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どうしてJリーグで唯一ベルマーレ湘南の練習グラウンドは大雨で水没してしまうのか

これは確かにやる夫で学ぶJリーグの旅の
(特に依怙贔屓が強いことで知られるが、
それは屈強なドMしか残らなかったことでも
知られる)ベルマーレ湘南の項目で経緯を
観れば一目瞭然なんですが。

で、基本的には、

強引に横浜フリューゲルスが消滅した話。

何故横浜「F・」マリノスなのか。
といふ話と
横浜FCで伝承される『うんこマリノスの歌』
は何故存在するのか。

って話が同根で、

水戸ちゃんが抜けたので水没してしまう
練習グランドはベルマーレの馬入(ばにゅう)だけ

屈強なドMしか残らなかったベルマーレ

RIZAPに買われるまでの迷走と
「犬伏の別れ」、その崩壊

って一連があって、

そのたびに立ちはだかった山口素弘監督

常にどうしようもないゼネコン・佐藤工業
って話と
だから永遠に中山道トンネルリニアは理解
を得られるワケがない。

ってのが繋がってくる、って話をしたいかな、
といふ骨組みでお送りして行きたいかなと。

では、一つ目の同根。

『うんこマリノスの歌』に関してはみやーん
さんがまとめてた『佐久間宣行のオールナイト
ニッポン0』の記事に詳しい。

何故ニッポン放送のリスナーがやけにJリーグ
に詳しいか、といえばかつてJリーグの速報で
全国的に優越と独占権を得ていたのがニッポン
放送たった、ってのが多分挙げられるのかな、
と思うんだけど(だから今でも地域FMで
アウェイ実況はOKだが、ホーム実況が許されて
いないケースがまだ残ってたりするんだっけ)。

で、一つ目の同根と3つ目に繋がるファクターに
なる本がこれになるとは思うのですが。

9784537026887
日本文芸社
山口素弘
横浜フリューゲルス 消滅の軌跡

「新聞やテレビで、もうご存じだと思いますが、
合併ということになりましたので・・・・・・」
その言葉を聞いたとたん、ボクはキレていた。
 そうじゃないだろう。まず最初にマスコミに
先に流れてしまったことを謝罪するのが最初
だろう。ココロのなかでそう叫んだときは、
もう聞く耳を持たなかった。

山口素弘「横浜フリューゲルス 消滅の軌跡」p43-44

これで横浜フリューゲルスは天皇杯優勝を
置き土産に消滅し、ANAがマリノスのスポンサー
に遷ったので、いまいましい「横浜「F・」
マリノス」になっているわけで。

『うんこマリノスの歌』はその強引かつ腐った
ゼネコンの事後処理が引き起こした酷い流れを
後々に至るまで「忘れない」ことを主眼にして
伝承されて来たもの、と解釈すれば、ここに
大事な精神と痕跡を見つけることくらいは出来る
ものなんで。

で、3つ目に繋がってくる話はどこかで一纏めに
してあったっけ。ちょっと探して並べてみます。

いっこ自分で纏めてた「康快役に立たず」粗年表
ってのがあったので、その項目の「1998年10月29日」
って項目から引いてまずは並べて置きます。

記者発表前にマスコミから出し抜かれる形でマリノス
とフリューゲルスの合併が突然発覚。
 後に(奇しくもW杯開催の2002年に)経営破綻した
W杯推進ゼネコン準大手の一つ佐藤工業が経営不振で
撤退し、後継の出資企業に名乗り挙げるところも
なかったために日産に泣きついた「横浜トラスト」と
迷走の「フリエな歴史」がここから開始されるわけで。

(ちなみに佐藤工業自体は2003年に川田工業・若築
建設を支援企業として更生計画が認可され、2009年に
会社更生手続が終結している)

