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【短編小説】青の魔法

大嫌いだった故郷。それを変えたのは見知らぬ三人組と、ある光景。

前作「夏、いつもの始まりを」から緩くつながってますが、読まなくても読めます。

はあ、ホント面倒くさい。

電車の中で女はため息をついた。頬杖をついて外の景色を眺める。窓の外は先ほどからずっと代わり映えのしない木々が映っていた。

未だに板張りの床に一昔前のデザイン、申し訳程度の空調が回る車内。ガタゴトと使い古した部品が耳障りな音を立て、電車はちんたらと進んでいく。女の他には乗客は誰もいない。

「全く何で母さんも人手が必要だからって私を呼び出すのよ。こっちだってそんなに暇じゃないのにさ」

流れる景色がキラキラと輝くビルやお洒落な店からどんどん木や草だらけになっていき、憂鬱が増す。汗で化粧をした肌がべたついて苛立ちを助長した。

「まもなくー駅に到着しますー。お降りの際は足元に気を付けてお降りくださいー」

けだるげな車掌の声がガラガラの車内に響き渡る。

どうせ降りる奴も乗る奴もいないわよと女は悪態をついて聞き流した。

ガタンと一度大きく揺れて電車が止まった。薄汚れたコンクリート造りの小さな駅。周りにあるのはコンビニ一つだけのちっさな駅だ。

……まあ私が行くところはもっとショボいんだけどね。

はあと本日何度目かの嘆息が落ちた。

プシューとドアが開く。生ぬるい風がふわりとまとわりついた。
さっさと閉まらないかしら。こんなところで乗る奴もいないでしょ。私も降りないし。

苛立ちを宥めるために深く息を吐く。入りこむのはうだるような熱気と蝉の声だけだろう。

「ほらさっさと乗るぞ!」
「はーい」
「へいへい。あーめんどくせ」

が、予想に反してどたどたという足音と共に騒がしい声が耳に飛びこんできた。視線を向けると女子一人に男子二人がワイワイと喋りながら車内に乗ってきたところだった。

年齢は中学三年生か高校一年生くらいだろうか。くせ毛のライトブラウンの髪を無造作にまとめた少女、小麦色の肌をしたザ・健康良児みたいな少年と対照的に色白でひょろっとしたもやし少年。三人は向かいに座る女を気に掛けることなく喋り続ける。

「お前ら、せっかく海行くんだからもっとテンション上げろよ!」
「いや乗り気なのお前だけだろ……」
「暑い。だっる」

どうやら三人は海に行くらしい。しかし楽しみにしているのは少女一人だけのようだ。色黒少年は半目でツッコミをいれ、色白の方はけだるげに席に寄っかかっている。彼は一番空調の風が届く席に素早く座りこんでいた。

「はあーホントないわー。女子がせえっかく誘ってやったっていうのにその態度。だからお前らモテないんだよ」
「女子っていってもお前だけどな」
「生物学的に女子に入るだけでお前の中身なんざ女子のじょの字もないだろうが」

ポンポンとテンポのいい会話を繰り広げる彼らをBGM代わりにして女は窓の外を眺める。相変わらず外は手入れもされていない伸び放題の草木しかなかった。

ちらりと彼らに目を向ける。彼らはまだ飽きもせずくだらない会話を延々と続けていた。

あー田舎臭さ。これだから嫌なのよ、地元に帰るの。大人も子供もお洒落の欠片もない奴らしかいない。そんな中にいた自分が嫌ででてきたというのになんで自分は今、この忌々しい土地に戻ってきたのかしら。仕事だから帰れないと適当に流せば来る必要もなかったのに。

女は既に都会の煌びやかな世界が恋しくなっていた。

再び窓の外に向けた途端、ゴオッという音と共に窓が黒く染まる。

最悪。これじゃつまんない景色がさらにつまんなくなっちゃったじゃない。早く抜けないかしら。
女は危うく舌打ちをしかけるところだった。

ガタンガタンという音と人工的なオレンジが等間隔で流れていく。しばらくすると徐々に遠くのほうが明るくなってきた。
もうすぐ抜けると思ったとき、いきなり一席空けた席の上に少女が飛び乗った。ぎょっと目を見開いたが少女は女の動揺など気にかける素振りもない。

「おい、そろそろあれが見れるぞ!」

眩いばかりの笑顔をきらめかせて少女は後ろの二人に呼びかける。

その瞬間ぱっと窓に光が溢れた。

青。見渡す限りの青。

視界にどっと青が押し寄せてきた。

天色と瑠璃色の二色のコントラスト。白波がいいアクセントになっている。いやよく見ると青だけではない。立ち上がる波は翡翠の原石みたいな曇った緑色に輝いていた。のんびりとした電車に合わせてカモメが並走していく。

――こんなところあったっけ?

