だから私は、Twitterと距離を置く

私は暇さえあればTwitterを開いてしまうツイ廃"でした"。一日中スマホにかじりついてTLをチェックし、いいねやRTを連発し、趣味やどうでもいい話題を軽く呟き、たまにスペースをやって。人生をTwitterに支配されかけていたと言っても過言ではないでしょう。

そんな私ですが、4月3日を以て一時的にTwitterアプリを削除。約一ヶ月に渡ってTwitterを絶って生活していました。

理由はいくつかあるのですが、語り出すと少し長くなりそうなので、更新が滞っていたnoteに思いのままを書き連ねてみようと思います。

価値観や判断基準がバグった

私はここ最近のTwitterに蔓延する空気に違和感を抱いていました。

おすすめやトレンドに表示されるのは、問題行動を起こした個人を晒し上げたり、極右と極左がデマをまき散らしながら言い争うツイート。人々は真偽不明の情報で踊り狂い、自己満足という名の正義感を振り回し、TLは誹謗中傷や罵詈雑言で溢れかえる。もしかしたら、もう見慣れた景色かもしれません。しかし、よく考えてください。どう考えてもこの状況はおかしくないですか?

情報の真偽はしっかりと確かめる。誰のものであろうと、個人情報は慎重に扱う。そして、人が嫌と思うことはしない。大人なら当たり前に理解しているはず。三つ目なんて幼稚園児でも分かる道徳の基本中の基本です。それなのに、疑問に思うこともなく、考えることもなく、むやみやたらに怒りや悪意を含んだツイートを吐き出し続けている。ネットリテラシーの崩壊と言っても過言ではないと思います。

もっと身近な話をしましょう。エアリプで人をけなしたり、些細な理由で言い争いをしたり、間違いを指摘されて逆切れしたり、気に入らないからリプライや引用RTで喧嘩を売ったり。上記のものに比べれば大したことのないように思えます。でも、こんなことをリアルでする人は中々いませんよね。

自分も含めてですが、心のどこかで「匿名だから」「相手の顔が見えないから」何をしてもいいと思ってしまっているのでしょう。それが何らかの理由でどんどん肥大化して、気付けば他人を傷つけるようになってしまう。もしかしたら、自分でもそのことに気付けていないのかもしれない。そうなってしまう環境は、はっきり言って異常だと思います。

他人事として読み流し、聞き流しているつもりでも、そういったツイートを目にしていれば少しずつストレスが溜まります。そして、我々の認識を少しずつ歪め、心の健康をむしばんでしまうのです。



これは私が身をもって経験しています。

私は世間で言うところのメンタルが弱い人間です。ネガティブ思考、繊細、喜怒哀楽に敏感、常に周囲の目を気にしている。こうした個性を持っているからか、やはりストレスを溜めこんでしまいます。しかし、そういう人ほど家族や友人に悩みを打ち明けられないもので、心のどこかで気持ちを吐き出せる場を求めてしまうのです。私は恥ずかしいことに、その場にTwitterを選んでしまいました。

心のどこかで「匿名だから」「こんな場所でならボヤいてもいいだろう」と思っていたのかもしれません。私はTwitterを使うにつれ、ネガティブなツイートが増えていきました。特に、今年に入ってからはより一層その量が増えたように思います。活動が上手くいかない苦しみやフォロワーに対する甘え、フォロー数の増加やおすすめ表示によるTLの治安の悪化。元よりストレスを溜め込みやすいのに、ストレスの温床に自ら身を投じ、ストレスをブチまけ、またストレスを溜めて帰る。負のスパイラルに突入していました。

気付きましたか。いつしか私は「当たり前のことが考えられない」状態に陥っていたのです。この間に、自らの存在を否定してきた人に怒り、考えの違う人に論争を仕掛けたりもしました。この時の私は呟く際に「このツイートを人がどう感じるか」というところまで気を回せなくなっていました。



そして結果的に、努力も、好きなものも、仲良くしてくれた人も、全てを否定してしまう大失敗までしてしまったのです。そこで私はネガティブな発信をし続けた自分に気付きました。その時は驚愕し、そして大きなショックを受けたことをよく覚えています。

