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敬老の日、祖母の家で金品を漁った

2023年9月19日、敬老の日。わたしは、父方の祖母の家で金品を漁っていた。

およそ20年ぶりに足を踏み入れた祖母の家は、記憶よりも広かった。

これは不思議なことだ。大人になって体が大きくなると、人は幼いときに見た景色を、「こんなに小さかったっけ」と感じることの方が多いと思う。

最後に来たとき、私はまだこの家の全容を知らなかったのだ。1階の居間と台所、仏壇間。高さ120センチほどだった私の視界に入っていたのはそれがすべて。それ以外の部屋には、入ることを許されなかったのか、自分から敢えて行こうとしなかったのか。

好奇心は強く、けれど空気は読む子どもだったので、どちらかはわからない。どちらもかもしれない。

なのでこの日、驚いたのは1階と2階あわせて部屋数が6つもあること。こんなに大きな家だったのか。

そして、部屋はすべて、というか部屋をはみ出て廊下にまで、モノが溢れかえっていた。これには驚かない。母から事前に様子を聞いていたからだ。

90を超える祖母は、生きてきた年代的にも、本人の性格的にも、とにかく「捨てない人」である。

最初に荷物を置きに行った7畳ほどの居間には、中身がパンパンに満たされた収納棚が3つも4つもあるのに、さらに床一面がモノで埋め尽くされていた。大物は椅子・ちゃぶ台などの家具類と健康器具で、その上にも下にも、何かが詰め込まれた箱や紙袋が埃をまといながらひしめきあっている。

あまりこの言葉を使いたくはないけど、”バラエティで特集されるごみ屋敷”といったら、様子を想像しやすいかもしれない。

本日集いし我々(両親、私、そして手伝いに来てくれた母の友だち)5名の任務は、この山の中から、銀行のカードや通帳・印鑑・金庫の鍵・現金などなど貴重品を見つけ出すこと。

”宝探し”あるいは”トレジャーハンティング”と両親は言った。家主の留守中に金目のものを探しにいくので、実態は”空き巣”である。

この家の主、祖母と叔父は、先々週の金曜から不在である。

先日、叔父が倒れたという知らせを、父から受けた。彼もまた、20年ほど会っていない、私にとって幻のような存在だ。

叔父はこの数十年、ずっとひとりで老いた母(つまり、わたしの祖母)の介護をしていた。

倒れた背景は、ここでは”介護疲れ”とだけ書いておく。

現在、叔父も祖母もそれぞれしかるべき施設に入居し、介護を受けている。ふたりに当面、安全で快適な居場所を用意するには先立つもの=お金が必要となる。

しかし、祖母はさすがに年なので「どこに何を置いてある」などの記憶が曖昧。実際に通帳やらカードやらの貴重品を管理していた叔父は、いま、事務的な話を落ち着いて聞ける状態ではないらしい。

と、いうわけで、祖母の曖昧な記憶を手掛かりに、この膨大なモノの山々から”宝探し”をするというわけなのだ。

私は、2階の祖母の部屋を持ち場として充てられた。そこは、相変わらず埃っぽいし正体不明の紙袋が隅に山積してあるけれど、居間よりはすっきりとして、畳敷きの床も見えていた。

部屋を主に構成するのは2つの箪笥と、ベッド、サイドテーブル、簡易トイレ。家具類には少しずつ、ひとの使っていた気配が残っている。祖母が生活していた気配だ。

彼女が入院してからもう10日経つのに、まるでほんの少し用を足しに出かけているだけで、すぐに戻ってきそうな気がする。寝食も、それこそトイレさえもこの部屋で済ませていたわけだから、それだけ生活の残り香が濃いということなのだろう。本当に祖母がここにいたら、そもそもトイレをしに部屋の外へ出ることはない。

この持ち場は実のところ責任重大で、どうやらあらかたの貴重品はこの部屋に集められているらしい。ここに目当てのものがなければ、家じゅうを大捜索する必要が出てくる。

結論を言うと、そこまでの心配は不要だった。部屋に入ってすぐにある箪笥の、それも一番上の段に、だいたいの目当ての品物はきちんと揃えられていたためだ。

これだけモノにあふれて、そこらじゅう埃にまみれた家なのに、大切なものが紛失されていないことには感嘆した。私の家は、モノの量は半分くらいだけどいつも大事なものからどこかへ行ってしまう。

通帳やカード類など最重要アイテムは見つかったので、あとはそのほか、この先必要になりそうな書類があれば保管すること。そして家のあちこちに潜んでいるという現金を採集することが次なるミッションとなった。

足元に、発見したものを入れる用のジプロックと、45Lのビニール袋を置いて、私は祖母の部屋を漁り続けた。

デパートの包装紙や、誰かから包んでもらった金銭が入っていたと思われる封筒など。”明らかにゴミと思われるもの”は、ノータイムで45Lのビニール袋へ。

”明らかにゴミと思われるもの”とは、我々捜索隊が各自の持ち場を振り分けられたときに出た言葉だ。

「明らかにゴミと思われるものは、捨てましょう。そうでないものは、元の場所へ戻しましょう」

ハンカチとハンカチの間に挟まっていた聖徳太子の1万円札は、ジプロックへ。

まさかのご登場。いつから箪笥に眠っていたのか。

箪笥の中身を見終わったので、次は足元に寄せられていた紙袋軍団に移る。保険の資料や支払い明細が詰まった封筒は、必要性は低そうだけど、ゴミとも言い難い。軽く埃を拭いて元の場所へ。

