≒好きだ)」という意味かなあと思います。
 

主人公の本音を読む


さて、そんな感じを踏まえて始まる2番のAメロですが、ここは一般論の恋愛なんて、いざ自分が当事者のものには中々当てはまらないよねくらいの解釈かと思います(著作権的に全部の引用はアレなので)
そしてBメロ。
1番ではもっと違う会い方をしていればと言っていただけなのに対し、2番では〈いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて 「好きだ」とか無責任に言えたらいいな〉と言っています。
ここもやはり「無責任に好きと言いたい」という部分に引きずられると女遊びの歌みたいになってしまいますが、それだと「いたって純な」「叶った恋」にはそぐわないように思います。
それならば寧ろ、「叶うなんて思えなかった相手と付き合えた」ととって、相手のことばかり考えずに素直に(=無責任に)自分の気持ちをぶつけたいという主人公の内面と捉える方が妥当でしょう。
そしてまた心情から現実に戻りサビへ。
 
〈繋いだ手の向こうにエンドライン 引き伸ばすたびに 疼きだす未来には 君はいない その事実に Cry...〉
繋いだ手は現在の関係、エンドラインは関係の終わりでしょう。
それ、すなわち終わりを引き伸ばすたびに「疼きだす未来」とは、関係を延命するほどによりリアリティを帯びる2人の関係の終わりでしょう。
ここでいう未来はどちらかというと「受け入れねばならない現実」といったところでしょうか?
そこに「君はいない」し、それを思い出すたびに泣き叫びたいような悔しさを感じるわけです。
2番ではどこか客観視し、恋人を傷つけないようにと思う主人公の気持ちがはっきりと描かれます。
そしてそれをひと言「そりゃ苦しいよな」と言ってラストへ。
 
「君の気持ちが僕を向いていないことは分かっているけどそれでも君が大好きだ」
最後のサビ〜も1番と同じく、諦めと悔しさを歌います。
そして未練を浮かべつつも自分の気持ちに区切りをつけるためにいう「君は綺麗だ」。
そして最後にCメロとしてこんな歌詞がつきます。
 
〈それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな 永遠も約束もないけれど 「とても綺麗だ」〉
ここは恋したことも、やっぱり続かなかったことも、恋人の気持ちがこちらに向かなかったことも全てを受け入れ、それでもやっぱり相手のことが今でも好きということを「とても綺麗だ」と表しています。
この「綺麗」は「やっぱりあなたは輝いている」みたいな心情なのかなと。
というわけで、僕にとってこの曲は、ずっと好きだった、そして叶わぬ恋と思っていた人と結ばれて、いざ結ばれたらやっぱりダメだったけど、それでもその人が好きだったという、どこまでも控えめで、それでも優しい恋人思いの主人公の切ない気持ちを歌った曲という印象です。
 

全編を踏まえて読み解く「Pretender」というタイトルの意味


さて、僕はこの曲が不倫して女性を遊ぶ歌と捉えられる要素の一つはそのタイトルにあると思っています。
Pretender、つまり「ごっこ遊び」このタイトルもまた、多様な受け止め方ができると思うのです。
遊び人で恋人のルックスに惹かれた男がその相手を捨てたととるのなら、このタイトルはさながら「『色恋』というごっこ遊びに興じる男性の歌」となるでしょう。
でも僕はもう一つ、この「ごっこ遊び」には受け止め方があると思うのです。
それが上に書いてきた様な主人公を考えた時に出てくる、「相手の気持ちに気づいた上でまだ[ごっこ遊び]でも関係を保ちたいという弱いけど優しい主人公」というもの。
もちろん正解は作者しか分かりませんが、少なくとも僕は、こちらの可能性もあるんじゃ無いかなと思ってこの歌を聴いています。
というわけでいろいろに読めるこの曲。
みなさんはどういう視点で聴いていますか?
 
本歌取りという手法からこの曲の主人公の正体を予想する
さて、ここまでが僕の『Pretender』に関する歌詞考察なのですが、そもそも僕がこういう主人公を想定したのは、この曲をはじめに聴いた時にある曲との関連性があると感じたからでした。
そのためにまず、日本の和歌に見られる本歌取りという手法を説明させてください。
 
本歌取りとは、昔の歌人が詠んだ歌の一節を自身の歌に取り込むことで、その歌の背景にその歌人の歌を思い浮かべさせる技法のこと。
現代の歌でも、これを用いられた例がいくつもあります。
例えば沢田研二さんの『勝手にしやがれ』と山口百恵さんの『プレイバック part 2』
この2曲を比較すると、喧嘩して出ていった女性の背中を見送る『勝手にしやがれ』と、飛び出した女性のその後を語る『プレイバックPart2』というストーリーの繋がりがあることに気づきます。
 
僕はOfficial髭男dismの『Pretender』も、ある曲とこの関係になっているように思うのです。
その曲とはback numberの『高嶺の花子さん』です。
高嶺の花子さんには、クラスのマドンナ的な女性を大好きだけど声をかけられない、一歩を踏み出せない主人公の男の子が登場します。
僕にはこれが『Pretender』の主人公と恋人の関係にすごく重なるのです。
 
以下は完全に僕の妄想なのですが、上の様に仮定した時、Official髭男dismの『Pretender』とback numberの『高嶺の花子さん』には以下の様な対比構造が見られます。
〈高嶺の花子さん⇔Pretender〉
高嶺の花を追いかける主人公⇔釣り合わない関係のロマンス
妄想に出てくるライバル⇔妄想で描く対等な付き合い
付き合いたいという希望⇔釣り合わなかったという現実
となりで目覚めたおはようと笑う君が見たい⇔髪に触れるたび離れたく無いと感じる君
 
もちろんこれはこじつけですが、どことなく僕の中でこの2曲は聴いた瞬間にリンクするところがありました。
だからこそ、一般的にPretenderに関して言われるクソで独りよがりな主人公ではなく先に述べた主人公を想定したのかもしれません。
 
歌はこう言った自分の「読み方」も含めて楽しむものというのが僕の持論。
もしかしたらこの読み方は検討外れも甚だしいかもしれませんが、少なくとも僕にはこのように(も)感じ取れたというのは事実です。
みなさんも自分なりの解釈をしてみ下さい。

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