江戸再考 part2


元禄バブルを謳歌した後、江戸中期(明和元年1764年)には米五万石・金五万両の大赤字・・




以下私見です

元禄は1688年から1704年です

果たして元禄バブルがあったから幕府の財政が火の車になったのでしょうか?

もう一つの重大な事実があります

1707年 宝永地震と富士山宝永噴火



宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 [注 1])を震源域として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされている




現在の宝永火口と宝永山ができるような富士山の大噴火です

歴史家のみなさんにお聞きしたいが

これはその時点の幕府の赤字に無視できるほどに影響がなかったのでしょうか?

元禄バブルで幕府の赤字の前提が覆ってくるとなると

番組の論理構成自体が覆ってはきませんか?


ひょっとすると

これは明らかなるミスリードではないのですか?









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?