いや、気づいているにも関わらず、いいねやRTに目が眩んで目を背けていたのかもしれません。

ここにいると、ストレスが増幅され、心が揺らぎ、正常な判断ができなっていく。正常な精神状態とは言えなくなった今、Twitterはやらない方がいい。そう判断した私は、スマホからTwitterのアプリを完全に消去しました。

Twitterを消して感じたこと

結論だけ言えば、Twitterを絶って正解でした。所持するアカウント全てを消してもいいと思ってるほどです。アプリを再DLした今でも、一定の距離を置いて使用しています。

消してすぐ気付いたのは人生がTwitterに乗っ取られていること。電車の中、レジの待ち時間、ドライヤーをかける途中。ほんの少しでも暇があると、反射的にTwitterを開いてしまう。生活中のありとあらゆる時間がTwitterと結びついているのだと実感しました。

しかし、消してしまえばTwitterに浪費していた時間は何でもできる自由時間に早変わりです。アニメや映画を見たり、小説を読んだり、ランニングをしたり、積んでいたゲームをしたり、こうしてnoteを書いたり。私は色々なものに時間を使えるようになりました。スマホ自体に触る時間が減るので一石二鳥です。

何より、負のスパイラルから抜け出せたことが私には大きい。前述したように、Twitterには怒りや悲しみ、悪意を含んだツイートが大量に流れてきます。見ているだけで少しずつ精神が摩耗していき、いつしか自分自身もネガティブに浸かり、ツイートをする側に回ってしまう。なら、その根本的原因であるツイートをする・見ることが出来なくなれば、強制的にスパイラル脱出。精神に余計な負担をかけることもなくなります。メンタルが弱いと言っても、リアルでTwitterほどストレス源に溢れかえっているわけでもありません。

これで失っていた価値観と判断基準、そして心に余裕のある生活がようやく私の下へ帰ってきました。

Twitterに悩んでいる人へ

Twitterとの付き合い方に悩んでいる方は、それなりにいると思います。やめたい・離れたいという気持ちはある。でも、不便な要素もあってやめられない。

ただ、一歩引いてみてください。Twitterへの見方が一気に変わります。前述したような気付きや趣味趣向の広がりを感じ取れるようになると思います。

Twitterでやりたいことがあるなら、それに合った使い方を考えるのも手です。好きなコンテンツの情報がいち早く欲しいなら、公式アカウントやニュースサイトだけをフォローしたアカウントやリストを作る。推しのツイートを見てリプライを送りたいなら、アカウントを思い切って推し活に特化させる。仲のいい人との繋がっていたいなら、鍵垢を作ったりサークル機能を利用する。色々なことをするよりも、やりたいことに応じて使い方を変えたり新しいアカウントを作った方が、余計な負担をかけずにTwitterを使うことができるでしょう。

おかげで私は今、距離感と使い方をわきまえた上でTwitterを使用することが出来ています。用途に応じたアカウントの使い分けを実践していますし、アプリ自体もホーム画面を取り除いてすぐに開けないようにしています。

嫌なことに時間を割いてしまうのは勿体ないです。しんどいと思うなら、無理にTwitterに沼る必要もありません。距離を置きたいと思うなら距離を置いて使えばいいし、もうやめたいならやめてしまえばいい。グダグダ悩まず、そこはキッパリと判断した方がいいと思います。

はっきり言って今のTwitterは色々な面で見ても暴力的です。何も考えずに使っていれば、無限に溢れ出てくる情報や感情の濁流に少しずつ飲み込まれてしまう。図太かったり、自分の芯を持っていたり、割り切ることができる人なら大丈夫かもしれません。しかし、みんながみんなそうではないし、それができれば苦労しません。

自分に合った使い方を見つけてください。合わないと思うならやめてください。大丈夫です、距離を置こうが、やめようが、なんとかなります。Twitter、もといSNSは人生の必需品ではありません。自分の気持ちを大切にして、自分のための決断をしてください。その判断は多分間違っていません。

だから胸を張って言います。

「だから私は、Twitterと距離を置いたんだ」と。




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