(→横浜FC。1999-2000年新・JFLで優勝。
Jリーグ加盟後は2002年に藤原紀香のノリカネットを
スポンサーに面白信藤体制とモネール加入で話題を
集め、2003年には城彰二加入、2005年のレオック
ジャパン(後のONODERA)体制後は足達勇輔監督と
世代交代の波で打ち寄せられたカズ、望月加入と
山口素弘の復活で下地を作る。そして2006年に
足達監督を1試合で解任し高木琢也を据える電撃的な
監督交代からアウグスト、故アレモンのフィットと
「ティッシュ」城彰二(*)をはじめとしたベテラン勢、
そして内田智也やGK菅野孝憲らの若手が融合した
堅牢な守備力でJ1に昇格する)

(*城彰二はこの辺りの契約更改で名言を遺した為
この頃は「ティッシュ」と呼ばれていた。曰く
「これでは、ティッシュも買えないよ。自分も30歳で
移籍金も無いし、最後のチャンス」(2005年12月))

で、こっちが2014年頃に投下したことのあるコメント
だったっけ。

佐藤工業は2009年に会社更生手続終結。だけどその後も
致命的な事故を起こしていて4人の犠牲者を出した新潟・
八箇峠トンネル事故を担当していたのが佐藤工業。
 これの引き金があって山口素弘が監督になってから
初めてのブーストを叩き出した6月の大躍進までがある
意味ひとつの様式美だったような。
(その意味で言うとラモスと岡山一成との関係のように、
佐藤工業とは真逆の軸に山口監督はいるんだな、と思うが)

で、八箇峠トンネル事故を起こしてもなお、しぶとく
Jリーグのスポンサーにちょこっといたり、ゼネコン
チームで性懲りもなく中山道トンネルリニアに参画
していた事実があるから、少なくともモトさんの目の
黒いうちは、佐藤工業が許される余地はこの世のどこにも
ないし、中山道トンネルリニアの実現性は静岡県だけが
状況を硬直化させているだけでなく、限りなく「ゼロ」
なんだ、といふことがある程度把握出来るのかなと。

では1と3は大体語れたので、2の一連を。

もう一つ自治体から邪険に扱われて事態を打開出来ず
「おひとりさまブラック労働」を軸に「ガルパン」から
蒙を啓いていったのが「水戸ちゃん」こと水戸ホーリー
ホック。

(関係なくはないけど日本テレビの水卜(みうら)
アナウンサーがはやばやと「ミトちゃん」って呼ばれ方
になったのはその前にホーリーホックが「水戸ちゃん」
と呼ばれる素地を作ったから、そんなにも早く「ミト
ちゃん」が浸透したものだ、とは思っているのだけど)
(水戸市にあった「ホーリーピッチ」は2011年にも
水没してたんだっけ)

その「おひとりさまブラック労働」をちょっとでも
労働法に抵触する周辺にブチ撒けたので社長交代を
せざるを得なかったのは残念ですが、やはり成果は
あって、それまで水没する練習グラウンドしか持って
いなかったチームは周縁自治体とタッグが組めるように
なり、城里町にクラブハウスと練習拠点「アツマーレ」を
確保することが出来た成果もあったと。

で、チキンゼネコンと化したフジタが断末魔のように
やらかしたので、チーム消滅までには至らなかったが
『銀英伝』の「トイレをこわされた戦艦」ユリシーズ
のような姿にされたので、産能大に売られた練習場は
取りあげられたまま、水没する馬入(ばにゅう)グラ
ウンドでベルマーレはまだ練習していると。

で、そこで出てくるのが大言壮語と歴史的介入がいつも
止まらない「いだてん」の駅伝にも先祖出まくりだった
河野洋平だった、ってのがあるけど、「カブラルロブレク
ラデリッチ」ってサンバルカンの召喚魔法使うのもまあ
長くなるし、そのあたりはまた後日語る、ってことで。

ひとまず標題の部分までは辿り着けたかな。
どうしてJリーグで唯一ベルマーレ湘南の練習グラウンド
は大雨で水没してしまうのか、をつらつらと書いてみました。

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