【小説】花より団子、月より兎 たけのこご飯
上記の話の続きです。
今回は二匹の兎とたけのこご飯。
それから数日経ったある日。ポストの中に一枚の紙が入っていた。
普通の厚紙かと思ったが、よくよく見てみるとラメのような粉状の箔が散らしてある。それは闇の中、僅かな光に反射し、きらきらと輝いていた。まるで天の川のように。
そしてその紙には一言、
『今週の土曜、佳奈子さんのご都合がよろしければ、18時頃伺ってもよろしいでしょうか』
と書かれていた。
「いやよろしいでしょうかって、どうやって返信しろっていうのよ」
送り主の名は書かれていなかったが、書いた人物は一人、いや一匹しかいない。
今やずいぶん丸くなった月を見上げて、佳奈子はため息をついた。送り主は夜空に輝く大きな衛星にいる。技術が発達した現在、電波の波に乗せれば地球の反対側に即座に届けることはできるが、流石に地球外は不可能だ。
「アポなし訪問はやめろとは言ったけど、これで私の都合が悪かったらどうするつもりなのかしら」
しかし口調とは反対にその足取りは軽かった。
時間ぴったりにベランダの窓が叩かれる。そこに映るのは白と黒、二匹の兎たちだ。
「あら、本当に時間ぴったりに来たのね」
「ええ。手紙にも書きましたから」
黒い兎、あんこが頷いた。
「そういえば日時についてはちゃんと記されていたけど、その日、私が無理だったらどうするつもりだったのよ」
あんこはきょとんと目を瞬いた。
「え? もしお断りでしたら返信用の小型発信機を飛ばしてもらうよう、取り扱い説明書と共に同封を頼んだつもりだったんですけど、ありませんでしたか?」
「ええ。ほら」
手紙を差し出すとあんこは何度も隅々まで眺め、ひっくり返してはまたひっくり返すのを続けていたが、やがて目的のものが見つからないと察するや否や、勢いよく頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 佳奈子さん。同封したと思っていたのですが、こちらの不手際で送られていなかったようです。もし今夜ご都合が悪いようでしたら……」
「別にいいわよ。どうせ予定なかったし」
今にも泣き出しそうな顔でまくしたてるあんこの口を押さえた。もの言いたげな目を向けられたが、気づかぬふりをする。
「あ、あのー」
「何よ、しらたま」
今まで黙っていた白い兎、しらたまがおずおずと声をかけた。
「多分なんですけど、それ僕のミスです」
「は?」
佳奈子は片眉を上げてしらたまを見た。あんこも振り返る。しらたまはびくりと肩を震わせた。
「い、いやー先輩に頼まれて出したはいいんですけど、そのときうっかりつけ忘れちゃってたのに、今気づいたみたいで。あははは……はい、すみません」
「つまりアンタのせいじゃない」
佳奈子の冷たい眼差しとあんこの大きなため息がしらたまに突き刺さった。
「ううう……すみません。たしかに入れたと思っていたんですけど」
しらたまの長い耳はしぼんだ気持ちを表すかのようにへたれている。佳奈子は一つ嘆息を落として手を叩いた。
「まあいいわ。済んだことは仕方ないし、私も何もなかったんだからこの話はこれで終わり! さ、その辛気臭い顔はやめてよね。ご飯が不味くなるでしょ」
「カナコちゃん……!」
うるうると瞳を潤ませるしらたまの額を弾き、踵を返そうとしたそのときだった。
「あ、その前になんですけど」
「何よ」
あんこが何かを手渡してきた。
「これこの前のお礼です。餅も考えたのですが、今の時期、餅は季節外れかと思いまして、いろいろ悩んだのですが、これくらいしか用意できず申し訳ありません」
「なんだ、気にしなくてもいいのに」
前に不時着したときの礼と詫びを兼ねてわざわざ贈り物を用意してくれたらしい。
差し出されたのは茶色の封筒だった。その中に入っていたのは――
「地球?」
「ええ、こちらから撮った地球です」
闇の中に浮かび上がる青い星。渦を巻く雲やら砂漠や森が広がる大陸やらが映っているが、その中央に位置していたのは一番見慣れた島、日本列島が映っていた。
「まあ宇宙からの地球の写真なんてそれほど珍しくもないかもしれませんが」
「いやそんなことないわよ。月から撮った地球の写真なんて普通一個人に渡るわけないしね」
佳奈子はほうと感嘆の息をついた。改めてみると水の星と呼ばれる所以がよくわかる。他の星が岩石やら赤茶色の砂やらガスやらで覆われている中、この星を満たす特異な青。生命を育む美しい紺碧だ。
これをしらたまたちはいつも眺めているというのなら、あちらの生活も悪くないのかもしれない。
「あ、ちなみにもう一枚ありますよ」
「本当だ。何の写真かしら」
取り出した写真を見、佳奈子は首をかしげた。
