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【短編小説】夏便り

老婆にとって夏の便りは無駄に元気な蝉でもなければ、毎年馬鹿みたいに今年が一番の暑さと伝えるアナウンサーでもない。それよりももっと騒がしくて、おまけに小憎らしい三人組なのである。

前作「青の魔法」、前々作「夏、いつもの始まりを」から緩くつながってますが、これだけでも読めます。

外では蝉がうるさく鳴いていた。ラジオからは競馬の実況をするアナウンサーの声が流れている。回る扇風機は生温い空気をかき混ぜるだけ。老婆はタバコをふかしながら、早口で喋る甲高い音を聞き流していた。

「全くこのクソ暑い中じゃガキんちょ一人きやしないね」

近所のガキ共すらこの厳しい日差しが照りつけるこの時間にはやってこない。老婆はふーっと煙を吐き出した。紫煙が揺らめいて空気に溶けていく。手元にある新聞に目を落としたそのとき、ガラリと戸が開く音がした。

「ばあちゃん、久しぶりー! アイスあるー?」

外の蝉にも劣らないクソうるさい声が響き渡った。老婆はじろりと声の主をにらみつける。
そこに立っていたのは三人の男女だった。小麦色にやけた少年ともやし少年、それにライトブラウンの髪を無造作に束ねた少女。

「なんだい、また今年もやってきたのかい。このクソガキ共」

老婆は憎々し気に言い放つ。しかしそんな老婆のつっけんどんな態度に対しても一切気にすることなく、三人はずかずかと入り込んだ。

「あっつー。ばあちゃん、クーラーつけねえの? この暑さだとアイスはいいけど、他のお菓子溶けちゃうよ?」

手であおぎながら、小麦色少年が言う。

「うるさいね。このくらいの暑さじゃ、ウチの商品は溶けないんだよ、安心しな」

鼻を鳴らすと小麦色少年は熱中症にならないようにしなよと生意気にも心配してきた。
いったい誰に言っているんだい。青臭いガキに心配されるほど年老いちゃいないっていうのに。

舌打ちの代わりに苦いタバコの煙を肺いっぱいまで吸い込み、ふーっと息を吐く。

「今どきどこ行っても、クーラーはついているっていうのにさあ、ここはいつの時代だよ、全く」
「あいにく今を生きる老舗駄菓子屋だよ。文句があるなら、さっさと出ていきな」

もやし少年は憎まれ口を叩く。昔っから可愛げのないクソガキだ。大きく舌打ちをするともやし少年は肩をすくめた。と、急に老婆の目の前に三本の指が現れる。

「じゃ、ばあちゃんいつもの三つね!」

輝くような笑顔で言う少女を老婆は呆れたように見た。

「アンタらはいつもそれだね。毎年毎年そのアイス買うなんて飽きないのかい」
「全然!」

満面の笑みで返され、老婆はため息をついた。

「たまには、他のもの買ったらどうだい。いつも一番安いアイス買うせいでこっちは赤字なんだよ。その隣のカップアイスにしな」

老婆が指したのは外国の文字があしらわれた洒落たカップアイス。この三人組が買うアイスの二、三倍の値段はある。ちなみに彼らがいつも買うのは夏の空のような爽やかな青色の棒つきアイスで一本百円以下だ。この店の中でも安い部類に入る。

「それ一番高いやつじゃん。一個二百円以上もするでしょ。学生の寂しい懐じゃ無理」

少女はバッサリと切った。一瞬の迷いも見られない。

「でもたしかに他のアイス買ってみてもいいかもなー。これとかどう? 全員違う味買えば、三種類の味楽しめるじゃん」

逆に小麦色少年は老婆の言葉に耳を傾けたようだった。彼が指差したのは二つ一組でまとめられた棒状のアイス。半分に割り、チューチューと口で吸うタイプのものでいかにも昔ながらのアイスといった形だ。人工的な色が目にまぶしい。