手にはめた薄手の軍手は指先が黒ずんでいく。けれど、私は祖母の部屋を「汚い」とは思わなかった。すすけて、埃をかぶっていても、ここには秩序があるということが分かったためだ。

貴重品や公的な書類だけでなく、ここではすべてのものが失くされず、家主のルールに従い、あるべき場所に収められている。

すると、祖母の思考とリンクするのだろうか。不要ながらくたのように見えていたものも、段々と判断が曖昧になる。綺麗にたたまれた、伊勢丹のギフト包装紙。これは本当にゴミなのか?

途中、埃で曇ったクリアファイルに入れられた、スヌーピーの絵柄のノートを見つけた。開いてみると、最初の1ページ目にだけ絵が描いてある。

みずやま姉妹が営んでいると思われる、わんにゃんショップの図

ひとめで幼い子どもが描いたんだなとわかる謎の絵(”いじゅいんさん”ってなんだ?)。描いた主は、いつかの私だ。これも元に戻しておいた。

自分の家だったら速攻で捨てるか、もしくは残りのページを遠慮なく使う。だけどここは祖母の家で、このノートの持ち主は祖母で、そして、自分で言うのも恥ずかしいけれど、孫がたった1枚絵を描いただけのノートは、きっと祖母にとって大切な”宝物”なのだ。

昔から、祖母とは1年に1、2回ほどしか会っていない。それほど離れた場所住んでいたわけでもないが、父方の親類は、一時期半同居していた母方の親類よりも私にとって遠い存在だった。

そのせいか、私は祖母とも基本敬語で話す。祖母と孫なのに、どこか他人行儀がぬぐえない。気づいたらそうなっていた。

紙袋に詰め込まれた書類の間や、引き出しの中を探りながら、寂しさをおぼえた。

いつか誰かから届いた手紙の封筒。サンローランのリップの空箱。箪笥に置きすぎて染みのできてしまった、レースの白いハンカチ。

20年以上も前、孫娘が気まぐれにいたずら描きをしたノート。

それらをすべて、捨てられず、手元にとっておく祖母のことを可愛らしく思い、切なかった。

両親に聞いた話では、私がこの家を長く訪れることがなかったのは、祖母が望んだためらしい。それは決して私が疎まれていたわけではなく、むしろその逆で、大事に思うからこそ、埃の積もっていくこの家と老いていく自分を見せたくなかったのだそうだ。

今だって、祖母本人は私にこの部屋へ足を踏み入れてほしくはなかったのかもしれない。次から次へと出てくるモノたちに、祖母が秘めておきたかった感情や想い出が見えてくるようで、勝手に漁る自分を申し訳なく思う。

そしてやっぱり、寂しかった。わたしと祖母は、どうしてこんな距離を挟んできてしまったのだろう。わたしはもう、フリフリのスカートを履いた女の子の絵をノートに描かない。整体の予約時間とか、スーパーの買い物リストとか、そういうものを書くわたしを祖母は知っているだろうか。

決して不仲ではないけれど、いわゆる「おばあちゃんと孫」のイメージ図のような関係は築いてこなかった。わたしがそういう風にしたわけではない、いつの間にかデフォルトで設けられていた距離感。けれど、それを詰めようともしてこなかった。

祖母はもしかして、怖がっていたのかもしれない。近づきすぎて、わたしに疎まれることを。彼女が「なくすこと」を厭う性格なのは、この家に蓄えられたモノの量が語っている。

そんなことないよと、言わないまでも、もっと態度で示してくればよかった。わたしもわたしで、滅多に会う機会がなく、家にも招かれない祖母のことをいつの間にか「扱いの難しいひと」とインプットしていたのだ。

相手を祖母に限らず、わたしは人間関係に対してネガティブなところがある。ちょっとでも難しいひとだな、と思ったり、本当は仲良くなりたくても「わたしのこと好きになってくれなさそう」と感じる相手にはあえて近づかない。

そんな臆病な性格は、もしかして他でもない祖母譲りなのかもしれない。

高齢の祖母は体の動きもままならないし、健忘症も始まっている。だけどまだコミュニケーションがとれるくらいには頭がしっかりしているし、わたしのことも”わたし”であるとわかるはずだ。(ちなみに、母方の祖母の方はすっかり認知症が進んでいて、もうわたしのことを認識できない。)

今度あったら、大げさなくらい再会を喜びたい。たくさん笑って、祖母の話をたくさん聞きたい。ちょっぴり祖母にうるさがられるくらいだっていい。

古いものばかりじゃなくて、少しでも新しい思い出を祖母に持っていてほしい。


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