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【短編小説】花売り少女は夢を見る

「花はみんなをシアワセにしてくれるもの」
荒廃した世界で花を売る少女の話。


 曇天が裂け、久しぶりにぬけるような青空が広がる日のことだった。
 しかし歌い出したくなるような空の下は無音であった。ときおり風が看板を揺らす乾いた音だけが虚しく鳴る。人々は生気のない顔で地面を見つめていた。彼らの瞳は何も映していない。街は死にかけの獣のように無気力に横たわっているだけであった。

「花はいりませんか」

 そんなモノクロの世界を甲高い声が破った。くすんだブロンドをはためかせ、白いワンピースを着た小柄な少女が歩いている。その細い腕には色とりどりの花が詰まった籐のかご。
 だが少女の健気な呼びかけに対し、道端にうずくまる人々は顔も上げない。ただ砂が巻き上げられる様を眺めているだけだ。

「花はいりませんか」

 少女は声をあげ続ける。が、やはり人々は埃をかぶったままピクリとも動かない。少女は仕方なしにビルの入口の階段に座りこんでいた中年女性に話しかけた。

「花はいりませんか」

 女は顔を上げる。色落ちた花柄のスカーフから深い皺が刻まれた顔がじろりと覗いた。てっぺんから爪先まで視線が這う。無遠慮な視線にも構わず、少女はにっこりと笑い返した。
 女はじっと少女を見つめていたが、やがて死んだ魚のような目が徐々に鋭利な光を帯びていく。敵意があらわになっていくそれは、明らかに邪悪なもので、普段であれば危険を察知して距離をとっただろう。

「アンタ今なんて言ったね」

 だが少女は言葉を返してもらえたことが嬉しくて、弾んだ声で同じ言葉を繰り返した。

「花はいりませんか。ほらきれいですよ」

 女は籠の中を覗きこみ、一輪の花をつまんだ。土埃にまみれていても澄んだ青空のような花弁は目を引く。少女は浮足立つ気分のまま女に話しかけ続けた。

「あっ、それかわいらしい花ですよね。私も好きなんです。どうです? きっとあなたにもあうと思うんで」

 パシリ
 せわしなく動いていた舌は乾いた音によって途切れた。花がスローモーションのように地に落ちる。

「……え?」
「ふざけるんじゃないよ。これのどこが花だっていうんだい。こんなくだらないままごとやるくらいだったらまだ地べたに転がっているほうがマシさ。早くどっかいきな、このガラクタめ!」

 少女は笑顔のまま固まった。女はそんな少女に唾を吐き手足を振り回す。
年季の入った革のブーツによって小さな花びらは女の靴の下で無惨にも砕け散った。呆然とする少女を憎々しげに睨みつけ、女は再び階段に腰を下ろした。

「そんな……ひどい」

 今にも泣き出しそうな少女を慰める者はどこにもいない。俯いて早足で去っていくか、見向きもせず地べたに座りこんでいるかのどちらかだった。
 少女は唇をかみしめて駆けだした。もちろん声をかける者はおろか視線を投げかける者すらいない。残ったのは埃にまみれた灰色の街だけであった。


「ひどい、ひどいわ。なんでこんなきれいなものを壊すことができるの」

 さめざめと泣く少女に一つの影がさした。

「お姉ちゃんどうしたの?」

 見上げると心配そうにこちらを見つめる少年と目が合う。ふわふわの黒髪にはまる猫のような目が愛らしい。少女は涙をこらえて無理やり笑みを作った。

「ううんちょっとね、嫌なことがあっただけよ。心配してくれてありがとう」
「イヤなこと? 何があったの」

 少年は鼻と鼻が触れ合うくらいまで顔を近づけた。ぎょっと目を見開くも少年の顔色にふざけた色はなく、純粋な心配と興味だけがのっている。

「えっ、えっとね――」

 少女は頬を赤らめながら、しどろもどろに訳を話した。

「ふうん。それでそれを売っているの?」
「う、うん。売っているっていっても、ほとんど配っているようなものだけどね」

 少女は別に金銭がほしいから花を売っているわけではない。
 花は胸の内を暖かくしてくれる素晴らしいものだ。それを他のみんなにもわけてあげたかった。お金を花と交換するのは少女の中では常識であった。なぜなら“彼女”の記憶ではそうだったから。
 じっと見つめていた少年の顔に徐々に納得の色が浮かんだ。顔を離して少年は静かに呟く。