「……月? それにしては何か違和感あるわね」
「それはそうでしょう。地球からでは見えない月の裏側を映したものですから」
「へえ、月の裏側ねえ。……待って、月に裏側なんてあるの?」
あんこはこくりと頷いた。
「ええ。月は自転と公転が同期しているので、地球からはいつも同じ面しか見ることができないんですよ」
「へえ、そうなんだ」
佳奈子は写真に目を落とした。兎が餅をついているとも表現される黒みを帯びた滑らかな面はほとんど見られず、おできのようなクレーターが白い肌の上に無数にあるばかりだ。
「ちなみに僕らが暮らしているのは主にこっち側ですね」
「えっ、じゃああの写真みたいな地球は普段見ることができないの?」
「ええ。宇宙船に乗ってみることが多いですね」
「えー勿体ないわね」
毎日、宇宙に浮かぶあの美しい地球の姿を見られないのは残念だ。ああ、でも裏側しか見られない景色もあるのだろうか。
もし裏側なら何が見えるのだろう。太陽? 駄目だ。一瞬で網膜を焼かれる気しかしない。
あんこはふっと微笑んだ。
「そうでもないですよ。たまに見るからその美しさがわかるというものです」
「ああ、東京に住んでいる人が東京タワーにありがたみを感じられなくなるようなものね」
「その例えは正直よくわかりませんが……まあそんなものです」
首をかしげながら佳奈子に同意したあんこは開けっ放しだった窓を閉めた。タイミングよくしらたまの腹が鳴る。
「あ、そうだ! 今日のごはん! 今日はなんですか、カナコちゃん」
「はいはい、席についてからのお楽しみよ。早く席につきなさい」
二匹の兎を手招いて、佳奈子は煌々と明かり灯るリビングへと歩きだした。
「はい、どうぞ。これで満足?」
テーブルの上に並んだのはたけのこご飯、味噌汁、山菜の天ぷら、しらすと小松菜の和え物である。
「わあ、すごい! すごいですよカナコちゃん」
「これは圧巻ですね」
きらきらと瞳を輝かせる兎たちに、佳奈子は頬をかいた。
「アンタら大げさよ。スーパーの力も借りているし、そこまで凝ったものは作ってないわ」
リクエスト内にあったたけのこご飯は、混ぜて炊き上げればできる企業が開発した商品を用いているし、メインはスーパーの総菜である。感動するには料理にかけたコストと見合ってない気がした。
「それでもですよ! だって僕じゃ絶対こんなに作れません」
「そりゃ人間でもなければこの星出身でもない兎に負けるようじゃ、どんだけ料理下手なのかって話になるでしょ」
佳奈子はしらたまに呆れた目を向けた。兎たちのふさふさの短い手はコンパクトにまとまっていて、自分のように指をバラバラに動かせるわけではない。料理をするには圧倒的に不利だ。
「ほら、馬鹿なことを言ってないで早く食べなさいよ。冷めちゃうでしょ」
そう言えば、はっと気づいたように兎たちはスプーンを手にとった。佳奈子も箸を持った。
まず口をつけたのはリクエストにあったたけのこご飯。
薄っすらと茶色みがかった白米は、たけのこの色が移ったようで、その食欲をそそる色に気分が上がる。
口に含めばほっこりとした食感と出汁の旨味が広がって、思わず頬を緩めた。たけのこの香りが口腔を満たして、心の中まで春のように暖かな気分になる。
「これ、食感が楽しくていいですねえ。これが地球の春」
しらたまが顔をとろけさせながら呟いた。
ついこの前だって雛祭りを楽しんだんだから、既に地球の春は知っているんじゃないの。普通の食事であれば、そんな憎まれ口を叩いたかもしれないが、今は目の前の食事を楽しむのに忙しい。
食いしん坊兎の言葉には目をつぶってやることにして、佳奈子が次に狙いを定めたのは味噌汁だ。
今回の味噌汁はひと味違う。今日の味噌汁にはいつものにはないものが入っているのだ。
まず真っ先に舌に届いたのは味噌の塩味といつもの出汁とは異なる優しい味わい。仕事を頑張ってきた体に染み渡るような暖かさとほんの少しのほろ苦さが体をほぐしていく。
「佳奈子さん、資料では見たことのないような鮮やかな緑のものが入っていますけど、これなんですか?」
あんこが興味深げに、汁に浮いた緑の塊を突っついた。色鮮やかな緑はまさに生命の息吹を感じさせる。
「ああ、それ菜の花よ」
「菜の花? 味噌汁に合うんですか?」
あんこが目を丸くした。
「そう。私も初めて作ったけど、案外いい味になったわよ。しかも出汁代わりになるし」
「そうなんですか。まだまだ奥が深いですね」
じっと味噌汁を見つめていたあんこは、ついに意を決したように口をつけた。その瞬間、大きな目がさらに見開かれた。
「この味好きかもしれません。いいですね、菜の花。この時期にしか食べられないのが勿体ないくらい」