長い間地元に帰っていなかったからどうにも思い出せない。ぱっとしない地元のどこでもありそうな海の光景だから忘れてもしょうがないかもしれないけど。
しかし心とは裏腹に、女はいつの間にか身を乗り出し食い入るように眺めていた。

「すっげーよな、いつ見てもアットーされるわ」
「だろだろ!私これが一番好き!」

少女と色黒少年は窓に顔をくっつけて盛り上がっている。

「毎年見てるだろーが。飽きねえの?」

つまらなさそうに二人を見つめる色白少年の発言に彼らはバッと振り返った。

「はあ?相変わらず情緒がない男ねー。逆になんで飽きるのよ」
「そうだそうだー。ジョショー? ジショー? がないぞ!」
「情緒だ馬鹿」

ブーイングを送る彼らを面倒くさそうに手でいなして彼は携帯をいじくり始める。

「こんな片田舎の光景に毎回感動できるお前らが羨ましいよ」
「でも田舎だろうが何だろうが関係なく綺麗ものは綺麗だろうが。私はどんなに見ても飽きないね。好きなものは好き。それの一体何が悪い!」

少女の言葉にはっとさせられた。そう言われればそうだ。都会に憧れるあまりいつの間にかここのことを恥じるようになって、ここの良さなんて無いと思い込んで。でも本当は素敵なところもいっぱいあったのに。昔はここが大好きだったのに。どうして忘れてしまったのだろう?

「じゃあお前はそんなに俺たちと海に行きたくなかったのかよ」

しゅんと肩を落とす色黒少年を見、彼は目線をそらしてぼそりと呟いた。

「本当に行きたくなかったらコイツが海言い出した時点で断っていたわ」

その瞬間、二人はぱっと顔を見合わせると彼のもとに駆け寄ってニヤニヤといじり始める。

「おっとツンデレか?かぁわいいじゃん」
「お前は素直じゃないなー本当にぃー」
「お前らうっざ! こっち寄んな!」

再びギャーギャーとうるさくなった車内で女は一人じっと海を眺めていた。


「あーまもなくー駅に到着しますー。お降りの際は足元に気を付けてお降りくださいー」

車内にやる気が一切感じられない車掌の声が響いた。

女は立ち上がってドアの前で待つ。

「帰りはアイス食べるぞ! ソーダ味のやつ!」
「あーあの棒ついたやつ? 当たりでるといいな!」
「いっつもソーダ味じゃん……たまには違うのにしろよ。梨味とかさ」

相変わらず彼らは楽しく会話のキャッチボールをし続けていた。

「ほんっとグチグチ言う男ね。文句いうならナポリタン味でも食べてればいいじゃない」
「何でわざわざはずれを食べなきゃいけないんだよ」
「梨味とか普通の味じゃ面白くないでしょ。な、お前もそう思うよな?」

二人分の視線が色黒少年に向く。お前はどっちの味方をするんだと詰め寄られて色黒少年は苦笑した。

「別にいいだろ。罰ゲームだと思えば」

瞬間、少女は勝ち誇り、色白少年は不愉快そうに顔をゆがめた。

「お前までコイツに同調するのかよ」
「ほら二対一だぞ!」

にしても仲いいな彼ら。久しぶりに自分も高校時代の友達に会いたくなってきた。

プシューとドアが開く。

木造の小さな駅はこぢんまりとした駅員の部屋と改札機が一つあるだけ。昔から変わらないその姿を見たときなぜだか懐かしさがこみ上げてきた。一歩外に踏み出すと湿気を含んだ暑さが体にまとわりつく。背後でドアが閉まる気配がした。

賑やかな三人組を乗せて電車は走り去る。ホームには蝉の声が充満していた。

女はおもむろに携帯を取り出し母に電話を入れる。聞きなれた声が耳に入りこんできた。

『ああ、もう着いたの。茄子の味噌炒め作ってあるからねえ。あんた好きだったでしょ』

実はもう茄子の味噌炒めよりもクリーム増し増しのパフェのほうが好きだったけど、今は無性にあの不揃いな茄子の味噌炒めが食べたくてしょうがなかった。

「そうなの?……うん、分かった。楽しみにしてる」

女は慣れ親しんだ故郷の道を幾分か軽やかに歩き出した。

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