「……ああ、そういうことね。お姉ちゃん、アンドロイドなんだ」

 少年の目に少女の空色の瞳が映った。その淡い光彩は一見すると美しい碧眼だが、よくよく見れば、それが精巧な薄いフィルムでできていることがわかる。少女は微かに眉をひそめた。

「そうよ。だからなに?」
「お姉ちゃん、記憶端末にヒビがはいったんじゃない? それは花じゃないよ」
「そ、そんなことないわ! ,これは立派な花よ」

 皺のない滑らかな指がうろたえる少女の腕に揺れる籠を真っ直ぐ指さす。少女が持っていたそれはツギハギだらけの薄っぺらいプラスチック片を花弁に模したお粗末な塊だった。茎はボトルで止めた端が錆びた細長い鋼材、葉は小さな鉄板をいびつに歪めた金属板。到底花とよべる代物ではない。
 少年はため息をつき、少女を見据えた。

「馬鹿なこと言わないでよ。本当に回路が壊れちゃったのかな。
――もうこの世界に花なんて咲いてないでしょ」
「そんなこと」
「あるよ。周りを見てみなよ、この廃墟のどこに緑があるっていうんだい」

 少女の言葉を語気強くして遮り、少年は冷めた眼差しを向けた。
 二人が立っているのはちょうど瓦礫の山の上であった。
 街の裏手、路地をぬけた先にある小さな広場のような空間。少女のお気に入りの場所でもある。
 ここはかつて子供たちが集まる秘密基地だった。Tシャツに短パンの男の子たちが鬼ごっこしたり、隅で少女たちが恋愛話に興じたり密かな憩いの場であったのだ。少女のメモリにも“彼女”の記憶がしかと残っている。もっともそれはもう見る影もないが。
 砕けたコンクリートの破片に埋もれた広場は若芽一つ見えやしない。剝き出しになった鉄筋が寂しく風に晒されているだけだ。

「花なんて咲かないよ。もう緑さえもほとんどないんだから。先の戦争でみんな失われちゃったじゃないか」

 少女はきゅっと唇を引き結ぶ。その目から再び涙が盛り上がってきた。いや正確には涙ではない。涙に見せかけた透明なオイルだ。彼女は人間に近くなるように設計されたロボットなのだから当然ではあるが。

「それでもよ。私はこれを辞めるわけにはいかないの」

 震える声で、だが睨みつける少女の目は真剣そのものであった。そのからくりの瞳に宿る強い決意に先ほどの意見を翻したくなってしまう。
 これがロボットだというのだから先の技術は恐ろしいと少年は思った。家庭用アンドロイドは友人や家族代わりに使われていたとはいえ、本当に感情が宿っていそうだと錯覚しそうになる。
 僕は間違ったこと言っていないじゃないか。少年は油断すれば、直前の発言を撤回し、安易な慰めの言葉をかけようとする唇を噛んでやりすごす。

「どうしたの? ちょっと心拍数が上がっているみたいだけど何かあった?」

 少女が首をかしげた。碧眼に一瞬白い横線が上下に走る。少年は慌てて話の転換を試みた。

「とにかく、なんでそんなに花にこだわるのさ」

 少女は目を瞬かせて少年の身体計測を中止した。

「だって、花はみんなをシアワセにしてくれるのよ。彼女がそう言っていたもの。シアワセはみんなを笑顔にしてくれるんでしょ?」

 少女の内部メモリに残された記憶は皆笑っていた。美しい花束をもって、その花々に負けない素敵な笑顔で。これは少女のモデルとなった、若くして事故で亡くなった娘のものだ。少女は彼女そっくりに作られたアンドロイドであった。
 もう自分のことを早世した彼女のように愛してくれた二人はいない。大国同士が始めた戦争はやがて世界中に飛び火し、全てを瓦礫の山に変えた。そう人も物も関係なく全て。
あの二人もあの大戦の中で重い砕片の下に沈んでしまった。残ったのは彼らの温かみを帯びた血だまりだけ。彼らのバイタルサインが感知できなくなったのかどのくらい前なのかもう少女は思い出せない。度重なる爆発で年月を記録する部品が故障してしまったから。

