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【短編小説】ジンジャークッキーとホットココア

Merry Christmas!
棚の上の妖精であった二人のある日の晩の会話。

「メアリーはよし。ジェームズもよし。エリザベスもよし。マイケルは……昨日妹のお菓子を盗み食いしたから減点」

 机にうず高く積もった紙の山をさっと目を通し、また次の書類へと目を通す黒髪巻き毛の男が一人。頭には赤いとんがり帽をかぶり、服はというとこれまた真っ赤なジャケットを羽織っている。炎のゆらめきに合わせて丸太の壁に伸びた影もゆらゆら揺れた。

「やあはかどっているかいスーリオン」

 そこに現れたのはこれまた同じ格好をした男だった。顔つきは三十代なのにどこか茶目っ気がある。書類を片づけていたスーリオンがため息交じりに答えた。

「これがはかどっているようにみえるかエルノール。というかお前のほうはどうなんだおもちゃ工場長殿?」
「今のところ順調だねえ。この様子なら何とかクリスマスイブまでには間に合いそうだ。おやまたマイケルはいたずらしたのかい。そろそろいい子リストから外れてしまいそうだ」

 くすくす笑ったエルノールはひょいと紙を一枚とって眉を上げた。仲間たちが書いた羊皮紙の報告書には子どもたちの様子が事細かに記されている。
暖炉の炎が赤々と部屋を照らしているおかげで雪が降り積もる夜も寒くはない。窓の外には続々と子どもの見張りを終えた仲間たちが帰還してきている。

「今が遊び盛りだからな。それにサンタクロースの存在を疑い始める年ごろだ。頃合いなのかもしれん」

 スーリオンは眉間をもみながらふうと息を吐いた。成長するにつれ魔法や自分たちのような妖精たちの類を信じなくなり、やがては離れていってしまうのは、大人になっていく過程の一つではあるのだが、いつまで経っても寂しさを感じてしまう。

「相変わらず真面目だねえ。僕らエルフの中じゃ珍しいんじゃないのかい」
「それでも誰かがやらなければならない仕事だろう。今じゃ子どもたちの数も多くなり、もう昔のようにサンタクロース一人でさばける量じゃないんだ」

 今ごろサンタクロースは揺り椅子に腰かけながら子どもたちのファンレターの返事を書いているか、トナカイの健康状態、特に足に異常がないか念入りにみているところだろう。

「そうそう、そういやこの前面白い話を聞いたよ。ジャックのことなんだけどね」
「ジャックってどこのジャックのことだ。アメリカだけでもごまんといるぞ」
「常夜の国のジャックのことさ」

 スーリオンの書類をめくる手がピタリと止まった。

「常夜の国? あそこに何の用がある。あそこにいい子なんていやしない。それどころか正反対の奴らばかりじゃないか」

 常夜の国とは悪霊たちが住み着く闇の国のことだ。生者がいないのはもちろんのこと、あそこを住処とするのは天からも、何だったら地獄からも見放された奴らだ。性根はねじ曲がり、それに呼応するかのように容姿も醜いものが多い。子どもたちの夢と希望が詰まったクリスマスタウンとはもっとも縁遠い場所だろう。

「そこのジャックがさ、お菓子の一つももらえない子のために奮闘したんだって。死を予知する大ガラスが教えてくれたんだ。ね、どういう風の吹き回しだろうね? あの飲んだくれの亡霊がいきなり善行に励むなんてさ」
「知らん。それにしてもあの鳥も暇だな。わざわざ北極までやってきてそんなどうでもいいことを教えてくれるとはな」

 年末年始は人の動きがせわしくなり、事故も増える。そのためあのカラスも大忙しのはずだが、一体どこに余裕があるのか。そんな余裕があるのであればこちらの作業を手伝ってほしいものだ。この時期はどんなに人手があったって足りやしない。しわがれた笑い声が耳の奥で反響して、眉間の皺が深くなる。
 昨日の分の報告書はまとめ終わり、注意人物をリストアップする工程に入った。今日の分は要注意の子どもたちを注視しつつ、他によい行いをしなかった子どもたちの名を探せば、明日には間に合うはずだ。今朝は予想外の吹雪により帰れなくなったエルフたちからの報告書が鳩便によってようやく届けられたので、その整理までしていたら時間がおしてしまったのだ。
 今日は徹夜コースかと本日何度目かの嘆息をつきそうになったスーリオンの鼻に甘い香りが届いた。はっと顔を上げるとココアと人型のジンジャークッキーが数枚のせられた盆が一つ置いてあった。しかもジンジャークッキーのほうはアイシングでにっこり顔が描かれ、ココアのほうはココアパウダーで化粧したマシュマロまで浮いている。いたずらっ子のようにエルノールが片目をつぶった。

