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なぜ私は広島式お好み焼きを「リスペクトベース」に置き、細もやしうどん玉派で混ぜ焼きの成れの果てを歯牙にもかけないのか。 

ま、これを以て「#自己紹介」にブチ込もうとしている
時点でしっかりと狂気じみてはいるのですが、上手く
辿ればちゃんと編年式を経た人格形成と「#自己紹介」
が合わさった遍歴になるのではないかと。

で、まず紐解いて解決しておくべきはソースか。
親がともかく「オタフクソース」を敵視するくらい
毛嫌いしてた人だったので、ベースのソースはかつて
「料理天国」で西城秀樹が紹介していた「ソースと
みりんを1:1で割ったもの」を塗るのがまず家の
定番でした。

次に都下の武蔵村山にいた頃夏休みを使って三度に
分けてチャレンジした東急電鉄のスタンプラリーで
(まあテツ体験の原点の一つ)昼食に寄った広島式
(なぜ式を連呼しているかといえば、やはり「風」は
一番角が立つから。小バカにしやすくされやすい表現
を回避するために妥当な言葉として広島式、といふ
言葉を選んでいる)のでっかいお好み焼きをフリーク
エント(頻繁に鉄道が走っているかの目安で、大体
15分間隔以内だと鉄道の場合は頻繁に走っていること
になる)に乏しかった先の終点中央林間で食べたときに
また世界が変わる。

その広島式は中にハンバーグまで入った凄まじく
ボリューミーな代物だったのですが、目玉焼き、
そば(焼きそば)、ハンバーグ、メイン生地とミル
フィーユされた広島式が革命的に美味かったので、
それまでキャベツとうっすい生地をまとめただけで
ホットプレートで焼くダベリ話のお供だった関西風
から家のお好み焼きは広島式ばかりに変化したと。

で細もやし(ブラックマッペ)を意識するように
なったのは、「クッキングパパ」のもやし回も原作・
アニメともに消化し、広島のお好み村近くで食べて
帰りの車待ちのついでに入れ替え戦でサンフレッチェ
広島が降格するさまを聞いて以降の話ではあったかと。
 野球では稲田、Jリーグでは石崎信弘(ノブリン)
監督と広島に縁があり、広島式のお好み焼きにも
一家言ある元選手と監督が食材探しや焼きの実践を
北海道のテレビ番組で披露・探索する中で、北海道だと
生協を中心にブラックマッペを使った細もやしを手軽に
買える環境は調ってきた、って経緯があったかと。

https://monolog.r-n-i.jp/item/4510696400085

でもう一つ「高い」の一辺倒切りで親がこれまた
敵視してたのが、創業者も本店も亡くなりこないだの
集団レミング疎開&自滅の道を選んだパセオの店も
閉まった風月。だから結局ほぼほぼ風月のお好み焼き
も口にすることが出来なかったから、混ぜ焼きの成れ
の果てに触れる機会も閉ざされていたんだなと。


で不惑を過ぎて節制しようと決めたのが、「なる
べくして、酢脂を意識的に摂らないようにすること」
でした。
 なので問答無用で酢脂をかけたがる一平ちゃん
文化よりはやきそば弁当原理主義へ回帰、問答無用で
酢脂を飾るようにブチ撒ける混ぜ焼きの成れの果ては
真っ先に除け者にする(なので逆に嵌まったのは、
会津屋のたこ焼きと関西のイカ焼きになった→
こちらのルートで関西を中心にした地ソースにハマ
って行くと)がデフォルトになったのだなあ、と。

 そば玉よりはうどん玉のセレクトになったのは
生来讃岐のクオーターであるのに加えて、広島で
食べたうどん玉にフィットしたから。最後にうどん
玉食べたのは松山の宿の近くにあったカープソースの
お好み焼き屋だったような。機会があればまた
食べたいものですが。

まあ「広島焼き」「広島風お好み焼き」の表現は
危うい反発を喰らいやすいので基本的には回避
しつつ、こういう経緯でこちらに落ち着いた味の
好み、といふものは半分人生を語るような代物にも
なるんですな、ってことを提示出来たのであれば
まあまずは幸いかと。

なぜ私は広島式お好み焼きを「リスペクトベース」に
置き、細もやしうどん玉派で混ぜ焼きの成れの果てを
歯牙にもかけないのか、でした。

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