「こんな世界で幸せを願う奴がどこにいるんだい。もうこの世界は終わったんだ。周りを見なよ。草木は一本も生えない、残ったのは邪魔なだけのゴミの山! 誰もこの世界に希望なんてもちやしないさ」

 少年が唾を飛ばして吐き捨てるのを、少女は黙って見守った。
 長年続いた戦を終わらせたのはとある小国の新興宗教団体のテロリストたちだった。とはいっても決して話し合いだとか和平調停だとか穏便な幕引きではない。
 彼らはもっとも強引な手段で世界に静穏をもたらした。――恐ろしい化学兵器で世界の各地を無差別に攻撃したのだ。
 彼らは神による制裁だと言った。平和よりも戦を愛した愚か者たちへの制裁だと。しかし彼らでさえその兵器の恐ろしさは予想できなかったらしい。彼らの兵器により世界には再びに静けさを取り戻した。その代償として緑が消えたが。――もちろん花も。
 それから人類は終焉の一途をたどっている。技術が悪いわけではない。高度に発展した技術は植物がなくとも人工的に食糧を作り出すことはできた。
 ただ人間は彼ら自身が想定していたよりもずっと弱い生き物であったのだ。遺伝子に刻まれたかけがえのない故郷ふるさとの喪失。それは人々の活力を跡形もなくすりつぶすもっともな要因となりえたのだ。
 生き残った人々は生きる気力すらわかず、この荒廃した世界を前に死人のようにうずくまるだけの存在となった。

「……それでも」

少女の白い指に力がこもる。握りしめた裾が大きく皺を作った。

「それでもよ。私は無駄だとは思わないわ。花はみんなをシアワセにしてくれるもの。もしかしたらあの頃みたいに誰かが笑顔になってくれるかもしれない。彼女が、お父さんお母さんが、私の胸を暖かくしてくれたみたいに」

 そっと胸を押さえて語る彼女は聖母のように優しい微笑みを浮かべていた。少年の心臓が思わず跳ねる。それを少女に悟られぬよう少年はわざと意地の悪い問いかけを投げた。

「お姉ちゃんは機械なのに? それは勘違いじゃないの?」
「いいえ、違うわ。たしかにほんのり胸のあたりが暖かくなったもの。体をスキャンしても温度に異常は見られなかったし、温度調節機構にも異常はな
かったけど、この感覚は噓じゃない」

 澄んだ青は真っ直ぐ少年を貫く。この色褪せた世界にそぐわない鮮やかな青。ひゅっと息が詰まり、少年は無意識のうちに一歩後ずさっていた。

「そんなの噓だよ!」
「噓じゃないわ」

 ほぼ反射的に叫び返した少年に穏やかな声が降る。見上げれば穏やかにこちらを見つめる彼女と目が合った。その目を見た瞬間、凝り固まった力が抜けて脱力していく。少年は深いため息をついた。

「どうかした? 気分でも悪くなったの?」

 不安気に視線をさまよわせる少女に少年は声を絞り出した。

「……ねえその花一輪ちょうだい。いくら?」

 ぽかんと少女の口が開く。そのうち徐々に陶器のような肌が色づいた。雲一つない青空のような瞳が光り輝きだす。

「ピカピカの銅貨一枚かアルミの硬貨一枚よ」

 瞬間、少年は吹き出し、体を震わせて笑った。

「それもうほとんどタダみたいなものじゃん」
「な、そ、そんなことないわ! 傷ひとつない硬貨なんて珍しいでしょ。タダじゃないもん」

 顔を真っ赤にして言い返す彼女は道端にしゃがみこむ人間たちよりずっと人間らしい。少年は可笑しくなって声を上げて笑い転げた。久しぶりの笑いだった。

「あーお姉ちゃん変わっているね。家庭用アンドロイドってみんなこうなの?」
「なんてこと言うのよ。失礼ね! 私これでも結構優秀なほうなのよ。ベストアンドロイド大賞にも選ばれたことのある人気機種だったってみんな褒めてくれたんだから。私のモデルである彼女が素敵な人なの!」

