"人を救いたい"という言葉に秘められた傲慢さと微かな光

「人が人を救うには限界があるし、どこか烏滸がましい。結局自分のことは自分の力でどうにかするしかない。泥水啜って這い上がれ。」

という考え方と、

「それでも、たとえ無力でも人を救いたい。」

という考え方。

あなたはどちらに強く惹かれますか。

---注意:自分語り多め。勉強不足のため解釈違いも多々あると思いますご了承ください---


先日(2/14)、ヒプノシスマイク(という音楽原作キャラクターラッププロジェクトの)<<2nd D.R.B>>の2nd Battleが行われた。6つあるチーム(1チーム3人ずつ)のうち2チームごとにライブが開催され、それぞれが魅力を出したパフォーマンスを行い、投票で勝敗を決めて勝った3チームで再びバトルライブを行い優勝を決める。

今回のライブはナゴヤvsシンジュク。ライブでは各チーム新曲がお披露目されるのだが、この新曲で両チームの考える「救う」に対しての方向性の違いがはっきり現れた。今回の記事ではそこに焦点を当てて話そうと思う。

まずナゴヤ
今回ナゴヤに提供された曲の作詞を担当したのはMOROHAのアフロさんである。実は私もMOROHAの曲は私が好きだった人がよく聞いてたからという邪な理由から1,2年前から聞き始めていたのだが、そのリリックのインパクトの強さはまず代表作「革命」を聞いて感じてほしい。

かなり雑にまとめてしまうが、もっと本気で生きろ。何も努力せずにぐだぐだ文句ばっかり言って時間を無駄にするな。夢や希望を持つことを恥ずかしいと思うな。急げ。今すぐ動け。といった感じの内容の歌詞である。

そう、MOROHAからは少し乱暴だけど強い力を感じる。私が好きだったその人も夢があって、それが叶えられないなら自分の好きなことができないのなら働く意味はない生きる意味はないと言い切ってさえいた。きっと自分と似たところを感じてMOROHAを好きになったのだろう。

アフロさんとナゴヤの相性は抜群で、今回のナゴヤへの提供曲「開眼」にも強いメッセージが込められていた。

このチームのメンバーは全員「いじめ」に関わっている。酷いいじめを受けていた十四、いじめの加害者を懲らしめようと暴力事件を起こした空劫、そして身内をいじめで亡くした弁護士の獄。過去に苦悩を抱えた3人が、負った傷はなくならない、でも自分の力で立ち上がるしかない、と主張するのには説得力がある。傷を舐め合っていては前に進むことはできない。1番の敵は自分自身の弱さ。神じゃないからお前の代わりにはなれないが仲間を見捨てはしない、見守ってるぞ、という3人が個々でしっかり自分の足で地面を踏みしめている強さを感じる。

ここで私は過去に私に「生き方を正してほしい。」と言ってきた人を思い出す。私も人のことを言える立場ではないが、その人は「誰かに助けてもらいたい」と現状に不満を言うことが多く、実際に自分から行動することは少なかった。周りからの提案やチャンスも何かしら理由をつけて逃げようとしていた。発達障害を抱えていたり、彼なりの考慮すべき事情がいくつかあったのも事実だが、私は彼に「あまりにも他力本願では?」と思ってしまい疲弊することが多かった。さらに「彼をどうにかしなきゃ」と自分を過信し彼に対して上から目線でいたことに気づいた時もショックだった。
結局人は自分の力で変わる、変わるしかないということを気づかせてくれる曲だった。

対してシンジュク
私はシンジュクに対しては前々からカンザキイオリさんの「君の神様になりたい。」という曲を勝手にイメージソングとして紐付けている。

誰かのために生きたい、誰かの特別になりたいという気持ちは世の中にありふれていて、おかしいことではないと思っている。ただ、この歌詞にもあるように、ナゴヤの曲でも感じたように「変わったのは自分のおかげだろ」「君は君が勝手に君のやりかたで幸せになれる」と他人に思うことも多い。

それでも救いたいと思ってしまうのは、多分、他人を救おうとすることが自分を救うことに繋がるからだと思っている。エゴだとわかっていても、自分の過去の状況と似たような状況の他人を見ると、その時辛かったことを思い出して同じような目にあってほしくない、過去の自分の失敗を無駄にしたくない、と思うことが多い。

シンジュクの新曲「TOMOSHIBI」でははっきりと「全ての人を救いたい」と言っている。

シンジュクのリーダーの寂雷先生は、元殺し屋の医者で、人の死を数え切れないほど見てきたし、大事な人を酷い目に遭わされたこともある。私も身内が動物保護をやっていた影響で動物の死を側からではあるが何回も見てきたが、死は不可逆でいくら考えても難しく結論が出ない問題だと思う。動物保護自体偽善では?と言われることも多いが(でも私は野良犬猫等の問題は安易に増やした人間が責任持って対応するべきだと思うのでTNRに賛成です)、動物が好きな気持ちだけではやっていけない、逆に好きな方がしんどくて向いてない世界だとも思った。話を戻すが、そんな状況で寂雷先生は自分が無力であること、決して神様にはなれないことは何回も痛感しただろうに、それでも「救いたい」とはっきり表明する、傷つくことを恐れない覚悟を感じる。その側には先生を慕うそれぞれの弱さを抱えた2人がいる。女性に恐怖を感じる一二三と、集団の圧力に怯える独歩である。この曲ではお互いを見つめ合いチームのみんながいるから大丈夫と自分に言い聞かせる場面が多い。社会の闇の中、自分の闇の中にある微かな灯火を大事に掬い取る、弱さを受け入れつつともに前に進んでいく優しさを感じる。

作詞を担当してくださったGADOROさんの名曲「クズ」のリンクも載せておく。


余談だが、先程MOROHAの革命を紹介させていただいたが、私はこの曲に良くも悪くも若さを感じる。なぜなら私は今までいろんなことを諦めてきたからだ。大学に入って、社会に出て、周りにいる才能と努力の塊の人たちを見ては自分の無力さレベルの低さを感じた。諦めるとどんどん腐ってしまうから諦めないことも大事だが、過剰な意気込みで現実とのギャップに苦しむことで、失わなくても済んだ大切なものを失うことも多いだろう。ある程度折り合いをつけて生きていくことも時には必要だと思う。


ナゴヤとシンジュク。どちらの考え方も正しいし、どちらの考え方も間違っているとも思う。そして一見正反対のように見える2つの考え方もある意味似ていてそっくりだとも思う。



P.S. こんなダラダラとした文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。ヒプノシスマイク、基本楽曲を個々に楽しんでたのでこうやって別チームの楽曲をピンポイントで比較するのは初めてで面白かったです。ただ投票に関してはこの新曲だけでなくキャラや中の人の関係性、他の楽曲やパフォーマンス等全てを踏まえて好きな方に入れるのがベストだと思っています。この記事を見てこのコンテンツに興味を持ってくださった方、ぜひ色々調べて見てみてくださいな。

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