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“異化する浅草生活” 宿 toe library

浅草駅から歩くこと10分、隅田川のほど近く。クリーム色に光る看板が見えたのは、23時近い夜更けであった。

toe library は本と雑貨に包まれた時間を過ごす宿。オーナーの西尾さんにより買い集められたヴィンテージ品と、人柄の感じられる選書が、カウンターや客室のあちこちに身を置いている。チェックイン時間から大幅に遅れてしまったことに、西尾さんは嫌色を示さず、手厚く迎え入れていただいた。

5階建の小規模ビルのうち、客室は2〜3階にある全4室。外階段の踊り場にはキャビネットやドライフラワーが飾られているが、ほかに主張する物は置かれていない。無機質なコンクリートの壁面は寂れたアパートにも思え、時間がどこかで止まってしまったようだ。

足音のほか何も聞こえない階段を進み、客室の扉を開けると、壁掛けCDプレイヤーからは柔らかい音楽が流れ、くすみのかかったパステル色の壁は我よと主張し、ほんのりベリー系の香りが鼻奥に通っていく。堰を切ったようにどっと時間が流れ始めたようで、時間を五感で感じざるおえない部屋であった。

細長い客室には間取りの概念が伺え、見え隠れしながらシームレスに寝室と居間が繋がっている。特徴的なのは、居間に置かれる一人暮らしの大きさの冷蔵庫と、その上に並べられた器たちだ。客室にはキッチンがないため、冷蔵庫と器の使い道が無い。それにも関わらず存在感を放つそれらは、幻想のキッチンを見させ、客室が一人暮らしの部屋であるように錯覚させる。プロジェクターで短編映画を居間の壁に写し浴槽からそれを眺めていると、自分が都内住まいの人間であるような、そんな心地になった。

ただ訪れるだけで親しみもない浅草という土地だったが、自分がこの街に過ごす一人であるという輪郭が定まったようで、どこか安心した。

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