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Lesson23 オリジナルな自分を楽しむ

昨日は本当に満足な一日だった。
息子を学童保育に送ったあと
散歩をして公園で瞑想して、
音楽を聴きながらnoteを書いた。

そのまま移動して
カフェでジャーナリング。
帰宅後、桃のパフェを作って
最近お気に入りの曲Never Enoughを聴きたくて
映画グレイテスト・ショーマンを観た。

夕方はこれまたミュージカル『トレバー』を観て
夜はおととい居酒屋で頼みすぎた韓国料理を夕食にして
知人の主催するZoomイベントで、自分の体の一部と歌の掛け合いをして遊んだ。

ずっと夢の中にいたみたいな
ほわほわ漂っているような気持ちで
やりたいことばかりやって
幸せだったなぁ。

繰り返し繰り返し
自分の好きなことに正直であれ、
自分らしくあれ、という
メッセージを受信していたからかなぁ。

今朝、ふと、
フランスに留学していた頃のことを思い出した。
日本で不自由だった私だけど
フランスに住んでいたときは自由だった。
もちろん言葉は不自由だったし、外に出たらトイレに入るのも一苦労、
物価は高すぎるし、差別的な眼差しを向けられたこともある。

でも、心は自由だった。
私は、フランスでマイノリティだった。
見た目ですぐに分かった。
だから、マジョリティのふりをして苦しむ必要はなかった。

昨日見た映画は2本ともアメリカが舞台で
顔ぶれも多国籍で、あんな中で生まれ育ったら
「自分らしく」ということが当たり前だろうな、と思った。

翻って日本は
同じであること、対立しないことが大切で。
息子は髪の毛が天然パーマでくるくるで
しかも伸ばしているから長い。
そうすると、周りが嫌なあだ名をつけたり、
からかってきたりする。
「自分らしく」いようとすると、邪魔が入る。
(ちなみにアメリカ、日本と分けたが、トレバーは自分らしくあろうとしてイジメられる話だったから、そんな単純な話でもないのだが)

マイノリティを堂々と生きられる社会は生きやすい。
マジョリティのふりをしなくていいと、息ができる。
マイノリティはマイノリティである免罪符を探している。
人種は分かりやすい。パッと見てバックグラウンドが違うと分かるから
意見が対立しても、その人のパーソナリティの問題と即座に結びつけられることはない。

でも、見た目に分からないマイノリティは、虐げられるのだ。
それに怯えていた。
イカれてる、ちょっとおかしい、性格が悪い、常識がない‥
そんな評価に怯えていた。

でも、もういいや。
イカれてていい。それが私だから。
私は私。

おかしなことを、大真面目にやる人が好き。
奇祭を見るのが好きで、子どもが生まれる前は奇祭巡りをしていた。
大分の国東半島で、ケベス祭りという由来も分からない奇祭を見た。
お面をかぶった演者が火の上を歩き、最後は火がついた松明を頭上にかかげて観客を追いかける。
体験してもなお意味が分からない祭り。
そんなことを毎年繰り返している人間の営みが愛しい。

アートが好きなのもそういう流れから。
悩みに悩んで苦しんで、一生懸命生み出した作品が一周回っておもしろいのとか大好物で。
知識とか批評とか必要なくて、ただ笑えるってことだけで癒やされていい。

この私の感覚は、この感性は自分でも大好きなんだ。
私のオリジナルなんだ。
よく考えたら恐竜として発信してる今も、オリジナルなんだ。

オリジナルな私をもっと楽しみたい。
一度きりの人生、という決まり文句は好きじゃなかったけど。
今だけ使ってみる。
一度きりの人生、オリジナルな私を生きよう。
誰に何を言われても気にしない。
自分らしく、自分であるということを楽しもう。
ありがたいことに、私は自分らしい自分が好きだ。

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