見出し画像

【短編小説】兄弟のねじれ連立方程式

もしそんな式があるならば解はX=兄、Y=自分だろうか。もっとも自分には解ける気がしないが。
以前書いた「一日限定不良少年」

から緩く繋がっている話です。似ているようで似ていない弟たちの話。
あと一作続きます。

 兄弟は仲がいいほうがいい。世界の常識であり、全人類が肯定する言葉だろう。だが正しさでは、理屈では、どうにもならないことだってあるのだ。

「悪い、耳が遠くなったみたいだわ。もう一度言ってくれるか?」
「だから兄への接し方ってどうやるんだ? 最近なんか兄貴が俺との距離じりじり詰めてきている気がしてさ。でもどうすればいいのかわかんねえんだよ」
「そうか。俺の耳は正常だったのか。じゃあお前の目が異常だったんだな。お使いの目は正常ではありませんよ。病院行け」

 気まずげに視線を逸らす龍にため息をつく。ゲームのやりすぎでついに目もいかれたのか。よりにもよって自分とは。せめていつもつるんでいる幼馴染たちにすればよかったものを。

「兄弟そろってずれているっていうか致命的に見る目ねえよな」
「お前の辛辣さ、年々お前の兄貴に似てきている気がするんだけど」
「チッ」

 いけない。思わず舌打ちが漏れた。ガラ悪いのはお前特有だなという呟きで雀の涙ほどの申し訳なさも搔き消えたが。

「俺は間違ったこと言ってねえだろ。だいたいこれが見えてねえのか」

 机に置いた愛読書を叩く。その題名は「現代版! 絶縁のすゝめ」。そう俺、炎野白海えんのはくかいは実の兄と数年前から冷戦状態だ。

「いやお前が万年反抗期なのは知っているんだけど」
「誰が万年反抗期だ。ふざけてんなら帰れ。ここはお前のクラスじゃねえ」
「でもさあ白海、お前にしかできないんだって」
「あ? ごんやさくらでも駄目なのか? じゃ総助ならどうだ?」

 たしかに前者は一人っ子で、いるのは年上の従兄弟だけだ。後者は兄ではなく姉だからアドバイスもずれているのかもしれない。だがそれならば総助に相談すればいい話ではないか。アイツならば姉も兄もいる。寝ぐせ飛び跳ねる友の顔を思い浮かべた白海に龍はぽつりとこぼした。

「だからそのブラコン、シスコン共じゃ駄目なんだって。だってアイツらずっと仲良しだっただろ。俺の気持ちなんてわからねえよ」

 日に焼けていない白い肌が震えている。ああ、そうか。だから自分に頼ったのか。すとんと腑に落ちた。

「でもさあそれでも悪手には変わりねえぜ? お前は兄と仲良くしたいんだろ? クソ兄貴と喧嘩中の俺に相談しても何も言ってやれないんだが」
「別に仲良くしたいかって言われたらよくわからねえんだよ」
「は?」

 視線は合わない。いつもけだるげな瞳は弱々しく揺れている。

「今までろくに話したこともなかったからあれがなんで今さら近づこうとしてきたのかわかんねえ。それに俺とお前ちょっと似ているし。ほら上との関係以外にも家庭環境とか好きな教科とかさ」

 たしかに言われてみれば似ている。冷え切った兄との関係も、上への劣等感も、家庭を顧みない父親も、数学が得意なところも同じ。
 しかし全て同じではない。小さいが本質的なずれがある。母を慕うコイツと早々に離婚したせいか赤の他人にしか思えない自分。数学だって自分が好きなのはたまたま計算が得意だっただけだ。数学そのものの美しさに傾倒するようなコイツとは違う。龍の好きが正しく愛ならば、自分の好きは好きでもビジネスライクの好きだ。
 白海はちらと傍らの同級生を見上げた。彼の兄とほとんど関わり合いはないが、レンズに隔てられた生真面目そうな顔つきは、しかし冷徹というほど冷え切ってはいなかったように思う。
 何よりコイツの場合は兄貴側のほうからも手を差し伸べているだけではないか。振り返りもせず、向けたとしても氷の眼差し一つのアイツとは違う。一体どうしてこうなってしまったのか。
 在りし日の陽だまりの温度がよみがえって白海は頭を振った。過ぎたことを考えても仕方ない。深い息を吐いて龍に向き直った。

「じゃあとにかく一回話してみたら? うじうじ悩んで尻込んでいるくらいならやっぱり直球勝負が一番だぜ。それで気に食わない答えでも返ってきたらごんたちか俺にでも言えばいい。家出でも一発殴るでも付き合ってやるよ」
「相変わらず暴力的だよなあ、お前」

