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【超短編】潮騒の電車

海から来た電車は乗客まで海に包まれているらしい。
前作「夏便り」と緩くつながってますが読まなくても読めます。

「かあさん、あついねえー」

麦わら帽子をかぶった幼女が傍らの女性を見上げた。まろい頬に汗がきらきらと反射する。

「そうね。でももうすぐ電車が来るから涼しくなるよ」

女性の言葉に幼女は破顔した。

「やったあ! すずしいの、すずしいの! でんしゃはやくー」

きゃいきゃいと笑う娘の頭をなで、女性は電車が来るのを待った。

「お待たせしました。間もなく一番線に電車が到着いたします。危ないですから黄色い線の内側に入ってお待ちください」

事務的なアナウンスが駅のホームに響き渡った。夕陽に照らされたホームには二人の他に誰もいない。ヒグラシの物哀しい声が微かに聞こえた。

「おかあさんでんしゃー?」
「うん。電車が来るからね。黄色い線の中にいようね。危ないからね」

娘が飛び出さぬよう女性はしっかりと小さな手を握る。すぐに電車はやってきた。揃いの白いワンピースがふわりと揺れ、顎紐で固定されている麦わら帽子もわずかに浮いた。

「でんしゃきたねえ!」
「そうね、電車来たね。足元ちょっとあいているから気をつけてね」
「はーい」

手をまっすぐ上げて元気よく返事をする娘に笑い返して、女性は一歩を踏み出した。
乗り込むとふわりと潮の匂いが鼻をくすぐる。

「おかあさん、このでんしゃうみからきたのー?」
「そうかもしれないね」

女性は路線図を見上げた。通ってきた駅の中に小さな海水浴場の最寄り駅である駅名が目にとまる。きっとそこだろう。娘にも教えてあげようと視線を移したときだった。

「ねえ、きっとあのこたちだよ。あのこたちがうみからきたの!」

娘は女性の腕をぐいっと引っ張って指を指す。そこには既に三人の少年少女が座っていた。女性から見て、左側に色白の少年、右側にライトブラウンの少女、真ん中に小麦色にやけた少年。三人とも静かな寝息をたて、さらに両脇の二人は真ん中の少年の肩にもたれかかっていた。

彼らの向かいに座るといっそう潮の匂いが香る。足先は砂粒で汚れていて、電車の床にぽろぽろと散らばっていた。
目の前の光景に思わず口元をほころばせる。と、そのとき幼く甲高い声が車内に響わたった。

「ねえ、うみからきたんだよね。そうでしょ?」

いつの間にか隣に座っていたはずの娘が三人のもとに駆け寄っている。眠っている三人を揺すり起こそうとする娘を慌てて引き止めた。

「ダメよ。あの子たちは疲れて眠っちゃっているからね。そっとしておこっか」
「おねんね?」

つぶらな瞳が女性を見上げる。

「そう。おねんね。だからしーっだよ」

指を口にあてて、しーと言うと娘も同じように指を口にあてた。

「わかった! しーっね」

素直に声をひそめる娘に女性は笑みをこぼす。女性は優しく手を引いて隣に座らせた。ガタンゴトンと揺れる電車と共に三人の体も揺れる。差し込む茜色が穏やかな顔を浮かび上がらせていた。

「あのまんなかのおにーちゃん、おもくないのかな?」

ふいに娘は日にやけた少年を指差した。たしかに二人分の重さが肩にかかっているせいか、眉根に皺を寄せている。片頬はチクチクと黒髪がささり、もう片側はうねるライトブラウンがゆらめいているせいで、むずがゆそうだ。それでもどこか幸せそうに見えるのは、口元に笑みを浮かべているからだろうか。微笑ましい光景に女性は目を細めた。

「そうね、きっと重いと思うわ。でもそれは幸せな重さなのよ、きっと」
「おもいのにしあわせってどういうこと?」

いまいちピンときていない娘は首をひねるが、女性はただ微笑んだ。

「いつかわかるわ」

まるで凪いだ波のように穏やかに電車は揺れる。海の残り香をまとって電車は夕焼けの中を進んでいった。


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