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023 平等と不平等 @中国

中国で開発会社を運営する中で、いろいろな場面において日本と中国、その考え方の差を感じるところがあります。

1.働く幸せについて

かつて日本企業で100人規模の新商品開発プロジェクトを統括。最終レビューの時にヒアリングを行った結果、モチベーションが低下する最大の理由は「やらされ感」だという事が判明しました。やりがい=満足感=幸福感 と捉えるなら、現場に近いほど「やっている事の意味を理解したい」ということかもしれません。意味が理解できると自己の期待と役割がある程度は推定出来るので、自分なりのゴール設定と達成感が得られます。ここが「自己判断的な視点」。
次に、相対比較の面が課題となってきます。これは「他者評価という視点」ですが、評価や待遇に対する平等感で組織の中で働く上では重要な側面でもあります。この二つが満たされることによって「やりがい」や「働く幸せ」が湧いてくるのかもしれません。

しかし、この「評価や待遇に対する平等感」は、日中で意識の差が大きい所でもあります。

2.日本における平等感とは

機会や評価は平等であるべきというのが、我々の一般的な感覚ではないでしょうか?戦後これまでの日本、特にサラリーマンの世界では名実ともに「総中流」意識が強かったと思います。会社も組織もこれを前提に賃金、権利、役職などを割り付けてきました。そして一番簡単な方法が年功序列だとも言えます。総中流意識が強いということは、ある意味平等を維持していこうという同調圧力が幅を利かせています。よって、成果が大きくても小さくても、待遇としての差が大きくなってはまずいのでは?といった心情が大きく左右しています。つまり「平等」にとても敏感なのです。現在に比べ圧倒的な人手量と若手労働力が豊富であった昭和。ここで出来上がった人事や賃金体系は、結果の平等性で多数の安堵感を得ることが重要視されていました。

3.中国における不平等感とは

気が付いた方もおられるかと思いますが、平等と不平等という言葉の使い方。中国においては「不平等」にとても敏感です。これには過去の社会的な背景や教育にもよると思うのですが、簡単に言うと「秩序が無かった社会」が前提になっている事が大きな理由だと考えられます。ルールが無い=主張しない限り平等は得られないという背景。何事も「これは自分が不平等になっていないだろうか?」という意識が先天的に備わっているようです。ですので、結果としての評価や待遇が平等であることよりも、評価のプロセスや事の始まりが「不平等」になっていないか?ここが最大の関心ポイントになります。

令和になった現在、上記の様な極端な差は日本、中国において希薄になりつつあります。1980年以降に生まれたパーリンポウ世代は既にグローバル意識も強く、ルールが整った上での社会生活に慣れていますので、日本や欧米の考え方にとても近いです。いわゆるグローバルスタンダードですね。

4.みんな同じは不公平

日本を飛び越え欧米のグローバルスタンダードに近い教育を受けた若い中国の人材は「みんな同じは不公平」という感覚がとても強くなってきました。もちろん、日本の若い人材も同様です。こう感じてしまう原因は、未だにメンバーシップ型が強い日本型雇用と、ジョブ型が当たり前の欧米型雇用の差と言えるでしょう。ジョブ型であれば当然ですが職務内容に応じて賃金が決まるのですから、みんな同じはあり得ないですよね?

最近の日本社会も成果型と言えるジョブ型雇用が認められる傾向にあります。同一労働同一賃金化もその一つでしょう。これから世界の人材と一緒に仕事をしていく上で「みんな同じは不公平」という考え方は世界共通のグローバルルールになっていくと思われます。


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