 暴君かよと笑う龍の顔にはまだ陰は拭いきれていない。それでも幾分か晴れやかな顔つきにつられて白海も微笑んだ。

「暴君はさくら一人で十分だろ」
「それもそうだな」

 タイミングよく昼休みの終わりを知らせるチャイムが響き渡る。今度何か奢ると言って龍は去っていった。


「で、結果はどうだったんだ?」
「まだ結果報告はきてねえな。っていうか地獄耳かよ。お前あのときその場にいなかっただろ」
「迅ちゃん耳いいもんでねえ」

 にっこりと胡散臭ささえ覚える笑顔を向けたのは森田迅介。クラスメイトであり、中学時代からの友人だ。もっともうちの高校はほとんど中学から持ち上がりのようなものなので知り合いが多くなるのは必然的なのだけれども。

「ずいぶん珍しい組み合わせじゃねえか。さくらならまだしも、元引きこもり数オタと反抗期系次男なんてさ。そりゃ目立つってもんよ」
「そうかあ?」
「そうだよ。しかもわりと重めな相談じゃん。いつの間にそんな仲良くなったわけ?」

 じんちゃん寂しいとウソ泣きする迅介を雑に流しながら白海は時計をちらと眺める。そろそろ次の準備をしなければ間に合わない。
 体をずらしながら白海は先ほどの奇妙な昼休みを思い返した。
 たしかにさくらとは食の趣味が合うせいかたまに話をする仲であったが、龍とは顔見知り程度。振り返ればいつも固まっている三人のうち、一人しか交流らしい交流がないとは不思議なものだ。

「それよりさ、今週末お前ん家行っていい?」
「また家出? 三連休なのにか?」

 迅介の眉が上がる。くるりとした目がこちらを見上げた。

「ああ。クソ兄貴が帰ってくるから」
「いいよ。了解」

 苦笑いしつつも深く事情を聞くこともなく受け入れてくれる友人は優しい。やはり持つべきものはよき友人である。

「でもさあ、お前はいいの」
「何が?」

 迅介は視線を窓の外に向けていた。小さな白い塊がグラウンドへわらわら飛び出していく。もうすぐ体育教師のだみ声がここまで届くだろう。

「わからねえなら直球勝負なんだろ? お前は仕掛けねえの」
「やっても無理だったら打つ手ねえよ」

 予鈴が鳴る。物言いたげな視線を黙殺し、白海は自身の席に足を向けた。


「ただいまー」

 返ってくる返事はない。冷え切った廊下だけが自身の声を受け止める。当たり前だ。この時間帯に帰ってくるのは自分だけ。冷たい空間に今さら何の感慨もわかず、荷物をまとめてさっさと後にしようと一歩を踏み出したそのときだった。

「おかえり」

 あるはずのない声が返ってきて白海ははじかれたように顔を上げた。声の主を認めた瞬間、みるみるうちに眉間に皺が刻まれていく。

「なんでここにいる。クソ兄貴」
「自分の実家に帰ってくるのに誰かの許可がいるかい?」

 自分によく似た目に嘲笑が浮かんでいる。相変わらず癪に障る態度だ。

「へえ大学生はずいぶんなご身分なんだな。午後の授業はないのかよ」
「今日は休講。だから新幹線の席とって帰ってきた。で、白海は」
「迅介ち行くからお構いなく。じゃ、優雅な連休をお過ごしください」

 目も合わせることなく兄の横を通り過ぎる。荒々しく階段を駆け上って、手早く必要な物をまとめ、再び外に飛び出した。だから気がつかなかった。兄がどんな表情を浮かべていたかなんて。その後続く言葉がなんだったかなんて。


「あーもう、ふっざけんなあのクソ兄貴!」
「おうおう荒れてんなあ。でもあんまり大声出すなよ。じいちゃんいい顔しねえからさ」

 これでも食べて落ち着けと差し出された煮干しをひったくって口に押し込む。身が砕ける音と共に香ばしさが広がったが、内蔵の苦みが後を引いた。

「お前煮干しを菓子代わりに食べているくせになんでそんな短気なわけ?カルシウムまだ不足してんの?」
「馬鹿野郎! それに科学的根拠はねえよ!」
「あ、そこつっこむんだ。それより早く単語帳開いたほうがいいんじゃね? 連休明け英語の小テストあんぞ」
「わかってるつーの」

 ぺらりとページをめくってもアルファベットが虚しく滑っていくだけだ。どうしてこんな記号の羅列をみんな覚えられるのだろう。なんで世界共通語が日本語ではないのか。
 頭をかきむしる白海から突然単語帳が取り上げられる。