 蒸気が頭から噴き出す勢いで言い募る彼女がさらに笑いをこみ上げさせる。ひとしきり笑い終わったときには彼女はすっかりむくれていた。

「ごめん、ごめん。はい、これでいい?」
「もう知らない。いじわるな人には花売らないんだから」

彼女はそっぽを向く。少年は苦笑いをこぼして、お冠なからくり少女の機嫌をとった。

「もう意地悪言わないからさ。そのきれいな花ちょうだい?」

 ちらとこちらに視線をよこした美空色はまだ険がある。への字のまま再び顔を背けた少女に殊更哀れっぽい声を作った。

「悪かったって。その花もらったら僕もちょっとは幸せになると思うんだけどなあ」

 瞬間、少女が勢いよく少年を見た。先ほどまでの冬空のようだった冷たい青が今は今日の空のように輝いている。

「本当に!? じゃあもらってっていいわ。一輪で足りる? この籠の花全部もらっていってもいいのよ?」
「流石にお姉ちゃんの花買えるほどの手持ちはないからやめておくね」
「いいわよ。サービスしてあげる」
「いいって。僕が全部もらっちゃったら今日は店じまいすることになっちゃうでしょ。もしかしたらまだお姉ちゃんの花がほしいと思う変なお客さんも現れるかもしれないし」
「変なお客さんってなによ」

 またもや青空に暗雲が立ちこめ始めている。このままでは本当にへそを曲げてしまうだろう。
 少年は謝罪を口にしながらズボンのポケットを探り――顔色を変えた。

「どうしたの?」
「ごめんね。ピカピカの銅貨もアルミの硬貨もないから買えないや」

小さな手のひらにはボロボロになった銀の硬貨が一枚のっているだけであった。損傷が激しく、硬貨に印字されている文字すら読めない。これでは本来銅貨やアルミの硬貨よりも価値が高いこの硬貨も使えないだろう。眉を下げて落ちこむ少年に少女は明るく笑った。

「はい、銀貨一枚受け取りました! お釣りはピカピカの銅貨九枚です!」
「え……でも」
「私がいいっていったらいいの! はいお釣り」

少女は引っ込めようとした手を素早く掴み、硬貨を押し付ける。ものの見事に全て、磨きぬかれた鏡のように輝いた銅貨だ。

「毎度ありがとうございます! 私はだいたいここにいるからシアワセが必要になったときにはまた来てね」

 太陽のような笑みがひらめく。そのとき彼女の周りだけ色づいたように鮮明なきらめきが散った。気のせいかと目をこすっても、未だにその輝きは消えない。
 惚ける少年を放って彼女は軽やかに去っていった。我に返ったときにはすでに彼女の姿はなかった。

「花はいりませんか」

 遠くで微かに彼女の可憐な声が響いている。

「……は、本当に馬鹿じゃないの。こんなガラクタに」

 嘲り笑うはずが、情けなく震えてしまい、見え見えの強がりにしか聞こえない。顔に熱が集まるのがわかる。片手で覆うと余計にその熱さが伝わった。
 手のひらにのった子供のままごとみたいな不格好な花。プラスチックの破片で作られた花弁はまるで彼女の瞳のような色だった。手元に残るそれはお世辞にも花とよべるものではないのに、なぜか捨てる気はおきない。

「まあ、花瓶に飾ってやるくらいはいいかな。あれもふち欠けているからお似合いだろ」

 誰にも聞かせるわけでもない言い訳を並べたて少年は歩き出す。壁に大きく穴が開き、すきま風吹きすさぶオンボロの我が家へ。
 空はかつて見た平和なあの日々のような、澄んだ青が広がっていた。

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