「それ二つ一組だから食べられたとしても二種類までだろ。食べかけもらうとかしない限り」

もやし少年が冷めた目でつっこんだ。

「あっそうか。でも二つのアイスを分けるのってなんかよくない? ほらシェアハピ? ってやつ」

ぽんと手を打つ小麦色少年にもやし少年は冷ややかな視線を向ける。

「それは別の有名菓子メーカーの棒状クッキー生地にチョコがけした菓子のことじゃないのか。十一月にその菓子の日だって大々的にCMで言っているだろ」

いちいち細かいところにツッコミをいれるのはこの少年の性なのだろうか。見た目通り神経質なガキだと老婆は心の中で吐き捨てた。

「そんなことはどうでもいいだろ。私、お前らの食べかけもらうとか絶対イヤだからな!」
「うん。お前ならそう言うと思ってた」
「はいはい。わかった、わかった」

堂々と述べる少女に少年たちは適当に相づちを打つ。少女の傲慢な態度も昔から全く変わらない。成長する気があるのだろうか。老婆には三人とも見た目は変わっても精神は小さい頃から変わっていないように見える。

「結局どれにするんだい。早く決めとくれ」

いつまでもくだらないことで言い合いを続ける三人組に老婆は痺れを切らした。その言葉に三人は顔を見合わせる。

「だって。どうするよ? 私はいつものがいい」
「お前がそういうならそれでいいよ。どうせお前一度決めたら絶対に変えてくれねえし」
「もういつもの通りでいいだろ。面倒くせえ」
「ほら決めたならさっさと代金だしな。わたしゃアンタらのどうでもいい言い合いに付き合うほど暇じゃないんだよ」

金銭入れ用のトレーを机の上に投げると、三人はピタリと動きを止める。

「じゃあいつものでいいな!」

一拍置いて少女が高らかに宣言すると、少年たちはしょうがないなと言わんばかりの顔で首を横に振った。

「お前のお好きなように。俺がまとめて払っとくから後で自分の分の代金よこせよ」
「あら、気が利くじゃない。じゃ、よっろー」
「頼むわ」

小麦色少年がそう言った途端、待ってましたとばかりに両側から小銭が飛ぶ。

「お前ら後でって言っただろ!」

文句を言いながらも器用にキャッチした彼は老婆にそれを差し出した。

「決めるの遅くなってごめんな。じゃあ、ばあちゃんいつもの三つね」

申し訳なさそうに眉を下げる小麦色少年に老婆は呆れ返った。

「アンタはいつも損な役回りを買ってでるね。たまには他二人にやらせたらどうだい」

この少年はいつも他二人がやりたがらないことを進んで買ってでるのだ。頭はそこまでよくないと本人からの談だが、老婆は少なくとも性格の面ではこの少年が一番マシだと思っていた。だからこそいつもこんな役割に回る少年を見ると苛立ちが募る。

「いいよ。これくらいなんともないし」

しかし彼はへらりと笑っただけであった。老婆はタバコを灰皿に押し付けると、くたびれたレジの引き出しを開け、雑に小銭を流し込む。

「ほら、好きな味とってとっとと出ていきな。どうせアンタらはソーダだろうけどね」

しっしと手を振ると即座にブーイングが上がった。

「えーばあちゃんこんな暑い中外出すの? 私が熱中症なったらどうすんのさ」
「あっ、去年みたいにここで食わせてくれるわけじゃないんだ」
「こんな炎天下に出すとか鬼かよ……本当に人間? 通っている血凍っているんじゃないの?」

正確に言うと小麦色少年だけはただ純粋に驚いている感じではあったが、他二人に関してはただの悪口だ。店から叩きだしてやろうか、このクソガキと喉まででかかった言葉を飲み込み、老婆は三人を睨みつけた。

「うるさいよ。この店の売り上げに貢献しないガキ共なんか客じゃないのさ。若いんだから熱中症くらい気合いで何とかしな」

「「「無理!」」」

綺麗に声がそろう。こんなときのみ妙に気が合う三人だ。主にもやし少年と少女から鬼だの山姥やまんばだの罵詈雑言が飛ぶ。老婆は深々とため息をついた。

「早く食べて出な。どうせ私がいいって言うまでここに居座る気なんだろ。とんだ営業妨害だ、全く」
「でもどうせこの時間帯には誰も来ないんだから営業妨害もクソもなくない?」