「うんうん悩んでも進まねえだろ。俺がみてやるよ。あの先生の出るところ大体分かるし」
「マジで!? 恩に着る!」
「お前は武士か」

 コイツは聖人か何かだろうか。おかげで週明けの小テストは赤点をとらずにすみそうだ。
 拝み倒す白海に苦笑し、迅介はペンを取り出した。


「白海」
「どうした龍」

 ちらと顔を上げれば龍が傍らに立っていた。その瞳は所在無げに揺れている。しばらく言葉にならない独り言のようなものを呟いていたが、やがて意を決したようにこちらを見据えた。

「あのさ、これやる」

 差し出されたのは購買のパン。しかもタルタルソースがのった白身フライがサンドされたおさかなパンだ。幼稚園児が考えたようなネーミングセンスの割に味は上等で、その分人気も高く、昼休みの序盤になくなってしまうので白海もほとんどお目にかかったことがない。

「なんだよいきなり」
「ほら、前アドバイスくれただろ」
「アドバイス?」

 龍の目が責めるように細くなる。慌てて頭の中をひっかきまわした白海は一拍置いて思い出した。

「ああ! あれね。結局どうなった?」
「……」
「どうした?」

 まさかあの青年が龍を傷つけるようなことを抜かしたのだろうか。堅物そうではあっても、人を不用意に傷つけるような奴には見えなかったが。だが人は見た目ではわからない。もしや外面がいいだけで内面は身内を平気で傷つける屑野郎だったのか。
 あの野郎一発殴る。衝動のままに立ち上がった白海を慌てて龍がとりなした。

「違うって! お前が考えているような展開にはなってねえよ」
「じゃあなんで黙りこくったんだよ」
「あーえっとそれは……」

 再び視線が合わなくなる。唸り声のようなものを上げてぶつぶつ呟く龍に、白海は辛抱強く続きを待った。しばらくしてようやく薄い唇から言葉が紡がれる。

「ちょっとあまりにも信じられなくて。だって今までろくに話したこともなかったんだぜ? なのに急になんだって」

 そこで一度言葉が途切れた。と、次の瞬間だった。

「あー! もう普通の兄弟の在り方ってなんなんだよ! そんなん普通じゃなかった俺たちに分かるわけないだろうが! 教えてくれよ白海!」

 頭をかきむしり、拳を机に打ち付ける。周囲から視線が突き刺さったが、それに目もくれず龍はわめいた。

「知るか。だから聞く相手が間違っているんだって何度言えば分かるんだお前は」
「でもさ」
「で、結局お前はどうなのよ。自分の兄貴と向き合うのが嫌なわけ? 嫌なら言えよ。手伝ってやるからさ」

 龍の言葉を遮って強い眼光で彼を見据える。机の上の愛読書を突きつけるように指で弾いた。途端に燃え盛る炎はロウソクの灯火大まで落ちこんだ。

「……いやいい。何とかやってみる。どうしようもなくなったらお前に相談するわ」
「まず俺じゃなくてごんやさくらにしろよ」

 ため息交じりの言葉に龍は微笑んだ。初めて見た、混じり気のない純粋な笑みだった。

「じゃあまたよろしくな。……お前も上手くいくといいな」
「いや人の話聞けよ」

 そのときタイミングよく龍を呼ぶ彼の幼馴染の声が聞こえた。渋々とした様子を取り繕って彼は駆けていく。その背を白海は呆れながらも暖かな眼差しで見送った。


「ま、そうは言っても俺のほうはどうしようもならないんだけどな」
「本当に? もしかしたらお前が見落としているだけかもしれないぜ?」
「まさか。お前らも俺たちの関係よく知っているだろ」

 友人たちは顔を見合わせ、やれやれと首を振った。

「そうじゃないと思うけどな。お前は思い込みで突っ走ることあるから」
「じん、こればかりはアイツが悪いだろ」
「お前ら何言ってんの?」

 二人だけが理解できる会話をするのはやめてもらいたい。じとりと睨めば、呆れ果てたため息が返ってきた。が、もう分かれ道にさしかかってきている。白海は首をかしげつつ二人に別れの挨拶を告げた。

「ただいまー」

 今度こそ返ってくる言葉はない。荷物を椅子の上に下ろし、洗濯物を取り込もうとしたときだった。

「なんだこれ?」

 机の上に何か置いてある。そこにはおしゃれな菓子の箱とアジの干物のパックが一つ。
『お土産ここに置いておくね。お前は自分が思っているよりも器用じゃないから自分の容量超えてぶっ倒れるような阿保なことはしないように』
 紙を危うく握り潰しそうになった。

「自分の限界くらい分かるわクソ兄貴!」

 しかし食い物には罪はない。しかも片方は大好物のアジだ。ゴミ箱に放り投げようとして、振り上げられた腕は、しかしその直前で動きを止めた。白海はしばらく止まっていたがやがて紙をポケットに突っ込み、窓の鍵を開ける。差しこむ夕陽は実に鮮やかな赤だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?