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【小説】花より団子、月より兎 冷やし中華

前作「花より団子、月より兎 かき氷」の続きです。OL佳奈子と月出身の兎しらたまが冷やし中華を食べる話。

「カナコちゃん、カナコちゃん」

 次にこの宇宙兎がやってきたのは夏の真っ盛り。学生たちは夏休みに入って、はしゃぎまわっている時期のことだった。目的のものは食したのだからもう来ないものと思っていたのに、今度は何の用だろうか。

「何よ。アンタかき氷食べたでしょ。この暑い最中に来ることないじゃない」
「だって来たくなっちゃったんですもん。それよりカナコちゃん、何作っているんですか?」
「え? これ?」

 佳奈子は手元に視線を落とした。まな板の上には細切りにされた胡瓜やハム、半月型のトマトにスーパーで買ってきた錦糸卵。深めの丸皿の中には縮れた中華麵がスープの海に浮かぶ。

「何って冷やし中華だけど」
「え、なんですかそれ。おいしそう」

期待の眼差しを向けられて佳奈子の眉間に皺がよる。

「まさか、アンタ食べたいって言うつもりじゃないでしょうね」
「ダメなんですか?」

 無邪気に首をかしげて、ほだされることを狙っているのだろうか。こちとらそれどころか、舌打ちを返したいくらいなのだが。

「駄目に決まってんでしょ。これ私の夕飯。アポなしで来たアンタの分はないの」

 佳奈子はぴしゃりと跳ね除ける。が、その程度で折れてくれる相手ではなかった。

「カナコちゃん、全部よこせとは言いません。半分こしませんか? 最近ダイエットするって言っていたじゃないですか」
「全部よこせなんて言った日には問答無用でたたき出してやるわよ。あと半分でも多い。そこは一口でいいのでくらいの慎ましさを見せなさい」
「ひと口だけ? ひどくないですか!?」

 しらたまの叫び声が響き渡った。後ろ足を踏み鳴らし、足に緩い頭突きが飛んでくる。

「うるさいわね。近所迷惑って前も言ったでしょ」

 額を弾いて佳奈子は盛り付けの準備にかかった。麺を覆うように彩りよく具を飾りつける。赤、緑、ピンク、黄色、白。頂上に紅しょうがを被せれば完成だ。

「カーナーコーちゃん」

 恨みがましい怨嗟が隣から聞こえてくる。それを無視して、グラスに氷を2、3個入れて麦茶を注ぐ。氷がぶつかり合う音が心地よい。箸を揃えて手を合わせた。

「いただきます」
「いやちょっと待ってくださいよ! 本当に僕を置いて食べ始めないでください」

 いつの間にか膝によじ登ったしらたまが佳奈子に顔を近づける。たちまち視界は白い綿毛で覆いつくされた。

「ちょっと邪魔。どきなさい、しらたま」
「カナコちゃんが冷やし中華をくれるのならどきます」

 手で押しやってもすぐに押し返される。意外と力が強い。そして重い。狭いスペースだというのに、全力で抵抗され、中々膝が自由にならない。ガチャンと皿のぶつかる音がした。二人とも動きが止まった。だが相変わらずどく気配がない。このままではせっかく作った夕飯を口にするのは、自分ではなく床になりそうだ。

「わかった、わかった。あげるから一旦降りなさい。ひっくり返すから」

 ようやく膝が解放される。丸々した目が疑わしそうに細められたが、何も言わずにしらたまは正面に腰掛けた。佳奈子は戸棚から一回り小さな皿を出し、三分の一より少ないくらいの麵を盛り付け、色とりどりの具をちょこんと載せてやる。

「ほらどうぞ」
「ありがとうございます」

 破顔したしらたまは勢いよくフォークを突き刺した。麺は食べにくいかとも心配したが、器用に食べている。
 酸味のあるさっぱりした汁を吸った麵は、太陽が沈んだ後も残る熱気を和らげ、みずみずしい野菜たちがそれをさらに補強する。モチモチした麵の合間に挟む固い具の食感がいいアクセントだ。

