老舗喫茶店@渋谷

フリーライター田所洋介は、日々の締め切りという名の魔物に追われながら、都内近郊のあちこちのカフェに出没する。田所が理想とするカフェの条件は、Wifiと電源が完備されていることであり、適度な作業スペースが確保されたテーブルの広さがあることであり、周囲が騒がしくないことである。しかし、時にはWifiや電源、適度な作業スペースがないカフェに赴くこともある。そう、純粋にカフェで羽を休めたい時だ。田所は今日、懇意にしている渋谷の喫茶店にてコーヒーを楽しんでいた。

渋谷の駅を出て宮益坂を少し上り、左手に入った坂の途中にその喫茶店はある。小さな山小屋のような外観をした店先には、華道家が活けたような緑が飾られており、店名入った看板ともに、ただ一言「珈琲」と達筆の字体で書かれたプレートが下がっている。田所はこの喫茶店に来るときだけは、例外的に仕事を持ち込まないようにしていた。この喫茶店は、渋谷という喧噪の中にありながら不思議なオーラで守られた一種のオアシスなのだ。

田所は木製のカウンターに座ってブレンドコーヒーを楽しんでいた。目の前にはブルーを基調に極彩色の花が描かれた伊万里焼のコーヒーカップ。カウンターの対面に設置された棚には、伊万里焼のコーヒーカップの他、繊細なシルエットのウェッジウッドのコーヒーカップなど多種多様なカップが陳列されている。シルエットも様々で、色とりどりのコーヒーカップは美術館に陳列された作品群のように見える。
この喫茶店では、コーヒーを淹れる店員が客の雰囲気に合わせてカップを選んでいると聞いた。伊万里焼のカップをあてがわれた俺は、古風に見えるのだろうか。そんなことを思いながら、ほど良く深煎りのコーヒーを口に含み、そして飲み下す。いつものカフェチェーンで飲むコーヒーは、あくまで仕事の緩和剤として作用しているが、この喫茶店で飲むコーヒーは、あくまでもコーヒーとして存在している。仕事の緩和剤でも、ビジネス的な打ち合わせの潤滑油でもない、ただのコーヒーだ。

カウンターの中でコーヒーを淹れる中年の男性店員は、シワひとつないシャツをパリッと着用し、ネクタイまで締めている。ネクタイには、きちんとネクタイピンもつけられている。
カウンターに座って男性店員の手際を見ていると、まるで芸術家が芸術作品を作り上げているような錯覚におそわれる。それくらい動きのひとつひとつが洗練されていて、無駄がないのだ。

背の高いレトロなシルエットのやかんが、つねにシュンシュンと心地よい蒸気を立てている。店員は棚からカップを取り出すと、そのやかんからお湯を注いでカップを温める。カップを温めている間にコーヒーフィルタに適量入れたコーヒーの粉に、お湯を優雅に注ぐ。その一連の動きが、とても洗練されている。
ショート丈のカクテルグラスで供されるカフェグラッセは、きりっと冷えたミルクの上に、濃くて冷たいコーヒーを注ぎ、分離した白と黒の層が美しく映える飲み物だ。カクテルグラスにコーヒーを慎重に注ぐその様は、さながら科学の実験にいそしむ冷静な科学者のように見える。

テーブルにそっと置かれた小さなメニューは、店の前に掲げられた看板と同じく、達筆の明朝体でメニューが書かれている。コーヒーの価格も800円以上からと単価が高いが、この静かで荘厳な空気を味わえるなら安いものだと思う。

カウンターの中で、中年男性は冷蔵庫の中からケースに入ったシフォンケーキの皿を取り出し、きわめて慎重にカットした。1ミリのくるいもないであろうシフォンケーキのワンピースを皿にのせると、小さな銀色のフォークとともに田所の前に静かに置く。
田所もまた、慎重にフォークでケーキを裁断し、ひとかけらを口の中に放り込む。甘すぎないクリームとふわっとしたケーキの生地が田所の日頃の疲れを優しく包み込む。

やはり、この喫茶店は俺にとってオアシスなのだ。

田所はそう思う。ふと、過去の出来事が頭によぎる。そういえば、あれは10年も前だろうか。以前の職場の仲間たちと近場で酒を飲んでいて、急に珈琲が飲みたくなった。よせば良いのに「良い店を知っているから」と、この店に酔っ払い5人で来店したのだ。店の奥の大きな丸テーブルに腰かけ、5人は酒の余韻とともに大声で与太話を繰り広げてしまい、女性店員から注意をうけるはめになった。

田所は、さらにシフォンケーキをもう一口食べる。

そういえば、こんなこともあったな。

小雨が降っていたあの日、田所は今日と同じようにシフォンケーキを食べていた。あれは10年以上前だろうか。あの頃はチョコバナナシフォンケーキなる、溶かしたチョコでコーティングをほどこしたシフォンケーキがメニューに載っていた。連れとこの店を訪れた田所は、カウンター後ろのテーブル席に腰かけ、シフォンケーキとともにコーヒーをオーダーした。その時もまた、今カウンターの中にいる中年男性がコーヒーをテーブルまで運んでくれたのだが、手元が狂って田所にコーヒーがかかってしまったのだ。店員は平謝りし、田所もたいしたことじゃないから、と声をあらげることはなかった。店員はお詫びとしてシフォンケーキ代を無料にしてくれた。

しかし、と、そのことを思い返す。

あの時、来ていた洋服はクリーニングに出すはめになった。思い返せば、シフォンケーキ代はおろかコーヒー代もタダにしてくれても良かったのではなかろうか。いや、さらにクリーニング代を出してもらっても、良かったようにさえ思う。

ふと、我に返る。目の前の男性店員は、銅製の小鍋でミルクを温めている。芸術的な手つきでカフェオレを淹れるつもりらしい。世の中の喧噪を離れ、羽を休めるために訪れたこの店でも、かつてはこのコーヒーのように苦い思いをしたこともあったのだ。しかし、時間というものは不思議なもので、時間が経つと苦いどころか、かけがえのない思い出へと変わるのかもしれない。

田所はふっと目を細めると、ポケットからカバーが取れてむき出しになった文庫本を取り出した。まだ世の中の喧噪に戻るには早い。今日は、もう少しここで羽を休めていこう。

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