少女の切り返しにぐっと黙る。押しつけたタバコの残骸がさらに折れ曲がった。

「たしかになー。この時間帯暑いから俺たち以外に客来ることほとんどないもんな」

さらに小麦色少年からの追撃がくる。唐突な裏切りに老婆は彼の評価を改めた。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。やはりクソガキの友はクソガキである。

「むしろこの時間帯に来てくれる貴重なお客様の間違いだろ」

もやし少年にいたってはにやっと口角を上げてこちらを見ている。奴の言葉に危うく手元のトレーを投げつけるところだった。相変わらず癪にさわる小僧である。

「とっとと食べて帰りな!このクソガキ共!」

老婆が叫ぶと三人は揃って首をすくめた。はーいと気の抜けた返事が返ってくる。

「やっぱり夏といったらこれだろ!」
「そうだよな。今年は誰か当たりでるかな」
「そろそろ梨味とか別の味検討してもいいんじゃねえの?」

キャッキャッとアイスを楽しむ二人とは対照的にもやし少年は少々うんざりした様子だ。ではなぜわざわざ二人と同じものを選んだのか。その答えを老婆は知っていた。

――コイツも大概素直じゃないね。なんだかんだいって一緒のものを食べたいのかい。
だがそれを指摘してやることはせず、老婆はうんざりした目で彼らを眺めた。

三人が食べ終わるまで老婆にはすることなどない。ラジオは競馬からニュースに変わってしまっている。四角四面な声はひどく退屈だ。老婆は先程タバコを消してしまったことを後悔した。このクソガキ共が来なければ、もう少し味わえただろうに。

「あっ」

色黒少年の声が気だるい空気を破った。全員の視線が彼に集中する。彼は外の太陽のような眩い笑みを浮かべて高らかに叫んだ。

「当たりだ。当たり出た!」

掲げた手にはたしかに「あたり」と書かれた棒が握られている。駆け寄って覗き込んだ少女も嬉しそうに声を上げた。

「ほんとだ。お前やるじゃん」
「おお、すげえな」

ひねくれ者のもやし少年ですら感嘆の声を漏らす。

「ねえばあちゃん、もう一本アイスちょうだい」

キラキラと輝く瞳に見つめられて、老婆は思わず目をそらした。それは大昔に失くした若さ故の純粋さで、老いぼれた婆には眩しすぎたのだ。

「あいよ。運のいいガキだね。もう一本持っていきな」

早口で言い切ると老婆は引き出しを開ける。無性にタバコが吸いたくなったのだ。しかし引き出しの中は空だった。さっきのタバコが最後の一本だったらしい。知らず知らずのうちに舌打ちが漏れた。
目の前では三等分するだの、そのアイスでは無理だの中身のない会話が繰り広げられている。老婆が本日何度目かのため息をつくと小麦色少年が振り返った。

「あっばあちゃん、そろそろタバコ吸いすぎないようにしなよ。もう年なんだから。なんだっけ、ハイエン? だかビョーキになるよ」
「余計なお世話だよ。アンタもいつまでアイス放っておく気だい。早く食べて、そこのうるさい二人連れて出ていきな」

小麦色少年は何か言いたげな顔でこちらを見やる。しかしアイスが垂れてきたため、ひとまずアイスを片付けることに集中するらしい。つうっと垂れていく甘い青を赤い舌が追った。

「じゃあばあちゃんまたな!」
「ビョーキにはならないようにね」
「クーラーつけたら? ケチってないでさあ」

騒がしい三人組は言いたい放題言って手を振りながら店を出ていった。ガラガラと引き戸が閉まった瞬間、しんとした静寂が訪れる。

「全くあのガキ共のせいで余計に暑くなったじゃないか」

老婆は忌々しく言い捨てる。そしてわずかに口元を緩めた。

「だけど、まあ今年も真夏が来たって感じだね」

老婆にとってあの三人組は真夏の知らせそのものだ。彼らが来ないと蒸し暑くて虫が大量に沸いて大嫌いな、だがなければ困る夏本番がやってこない。

「ま、あのクソガキ共には口が裂けても言ってやらないけどね」

老婆はひっそりと笑った。

外は相変わらず蝉が元気よく鳴いている。

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