「サンタクロースと子どもたちのために働くいい子のエルフ課長殿に少し早いクリスマスプレゼントさ」
「……素敵なプレゼントをどうも、おもちゃ工場長殿」
「どういたしまして」

 いつの間にかエルノールの片手にもマグカップが一つ。もちろんそれにも甘くて白い卵白雲の欠片が顔を出している。

「座っても?」
「許可なんかとらなくてもお前は勝手に座るだろう」
「ご名答」

 ちゃっかり部屋の隅に置いてあった椅子まで持ってきて、エルノールはスーリオンの正面に腰かけた。湯気立ち上るココアは強張った体をゆっくりとほぐしていく。ほうと深く息を吐いて、暖炉の上にかけられたカレンダーを眺めた。ひいらぎとポインセチアの花で飾られたそれは、二十四日のところにでかでかと大きな赤丸がつけられている。

「それにしてもさあ、君もいい名前もらったよねスーリオン」
「お前もなかなかだろうエルノール」

 この街のエルフは親が名前をつけることはない。なぜなら子どもたちが名付けるからだ。子どもたちとサンタクロースの約束は二つ。サンタの代わりに見張りにくるエルフに名前をつけること、エルフは見つけても決して触らないこと。もっとも担当の子どもが変われば別の名前をもらうことになってしまうが、ややこしくなるのを避けるため、ここで呼ばれる名前は初めにもらった名前となる。
 スーリオンの名づけ親は読書好きの少女だった。いつも身だしなみに気をつけていた可愛らしい少女は、大好きな小説の中からこの名をつけた。それから彼女が成長して、サンタクロースにプレゼントをもらわなくなるまで、毎年ス―リオンは感謝祭の日からクリスマスイブまで彼女の行動を見守り続けていた。
 彼女はとても模範的な子どもだった。同時に優しい子どもでもあった。ある日、本棚に丸い字で『私の小さなお友達、スーリオンへ。いつもサンタさんに私のことを伝えに行ってくれてありがとう。お礼の気持ちをこめてこれを送ります』と、手紙と一緒にジンジャークッキーが入っていた日には感動のあまり普段の倍以上の報告書を書いて、サンタクロースに苦笑されたことを覚えている。彼女がプレゼントをもらう最後の年には思わず涙ぐんでしまったほどだ。

「ふふん、そうだろうそうだろう。僕もこのかっこいい名前を気に入っているんだ」

 エルノールは満足気に胸を張った。彼も子どもたちの見張り役から工場長まで昇格した口だ。彼の採点は甘かったから、彼が担当した子どもたちは幸運と言えるかもしれない。
香ばしいジンジャークッキーに歯を立てる。小気味いい音と共にピリリとした辛さと複雑なスパイスの香りが鼻からぬけていく。彼女からの贈り物を思い出し、少しだけ目の奥が痛くなったのをジンジャーのせいにして、ココアを流し込む。

「さて休憩はここまでだ。やらなければならないことはまだ残っている」
「もう終わりにするのかい? まだクッキーはあるよ」

 スーリオンは皿を差し出す友人に首を振った。

「いやいい。それはまた集中力が切れたときにいただくことにしよう。まだ頑張らなければならないことが残っているからな。今年も最高のクリスマスを届けるために」
「それもそうだ」

にっと笑ってエルノールは立ち上がった。

「じゃ、僕は現場に戻ろうかな。プレゼントのラッピングまでちゃんとしているか確認してこなきゃ」
「それがいい」

 手を振って友は立ち去っていった。ドアが閉まれば部屋を満たすのは薪がはぜる音と乾いた羊皮紙の擦れる音だけだ。一年に一度の祝祭はもはや目の前。世界中の子どもたちに夢と希望を届けるためにサンタクロースと街の住民たちは今日も身を粉にして働いている。

補足:The elf on the shelf(棚の上の妖精)とはアメリカ発祥の絵本から始まったクリスマスの伝承。感謝祭からクリスマスまで子どもたちがいい子にしているか見張りにくる設定で、毎朝別の場所に人形が置かれている。


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