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スタートライン
ずっと新聞記者になりたかった。
いつからか覚えていないけれど、少なくとも小学生のころにはその気持ちがあったと思う。
作文を褒められることが多かったし、自由に課題を決めていい宿題は小説を書いていた。
高学年になる前に記者体験のイベントに参加して、とても楽しかったことが決め手になったような気もする。
中学生になっても、文化祭のクラス新聞の記事はえらく褒められたし、高校生になっても、いつも怒ってばかりの先生が受験対策の小論文に花丸をくれた。
そんなこんなで、多少気持ちのブレはあったものの、根底には新聞記者になりたいという気持ちがずっとあったように思う。
大学から地元を出て、上京した。
やはり記者になりたい気持ちは消えなくて、新聞を何社か購読したり、出版社でバイトしてみたりした。
それなりに学校をさぼったり、休んだり、全く関係ないバイトなんかもしながら、就活の時期を迎えた。
新聞社と、メディア系を何社か受けて、すべて落ちた。
書類で落とされたところ、学力試験で落とされたところ、面接で落とされたところ。
多種多様ではあったけれど、とにかくすべて落ちた。
結果として、希望していたものとは異なる仕事についたけれど、夢をさっぱり諦めたわけではなかった。
新聞記者は中途採用だってあるし、道はたくさんあるから。
でも、違った。
社会人になって、すぐに気が付いた。
私はスタートラインにすら立っていなかったこと。
人間には二種類、生まれたときから属性が決まっていると、私は思う。
頑張れる人と、そうでない人。
私は後者だ。
根性論とか、気持ちの問題ではない。
「体力がある人」と言ったほうが分かりやすいか。
小学生の頃、朝礼や集会で、私はすぐに座るタイプだった。
呼吸が浅くなり、耳が遠くなり、目の前がゆっくり暗くなり、手足は冷えて嫌な汗をかく。
大人になればそういうことはなくなると思っていたが、私の期待は外れた。
中学生、高校生、大学、社会人、いつになっても同じことは起きた。
暑すぎたり寒すぎたり、寝不足だったり、バスの中、電車の中、いろいろなタイミングで同じことが起こる。
仕方ない、受け入れよう。
人間ってそういうものなんだなと思っていたけれど、違った。
世の中には、夜2時に寝て朝5時に起きても平気な人がいる。
朝礼で一度も座ったことのない人がいる。
電車の中で具合が悪くなって、途中駅で降りたことのない人がいる。
歩いていて耳が聞こえなくなったことも、視界にチカチカ光が走ったこともない人がいる。
新聞記者とか、医者とか、がむしゃらに働かなくてはいけない仕事は、きっとそういう人たちで回っている。
私は、スタートラインにすら立てていなかった。
がっかりすると同時に、なんだか安心した。
今までの人生、どうして私はみんなと同じようにできないんだろうと悩むことも多かった。
みんなができること、当たり前にやっていること、同じようにやろうとしても体が追い付かない。
できないけど、みんながやっているから自分も頑張らなきゃ。
みんなも同じようにしんどくて、つらくて、苦しいけどやってる。
私は気持ちが弱いだけ。
そうずっと思っていたことが、どうでもよくなった。
みんな同じじゃない、同じ条件で戦っていない、そう思うだけで、ふっと気持ちが軽くなった。
しいて言うなら、もっと早く気づきたかった。
このもやもやとした数十年、もっと楽に生きていいんだよって過去の自分に教えてあげたい。
まあでも、今の年齢だからこそ、友人とそういう話ができるわけで、今だからこそ気づける話かもしれないけれど。
今はもう、新聞記者になりたいとは思わない。
と言うと嘘になるけれど、無理だなと、卑屈な意味ではなく、単純に思う。
文章を書くということを、仕事や趣味で消化していくのがちょうどよいなと、自分に納得させて過ごしている。
私の体は変えられないから、寄り添って、心地よい生き方を選んでいくしかないと、今は思う。
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