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他者や自分を物語として"消費"すること

こんにちは。
素敵な創作百合漫画について、感想を書かせていただきます。
その作品がこちら↓
マーブルビターチョコレート/幌山あき様
(pixivでも本編は全て閲覧可能)

先に言っておくと、この作品の主題は"消費"です(書籍のあとがきより)。
文章を重要なネタバレなし/ありで分けたので、後半は作品未読の方は注意。

<<<重要なネタバレなし>>>※大まかなあらすじも含みます。

まず出てくる登場人物が、パパ活女子の"りこ"さん。いろんな男性の方と会ってお金を貰っている、つまり"若さ"を消費しているともいえます。
そんなりこさんにパパの1人として出会ったのが東さん(女性なのでパパというよりママ?)。東さんはりこさんには正体を隠していますが、実は最年少で文学賞を受賞した小説家の東陶子先生でした。
彼女は受賞当時は注目を浴びたものの、実際にはその"年齢"にしては上手く文章が書けていただけ。年月が経った今、成果を出せなくなり、看板が大きかっただけに"文章が上手いだけでつまらない"と周りからは失望されます。
そんな東さんに対して編集マンの深田さんはこう言います。
「売れてる本ってのは何かしら分かりやすい"欲"に沿って描かれている。知識欲・出世欲・食欲・性欲・征服欲・加虐心 エトセトラ。人間の欲望を満たす、それがエンタメ。」
(この作品もわかりやすかったから書籍化に繋がったのかなと思います。)

ここで話がずれますが、性欲といえば最近読んだ漫画"BEASTARS"が面白かったです。肉食動物と草食動物が共存している世界が舞台で、肉食→草食の狩猟本能は残っているのでお互い本能と理性の狭間でぶつかり合いながら生きている様子が描かれている作品です。この狩猟本能が人間の(どちらかというと男性→女性の)性欲のメタファーになっているように見えます。

話を戻します。そんな深田さんに「自分を売る、他人を売る覚悟を持て」と提案され、東さんはネタ作りとしてパパ活のパパをやり始めたのでした。ただ、東さんは、"若さ"を売るりこさんに昔の自分と姿を重ねてしまいます。しかしりこさんは「自分を売ることに躊躇はしない。若さを売れなくなったら死ねばいい。苦労してまで生きたくない。」という強い覚悟を持っていました。東さんはりこさんのことを大切にしたいと思う気持ちが強いゆえに、結局りこさんのことを面白おかしく書くことはできませんでした。

フジファブリックも「何かを始めるのには何かを捨てなきゃな」と歌っているように(この曲"エイプリル"はフォロワーが教えてくれたのですが、歌詞が全体的にこの作品を思い出させるのでよかったら聞いてみてください)、人間は意思がある以上取捨選択からは逃れられないと思います。仕事や恋愛から、日常の些細なことまで、"全て完璧に"は不可能なので自分の中で妥協できる部分とそうではない部分を分けて選び続けるのでしょう。りこさんには信念があったから選択にほぼ迷いがなかったけど、東さんには自分の中の軸が見つからなかっため、どれも中途半端になってしまったのだと思います。

りこさんの、苦労してまで生きたくないという気持ちはわかります。私も、無理をするくらいなら仕事や人間関係を続ける必要はないと思う人間です。ただ、東さんのように多くのことに対して割り切れてないのも事実です。"これを叶えたい"という強い願望・意思がないため、なるべく最善の道を選ぼうと意識していても、決定の際にもやもやが残ったり、その後にずるずるとたらればを考えることも多々あります。それでも私たちは選択し続けます。"選択をやめる"という選択肢も含めて。

<<<⚠️注意⚠️ここから重要なネタバレあり>>>

「みーんな寂しい人たちなの。大人になると役割を与えられるじゃないですか、そういう立場で自分の話をしても聞いてもらえないんでしょうね。だって"上司"の自慢話とか"父親"の武勇伝とか周りにとっては面倒なだけでしょう?なので私と話す事で寂しさを紛らわせているんです。」
りこさんはパパ活のパパたちについて東さんにこう説明しましたが、実際は、東さんも、そしてりこさん自身も寂しい人間でした。りこさんはいろんなパパの話を聞いてきたけど、本当は自分の話も誰かに聞いてもらいたかったのでしょう(関連で"自分が救われたいから他人を救いたい"という内容も含む7か月前の記事もよかったら読んでくださいね)。

きっとみんなマーブルチョコレートみたいに、それぞれ違う色を身にまとっていて、その可愛いけど人工的な色に包まれた中に、かみ砕いてみないとわからないほろ苦いものを隠しているんでしょうね。臭い物に蓋をしていたりこさんが、東さんの優しさに触れることで、自分の中の"苦い部分"に再び気づいてしまい、それに耐えきれなくなって東さんの前から消えてしまったんじゃないかな、と思っています。綺麗なままで終わりにしたかったのかもしれないし、東さんが大切だったからこそ強烈な印象を与えて自分を"消費"してもらいたかったのかもしれません。



また、書籍では編集マンの深田さん視点の小話も掲載されています。深田さんは本編で東さんに対して「自己満足のオナニーだったらネットにでも上げたら?」と言いましたが、確かに、私みたいにこうやって空いた時間に思いつきでnoteに文章を書くような素人と、深田さんのようなプロでは、訳が違いすぎるでしょう。金銭が発生するため、そのお金に見合った仕事をしないといけません。深田さんは責任があるからこそ、冷酷でいる覚悟があったのでしょう。
「夢も努力も苦悩もトラウマも全て物語として消費される。どうせ消費されるならちゃんと金になるように。俺なりの親切心だよ。」
この言葉が印象に残りました。
ちなみにこちらの小話のタイトルは「キャラメルファッジ」で、キャラメルよりも甘さが強めのお菓子だそうです。「人は理性という銀紙に包まれている。丁寧に丁寧に銀紙を剥がしていけば甘美な欲望のお出ましだ」という例えも秀逸。「この世は飽食。自分から消費されたがってる人間なんて腐る程いる」という深田さんの言葉も、芸能人の結婚や不倫でざわつくタイムラインや、承認欲求に飢えたツイートをする人たちを見ると納得するものがあります。もちろん他人事ではありません。

実際私もこうやってnoteに書くことでこの作品を"消費"しています。noteの別の記事では過去に関わりがあった人たちを消費しているし、私が音ゲーのスクショや好きなキャラのぬいぐるみの写真をSNSにあげるのもキャラやコンテンツの消費の一部だと思います。
作者様もあとがきで「結局他者を消費することからは逃れられないので、だからせめて大切にしたい(それで許される話ではない)」と書かれていたので、私もせめていろんな人やものを消費しているという自覚を持ち、敬意を払うことを忘れないようにしたいです。なかなかうまくはいきませんが。

最後に。素敵な作品を本当にありがとうございました。

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