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新日本プロレス史#2【80年代前半】

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ストロングスタイル

#1で書きましたが、ライバル団体の全日本
プロレスが潤沢な外国人の選手層で、華やかな
アメリカンスタイルの試合を提供していたのに
対し、新日本は、
「プロレスこそが最強」
「世界一」
というキーワードを唱えるようになります。
猪木が怪物級の選手との試合や異種格闘技戦を
おこなうことで、全日本との差別化を図り、
新日本>全日本という構図を作るとともに、
新日本=最強というブランドを確立していき
ました。
試合スタイルも、体と体のぶつかり合いだった
全日本に対し、猪木の試合スタイルは投げ技や
関節技、グランドテクニックを駆使した、異種
格闘技戦にでも対応できるものでした。
実際、私自身も当時は、猪木こそが最強と疑わ
なかったし、新日本と全日本の興行戦争においても、新日本が優勢に見えていました。
この猪木の試合スタイルこそが、後にストロングスタイルと呼ばれるようになったと考えて
います。
ストロングスタイルにはこれといった明確な定義はないのですが、強いて言えば、「どんな相手にも対応できる」スタイルがストロングスタイルと言えるのではないでしょうか。
以降、このストロングスタイルというフレーズが、新日本の代名詞となって支えていくことになります。

IWGP構想

また、新日本はもう1つのキーワードである
「世界一」にも言及します。
それが、プロレス世界最強を決めるという、「IWGP構想」です。
IWGPとは、International Wrestling Grand Prixの略で、世界中のトップレスラーを集め、リーグ戦で世界最強を決定するというものでした。
IWGPは、今でこそタイトルとなっていますが、
当時は、今で言うG1 CLIMAXのようなリーグ戦
でした。
これも、世界最高峰の団体、NWAと提携していた全日本へのアンチテーゼだったように思います。

当時の新日本のトップ外国人選手は、
ハルク・ホーガン
私見ですが、ホーガンは2mを超える巨体ながらもよく動き、パワーも半端ない選手でしたが、少々荒削りな印象がありました。
そんな中で1983年に行われた第1回IWGP。
大方の予想は猪木の優勝でしたが、優勝したのはホーガンでした。
猪木がリングインする際に、エプロンでホーガンの必殺技アックスボンバーを食らっての失神KO。
有名な「猪木舌出し失神事件」です。
まさかまさかの結果でした。
そして試合後は猪木が救急搬送。
この試合結果は、地上波のニュースにも流れた
くらいの大騒ぎとなりました。

翌年の第2回で猪木はホーガンにリングアウト勝ちして雪辱を果たしますが、試合終盤に長州力が
乱入し、場外にいた両選手にラリアットを食ら
わせ、どさくさ紛れにリングインした猪木が勝利
したというもので、不透明決着にファンが怒り、会場で暴動が起こりました。
正直、この時の長州の動きについては唐突で、
伏線も動機もわからないままの出来事でした。
IWGPはその後、5回のリーグ戦の後に、1987年に正式に「IWGPヘビー級王座」とタイトル化され、さらにこれが2021年に「IWGP世界ヘビー級
王座」と変遷していくこととなります。

一方、ホーガンは、日本で得た名声でWWFの
チャンピオンとなってからは、その強さと
カリスマ性からアメリカマット界稀代のスーパースターになります。
絶対的なカリスマを手に入れたWWFは、新日本との提携を打ち切り、全米進出に乗り出します。
当然、ホーガンの来日も途絶え、猪木との完全
決着も未遂のまま終わりました。

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