赤ちゃんとお母さんを繋ぐ「声」

十月十日、毎日羊水のなかに響いてくる声。

生物として最初に聴く音って「心臓の音」と」「お母さんの声」じゃないだろうか。

わたしの母はもう亡くなっていて、今のように録音技術も当たり前ではなかった時代だから文字は残っていても、声は残っていない。

だから確かめようがないのだけれど、きっとすこし低めの落ち着いた声をしていたんじゃないかと思う。

背丈150cmもない体格からは高い声が出そうなのに、そう思うのはわたしが女性のそういう声が理由もなく昔から好きだから。

一般的な低めの声が落ち着きがあって云々、というのとは違って、カフェでそんな声が聞こえてこようものなら、目の前のひとの声が全く聞こえなくなるくらい、わたしの耳はその声しか拾わなくなる。

そしてその声を聴いていると、羊水のなかにいた時のことを思い出す(ような気になる)。

街中で懐かしい香水を嗅ぐと一瞬にして当時の景色が目の前にひろがる、あれに似ている。

細胞分裂を繰り返している間もずーっと聞きながら身体ができあがっていくのだから、もう細胞レベルでそこかしこに声が染み込んでいるはず。

だから、母親のところでは安心しているのに、父親に抱かれるとグズるというのは致し方ないのかもしれない。

好きな音楽を聴くと心が落ち着くように、細胞時代から聴いている母の声は安心そのものだから。


そう考えると、この子守唄。
「母の声」がなかったらできていなかったかもしれない。

まだ子をもたないわたしが子守唄なんて、発想にびっくりしたのを覚えてる。
声の質感もそれまでとは違っていて自分でも驚いた。

お月さんからスルスルとおりてきたと思ってたこの曲は、もしかしたら昔、母が歌ってくれてたのをお空から届けてくれたのかもしれないなぁ。

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