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酢脂の伝道師が死んだから、少しづつ引っ剥(ぺ)がすところを引っ剥がしていくか。まずはフジに毒されるところから普及した冷やし中華とういろうのあれこれ。

渡辺徹が亡くなりましたか。茨城県でいうと古河という厄介な出身。
3県境も近いこのあたりでタクシーのあんちゃんがバス旅一行に
大嘘ついたことでも知られる(それで半日以上栃木を彷徨って失敗、
だっけ)古河でしたっけ。享年61。

 つまみ食いや酢脂の伝道師としても知られた彼が亡くなったので
語れる食い物に関しても少しやりやすくはなるな、といふことで
少しづつ引っ剥(ぺ)がすところを引っ剥がしていくかと。

 大仰に言うと新幹線にまつわる食文化と、新幹線にまつわる
菓子文化の地軸のずれ、ってヤツなんですが、流石に「大正義ひよ子」
の話をするつもりはない。

あれはもともと福岡県飯塚の銘菓で、埼玉の草加にひよ子を
持ち込んで関東圏で売り始めたのは当時のオリンピックや
新幹線の開通に合わせて持ち込んできた戦略がたまたま現代に
至るまで継続しているからにすぎない。

 なので、ここで取り上げるのは「冷やしラーメン」って
あやふやな名称を軸にしてモノを売るのは良くないよね、
をベースに冷やし中華に酢脂ブチまけた文化の変遷は独自に
引っ剥(ぺ)がす作業から行こうかと。

 もともと酢脂を日常的な調味料として日本で独自に作り
進展していたのは福島の相馬地方、と言われています。
 なので醤油などと組み合わせて漬物のディップなどに
使ったりしていて、冷やし中華に入れる習慣と結びついたのは
かなり後年になってから、と聴きます。

 そして名古屋圏に冷やし中華へ酢脂ブチまけた文化を
提唱したのはスガキヤと言われて久しいですが、この時の
名称がやはり引っかかる。

冷やし中華に酢脂という文化を始めたスガキヤでは、
1957年ごろから「冷やし中華」ではなく「冷やしラーメン」
として提供されました。冷やしたラーメンスープにお酢と
酢脂を溶かしたものを混ぜていたといわれています。

やはり混乱をきたす「冷やしラーメン」はこれだけでも
3種類あるってことか。第一義は山形の「冷やしラーメン」。
第二義が北海道や岩手で言うところの「冷やしラーメン」で
北海道には縮れ麺文化が、岩手には冷麺を始めとした3大麺
を中心にした麺文化があり、この地域は「冷やし中華」
というよりも基本的に「冷やしラーメン」って名称で提供
されるケースが多いと。

「栄屋本店」での提供は1952年から。

で、感覚的にこの文化が関東で遊ばれ始め徐々に
知られていったのはやはり1980年代の「夕やけニャンニャン」
ではなかったかと。
 よく「夕やけニャンニャン」では景品でフジテレビの
食事券、ってネタがあったわけですが、そのたびによく
強調されていたのがそこで出される冷やし中華で、必ず
それは酢脂がついてると強調されてたものでした。
(まあこのあたりの毒され方も功罪ありけりだとは思うけど。
より後代に移って和歌山ラーメンや徳島ラーメンをラーメン
博物館よりも前に紹介していたのもフジテレビの食堂文化
だとは思うので)

 といふことであのあたりの渡辺美奈代、渡辺満里奈と
とんねるず達との結託感が強いこともあって、不惑を過ぎてから
酢脂を極度に避ける生活しているものとしてはすっかり
受け付けない文化になってしまったのですが、まあこの
あたりをまず引っ剥(ぺ)がす必要はあったのかなと。

でもう一つはここ半年に渡る懸案の課題で、大きく
新幹線にまつわる菓子文化の地軸のずれ、が関わっているもの。
 声優として学んだ部分で常にやらされる厄介の一つは
よくよく読むと小田原である、がわかるもの。
 でも旅先では原材料が違うので、どうしてもこれ喰いたい
を思い出すなら名前も違っていたりするけれど、自ずと
山口のものを思い出す食べ物。
 でもそのどちらをも蹴散らして新幹線にまつわる菓子
文化の地軸のずれ、を引き起こし、懐かしのCMに基づいた
まやかしで何故か妙に偉ぶった地位をひけらかす名古屋
って構図になってしまっているお菓子。

 それが「ういろう」なんです。

 元は薬の形がこの竿状だったことから名付けられた
説が有力。「外郎売(ういろううり)」で口上を
述べるのはこの薬(透頂香(とうちんこう))の効き目
を並べ建てるのが本来であると。
 もう一説は外郎薬を献上した際に出された口直しの
添えられた菓子を「ういろう」というようになった説と。

なのでういろうの元祖は小田原外郎家なんですが(ここは
透頂香(とうちんこう)も菓子の「ういろう」も販売)、
発祥の地を小田原とはしていない。
 既に江戸時代には全国各地に広まっていたものとされる。

 味の出来としては圧倒的にわらび粉を使った山口の
ういろうが群を抜いている。
 上に上げた季節の菓子としても極上の「豆子郎」は
味がホントに素晴らしい。
 ばりそばと「豆子郎」食べにまた山口は行きたい、
と断言できる。

 ケンミンSHOWで取り上げられたのは御堀堂(みほりどう)
の方かな。

山口のういろうのレベルはホントに高いです。

 これらに比べてしまうとやはりプラットフォームで販売
していたのと新幹線でも採用されたことだけで知名度だけは
あるけど元が生せんべい系と結びついた名古屋のういろうは
やはり特長的な部分で火事場泥棒的に落ちる。

まあ昨年あたりにはオールスター大復活、って話題もある
にはあったんですが。

これで八十亀ちゃんのストーリーも一部ウエイトかかって
たんだっけ。

 まあひとまず酢脂の伝道師も亡くなったので、フラットに
出来そうな部分は増えるかな、と。やっとここまで言及
出来たので、これらを踏まえて「すあま」「すはま」「しょうゆ
餅」「ういろう」問題を進展させるための布石は打てたかなと。

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