「そう? ならよかった」
菜の花は苦味があるので好き嫌いが別れる。気に入ったのならばよかったと佳奈子は微笑んだ。
「カナコちゃん、これはなんですか?」
ずっとたけのこご飯を頬張っていたしらたまが指し示したのは本日のメイン、山菜の天ぷらだ。
「ああ、山菜の天ぷらね。タラの芽、こごみ、ウドだけど、スプーンじゃ取りづらいわよね。手で食べるか、アンタがよければ私が取ってあげるけど」
「じゃ手でいきます。カナコちゃん食べながら僕にもあげるの大変でしょう」
「へえ、アンタも少しは人の気持ち慮れるようになったのね」
感動してしみじみと呟くと、しらたまがむっと口を尖らせた。
「なんですか。僕はいつだってカナコちゃんのためを思って行動しているじゃないですか」
「アンタ、今までの行動振り返ってみなさいよ」
途端に目を明後日の方向に向けるものだから、佳奈子はやれやれとかぶりを振った。
金色の衣に包まれた山菜たちは、ちょうどスーパーで揚げたてのものを買ってきただけあって、まだほんのりと温かい。
佳奈子は塩を振って、最初に目についたタラの芽を口の中に放りこんだ。
瞬間、サクッと小気味よい音が響いて油と共に山菜の香りが口いっぱいに広がる。まさに山菜といえばこれ、を体現したような味わいだ。厚みがあるが、柔らかいので食べるのも苦労しない。衣の甘さで山菜の苦味が軽減され、塩のおかげで味もまとまるので箸が進む。
「ああ、やっぱりビールも買っておくべきだったわね」
これで一缶あけたら最高だっただろうに。と言った途端、しらたまが青ざめた。
「カ、カナコちゃんそれはやめておいたほうがいいんじゃ……」
そう言えば一度しらたまの前で泥酔したことがあった。そのときよほど醜態を晒してしまったらしい。佳奈子は頬をかいた。
「いや流石にビール一缶だけじゃ酔わないわよ」
「でも辞めたほうがいいと思います」
小刻みに震えるしらたまの姿は流石の佳奈子も不憫に思えてくる。
「はいはい、わかった。アンタの前じゃ飲まないわよ」
「そのほうがいいですよ。酔っぱらっちゃったら、せっかくの料理の味もよくわからなくなっちゃうじゃないですか」
あからさまにほっとした顔をしたので、一体自分はどんな姿を見せてしまったのか、知りたいような知りたくないような何とも言えない気持ちになった。
微妙な空気を断ち切るようにひょいと天ぷらを放りこんだしらたまが盛大に顔をしかめた。
「う、これ僕苦手かもしれないです」
「ああ、ウドね。この中じゃ一番香りも苦味も強いからね。アンタの口には合わなかったのかもしれないわね。私のこごみと交換する? こごみなら苦味少ないからアンタでも食べられるでしょ」
「うう……食感は好みなんですけど」
項垂れたままそっと差し出してきた皿に佳奈子はこごみを乗せてやり、代わりにウドを引き取った。
「そうか? 僕は好きだけどな」
たしかにあんこは顔色一つ変えずにウドの天ぷらをかじっている。
「じゃああんこのほうが大人舌ってことね」
「え、それまさか僕が子ども舌だって言っているんですか、カナコちゃん!」
「そうね。アンタは中身も舌もおこちゃまね」
しらたまは後ろにガーンと効果音がつきそうなほどわかりやすくショックを受けた表情を浮かべた。
「そんな顔したってしょうがないじゃない。食べられないものは食べられないんだから」
「ううー……頑張ればいける気が」
「だめだめ。無理している時点で美味しくないでしょ。しんどい顔されて食べられるの、私にも作り手にも失礼よ」
のろのろと伸びてきた白い手を払って、佳奈子は言った。
「美味しいんですけどね」
「しょうがないわね。食べられないんだから」
苦味が強いが、同時に香りも強いので、ウドはその独特の香りを楽しむ大人の味だ。
二人でサクサクとウドの天ぷらを食べていると、しらたまがテーブルに突っ伏した。
「僕だけ仲間はずれにされている気分……」
しくしく泣くしらたまを尻目に天ぷらを咀嚼する音が響いていた。
「なんだかお礼するつもりが、お礼以上に施しをもらってしまいましたね」
「いいわよ。どうせリクエスト聞かなきゃうるさいからね」
しらたまが騒ぎ始めたが、あんこの一睨みで静かになった。
「あ、そう言えば、来週の土曜って朝から来れる?」
「え? ああ、まあ頑張って調整すれば行けないこともないですが……。何をするおつもりなんですか?」
即答しようとしたしらたまの口をふさいで、あんこが言葉を選びながら答える。
佳奈子はにやっと笑った。
「決まっているじゃない。春と言えばお花見。するわよ、お花見」
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