「汁の味が今まで食べたことのない系統の味ですけど、これはこれでおいしいですね。中華っていうことは大陸の食べ物なんですか?」
「うーん、それはどうかしら。中華っていっても、こっちで独自に進化したものもあるから何とも言えないのよ」
「ああ、そういえば資料にここは魔改造の国って書かれてましたね」
「そうね。アレンジは得意だと思うわ」
 一時期流行った海外の菓子も日本人好みにアレンジされていた。個人経営の店やスーパーのみならず、コンビニでもその変化を如実に感じるので国民性なのだろう。
 ひと段落ついたところで、冷蔵庫にあるものの存在を思い出した。

「そういえばアンタ、デザート食べる?」
「もちろんです」

 短い前足をピンと伸ばして、しらたまは元気よく返事を返した。佳奈子は整った三角形を三切れずつ皿にのせた。

「わ、スイカですか」
「そう。夏といえばこれでしょ」

 歯に当てただけで崩れる果肉は、シャーベットにも似ている。粘度の低い甘さは口の中でさらさら流れていくのに、肌についたものはべたつくから不思議だ。

「種がなければもっといいんですけどねえ」
「何言っているのよ。種がなきゃスイカとはいえないでしょ」

 あの黒い点々があるからこそ、スイカなのだ。たしかに種を出すのは面倒だが、なければ物足りない。小さい頃は祖父母の家で種飛ばしで競い合ったこともあった。今は流石にやらないが、見かける度に郷愁を覚える。

「そういうものですか」
「そういうものよ。あと食べ終わったら口拭きなさいよ」

 下手くそな口紅をつけたような口元になっている。毛に汁がべったりついて、不快には思わないのだろうか。首をかしげる兎は状況を理解できていないらしい。
 アンタは幼稚園児かと佳奈子はため息をつきたくなった。

「そういえば土用の丑の日って知ってる?」
「なんですか、それ?」
「季節の変わり目で体調を崩しやすいからって、うのつくもの食べて頑張りましょうっていう日。鰻重とかね」

 しらたまは目をぱちくりさせて、カナコちゃん物知りですねえとこぼした。短い前足で拍手までしている。佳奈子は人の悪い笑みを浮かべた。

「でも、うがつくものなら何でもいいらしいのよ」
「えっ、えーとカナコちゃん?」

しらたまが後ずさりした。こういうときばかりは勘がいいらしい。真っ白な肩をがっしり掴んで佳奈子は言った。

「うがつくもの、今目の前にあるわね?」
「カ、カカカカナコちゃん。今日土用の丑の日じゃないじゃないですか」
「でも私その日うのつくもの食べてないし、私が夏バテしたら嫌じゃない? おいしいもの食べさせてやったんだから、このくらいいいでしょ?」
「僕、月の兎です。つ、です。うじゃありません! 食べてもおいしくないですよ」

 震えたしらたまは文字通り脱兎のごとく駆けた。だが窓は閉めてしまったので船がとめてあるベランダまでいくことができない。だというのに、止まる気配もない。

「ちょ、ちょっと、その先は――」

 ゴツンと鈍い音。しらたまは窓ガラスに頭をしたたかに打ちつけ、ひっくり返ってしまった。慌てて佳奈子は駆け寄った。

「大丈夫?」
「カナコちゃんが僕を食べようとしないのなら大丈夫です」

目がぐるぐる回り、未だに仰向けのままだが、受け答えはちゃんとしている。佳奈子は密かに胸をなでおろした。

「悪かったわね。脅かして」
「本当ですよぉ。僕すっごく怖かったんですから」

 涙目のしらたまを撫でて、佳奈子はお詫びに自身のスイカ一切れつまんで、しらたまの皿に置いた。

「カナコちゃん、僕スイカ一切れじゃ許しませんよ」
「じゃ、返してもらおうかしら」

手を伸ばす素振りをしただけで背に隠された。

「もう貰いましたからあげません!」
「へえ、言うじゃない」

頭を強めにかき混ぜると、しらたまはわざとらしい悲鳴を上げた。

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