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#オリーブストーリー オリーブの不思議

こんにちは!南イタリアでオリーブオイルを作っているYurie(@YurieAdachi)です。これから、毎日ではないと思いますが、できるだけ #オリーブストーリー  でオリーブやオリーブオイル、また弊社についてお話ししていこうと思います。今日はオリーブと私たちの転機についてご紹介します。

当社の簡単な歴史

私の農家は1819年から続くイタリアでもかなり長い歴史のある農家です。ずーっとずーーーーっと農業一本でやってきた珍しい農家でもあります。他の農家さんはかなり前から自社のオリーブオイルをボトル詰めして輸出したりしているのに、当社は200年ずっと農作物を作り、オリーブをオリーブオイル工場に売ったり、ワイナリーに葡萄を売るだけで、2019年まで「自社製品」と言えるものが一つもありませんでした。

転機は2019年の春。2018年-2019年度のオリーブは大豊作で、オリーブオイルも最高の出来になりました。*イタリアのオリーブ業界では収穫作業が新年を跨ぐため、2020-2021年度と表します。

2019年の凍えるほど寒い1週間

春。この3月は海に入れるんではないかぐらいとても暑かったことを覚えています。というか海に入りました、私。でも、4月のイースター中に3-4日間ほど強風と大雪が降り、マイナス10度になる地域も。オリーブは基本的にどこでも育ちますが、唯一苦手なのが凍えるような冷たい風です。品種にもよりますが、私たちの地域に生息しているコラティーナ種はマイナス8度が限界で、それ以下は凍え死んでしまいます。イタリアの他の地域では、凍え死んだ木を根本から伐採するかしないか、そういう話題で持ちきりでした。凍えてしまった木は、数年間は収穫はゼロ、すぐに元には戻りません。凍え死んでしまった木は、残念ながら伐採するしかありません。

私たちの農地に植っているオリーブの木は、どうにかマイナス8度で生きながらえました。でも想像してください。子を産んでまもない母親が、その後大手術をして、そして3−4日間大雪の中外にいる状態を。当時のオリーブは、冬がきて冬眠をはじめ、収穫をしてから剪定した状態です。剪定を冬にする理由は人間だと麻酔のようなものです。痛みやダメージを最小限に抑えるためです。でも、その後いきなり30度の夏が来た。4月頃、オリーブは冬眠から目を覚まし、手を広げて若葉を育てていきます。5月6月の開花に向けて成長を始めるのです。そんな最中、いきなりマイナス8度の風と大雪。若葉は全て焼け、剪定で弱っている体はさらに大きなダメージを受けました。

寒さによる被害

寒さによる被害は、すぐには見ることはできませんでした。葉っぱが落ちてるな、ちょっと焼けてるな、ぐらいです。でもその被害は、開花前から顕著に見えるようになりました。まず、枝が伸びない。そして枝が伸びないということは花もつかない。前年度の収穫量に比べると20%ほどしか実はつきませんでした。そしてその実も、大きくなることなくすぐに落ちてしまいました。

オリーブという木

ここでオリーブという木について説明したいと思います。オリーブは「永遠に生きる木」というニックネームがあるほど、長生きする木です。樹齢2000年も普通に見ることができます。実際「永遠に生きる木」と言われるのは、いつまで生きるか人間の歴史では計りきれないからでしょう。

そんなオリーブがなぜ「永遠に生きる」のか。それはオリーブの生態系にあります。オリーブにとっては、母体(木)が一番大切です。私たちは、自分よりも子供を、とどうしても思ってしまいます。自分よりも子供を生かせたい。それが私たちの本能かもしれません。でも、オリーブにとっては全くの逆なのです。母体が水が足りないと思えば、実から吸収します。母体がもう疲れたと思えば、まず実を落とします。母体が今年はやってられん、休憩しようと思えば開花しても全て実を落としちゃうのです。つまり母体が全て。だから長生きできるのだと私は思っています。

こんな奔放なオリーブなので、農家にとってはとても大変で、丁寧にストレスがないようにケアしてあげることが大事です。意外とオリーブってめんどくさい子なんです。甘やかすと育児を放り投げるし、逆に厳しくしすぎても育児を放り投げる笑 でも、どんな年でも、何百歳になっても必ずオリーブを私たちに与えてくれる。だからみんな丁寧に育てるのかもしれません。

とても不思議な木なんですよ、オリーブって。私もたくさん学びました。特に疲れたら休んでいいんだ、という精神はとても大事だなと気付かされました。

私たちの転機

私たちが自社製品を作ろう、と思ったきっかけは、この2019年春の寒い1週間でした。予想どおり2019-2020年度はオリーブはゼロ。そんな冬に私たちは、自分たちのオリーブオイルを作ってみよう、と思ったのです。

それは、今後も4月にいきなり雪が降ることがあるかもしれない。開花の5月に降るかもしれない。毎年オリーブが取れなくなることがあるかもしれない。すごくネガティブなイメージですが、農家としてはそういうことも考えておかなければいけません。

私たちは今までオリーブをオリーブオイル工場に売って、他の農家のオリーブたちと一緒になってしまっていただけでした。でもあの春を経験した後、一生懸命生きているオリーブの1年を、自分たちのボトルに詰め込むことで残してあげることができると思ったのです。そして「私たちのオリーブが今年も一年頑張った成果なんです」と誰かに共有することができるようになる。それがLe Petrulleの始まりでした。

あの春から数年たち、Le Petrulleが生まれる冬を毎年待ってくださる方がたくさんできました。こんな読みにくい名前なのに笑(私もいまだにうまく発音できてないと思います笑)。石(Pietre)が訛ってできた単語ですが、本当に私たちの農地には、石灰石がゴロゴロ転がっています。大きいのだと2mx2mサイズものも。祖先は、こんな石がゴロゴロの農地を、少しづつ石を砕いたり取り除きながら今の農地にしてくれたんだなと思うと、胸が熱くなります(私たちも今年同じことを2ヶ月かけて葡萄畑でしたのですが、100年前はそんなに大きなトラクターもないですしね。。)。

あの春がなかったら、私たちはまだオリーブを販売していただけだと思います。私もきっとオリーブオイルにそこまで愛着も湧かなかったことでしょう。転機は私たちだけに訪れたわけではなく、あの春から、今まで大量生産ばかりだったプーリア産のオリーブオイルが、少しづつ品評会で金賞を取るようになったり、みんなQuantityではなくQualityに目を向けるようになった気がします。これはとても嬉しい転機です。

いつか石がゴロゴロした農地を見に来て欲しいなと心より思っています。その際は精一杯ご案内します。そして一緒に、オリーブの1年がたっぷり詰まったオリーブオイルを使った料理を楽しみたいですね!

ここまで読んでいただきありがとうございます!次回の #オリーブストーリー  はノベッロについてご紹介したいと思います。

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