【小説】花より団子、月より兎 栗ごはんと秋鮭
前回の「花より団子、月より兎 焼き芋とカボチャ」
の続きです。今回は栗ごはんと秋鮭、大学芋をそえて。
「ただいまー」
「おかえりなさい、カナコちゃん」
扉を開ければ白い毛玉が駆け寄ってくる。
「今日はなんですか?」
佳奈子を見つめる瞳は佳奈子が秋の味覚をもってきたことに微塵も疑いを抱いていないようだ。正解ではあるが素直に肯定するのは癪なので、佳奈子はわざとあからさまなため息をついた。
「まったくアンタは食べ物にしか興味ないわけ?」
「ち、違いますよ! 僕はカナコちゃんの顔を見られて嬉しいなーっていう ついでに何か買ってきてくれたんじゃないかなーって思っただけです」
一転して手足を振り回して弁明する姿を見、佳奈子は吹き出した。
「冗談よ、冗談。ほら今日は栗ご飯にするから荷物もって」
「もうカナコちゃんってば」
しらたまはバシバシと床を叩いたが、ちゃんと荷物を受け取って部屋に向かった。
「栗ごはんなんですよね? なんで最初に鶏肉だすんですか? 今日のおかずですか?」
米を水につけている間に佳奈子が取り出したのは鶏もも肉。フライパンに滑り落とせば油の小池に肉が踊った。
「前にテレビでおいしい栗ごはんの作り方やっていたのよ。そのときにこうやって焼き目をつけた鶏肉を入れるとより香ばしくなるんだって。ま、試すのは今日が初めてだけど」
しっかり火を入れる必要はないので焼き目がついたら取り出して食べやすい大きさに切る。吸水した米に塩、醬油、酒を加えて栗と鶏肉を入れていく。栗はむくのが面倒なので既にむいてあるものを買ってきた。
「ああ、あとこれ入れなきゃいけないんだっけ。危うく忘れるところだったわ」
「えっカナコちゃん、それなんですか?」
佳奈子が戸棚から取り出したのは黄金色の液体が入ったプラスチックの容器だ。
「あ、これ? 蜂蜜よ蜂蜜」
目の前で振ってやると中身もゆっくりと揺れ動いた。それに伴ってしらたまの目も左右に揺れる。
「へえ初めて見ました。なんで入れるんですか?」
「隠し味らしいわよ。私もテレビで見ただけだから詳しくは知らないけど。アンタも一口なめる?」
「えっ!? いいんですか?」
ぴょこぴょこと佳奈子の足元までやってくるとしらたまは口を開けた。
「気が早いわよアンタ。まずはこっちに入れるのが先でしょうが」
ひと匙釜の中に垂らす。とろりと金色が栗の間へ溶けていった。
「はいあーん」
しらたまは素直に口を開く。スプーンを入れてやるとしらたまは眉を微かにしかめた。
「うわ、さらっとよりはベタベタしますね。舌にまとわりつきますし、あと独特な甘さというか香りというか」
「まあ蜂蜜だしね。香りは花の種類によっても変わるわよ。蜂だから」
「へえ、ハチミツといってもいろいろあるんですね」
炊飯器をセットすると佳奈子は買い物袋からトレーを取り出した。
「あっ今日のおかずですか?」
「そうよ」
取り出したのは脂がのって銀の鱗が輝いている秋鮭の切り身。それに塩を振って今度はえのき、しめじ、ニンジンを取り出した。えのきとしめじは石付きを切り落とし、ニンジンは千切りに。切り終わったら今度はアルミホイルを取り出し、中央にたらした油をニンジンで広げる。真ん中に鮭を置いて奥と手前にニンジンを散りばめ、しめじとえのきは鮭の上。最後にちょこんとバターの冠をのせれば後は焼くだけだ。
「あのーカナコちゃん、それ一つしか焼かないんですか?僕の分は?」
「いや、アンタこれ魚よ? 食べるの?」
眉をひそめて問うとしらたまは大きく頷いた。
「だから僕、地球の兎じゃないからいろいろ食べられるって言ったじゃないですか」
「ええ……アンタも食べるの」
「食べたいです」
丸く黒い瞳が佳奈子を見据える。二人はしばらく見つめ合っていたが、先にそらしたのは佳奈子のほうだった。
「あーはいはいわかったわよ。分けてあげるわよ。よかったわね、私が寛大で」
銀の包みをフライパンの中に閉じ込める。
「この後どうするんですか?」
「最初は中火でちょっと経ったら弱火にするの。火が通ったら完成よ」
「それは楽しみですね」
しらたまは背を伸ばしてフライパンの底をなめる青い炎を見つめていた。
ピピーと甲高い音が響く。しらたまの耳が飛び上がった。
「あっ炊けましたね」
しらたまは軽やかに炊飯器に向かう。
「開けてもいいですか」
と言いながらも毛玉に包まれた手は既にボタンの上にのせられている。
「はいはい。どうぞ」
「ありがとうございます!」
佳奈子が言い終わる前に白い前足が開閉ボタンを押した。蒸気と共に香ばしさと栗のほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「わあ! とてもいい匂いですね」
宝箱を見つけた子供のようにしらたまは無邪気に笑った。
佳奈子は仕上げに黒ごまを振りかける。そしてしゃもじを持つとお椀に盛り付けていった。カット野菜のサラダに鮭のアルミホイル焼き、栗ご飯。それに緑茶をそえる。
「今日の夕飯は豪華ですね」
しらたまが感嘆の声を漏らした。佳奈子は鼻を鳴らす。
「何言っているのアンタ。まだあるわよ」
「ええ!? まだあるんですか?」
「いらないならいいけど」
意地悪い笑みを浮かべるとしらたまは頭を振った。
「そんなこと言ってないじゃないですか! 食べますよ」
「まあでも流石に今日は品数多いから半分こね」
佳奈子が取り出したのは透明なトレーだった。その中にはツヤツヤと照り輝く半月。側面は赤みがかった紫で塗りつぶされている。星を散らしたように黒胡麻がその上を飾りつけていた。
「えっこれってもしかして……」
しらたまが目を見開く。佳奈子はにやりと笑った。
「アンタ食べたいって言っていたでしょ。大学いも」
「カナコちゃん大好きです!」
たまらずしらたまが佳奈子に飛びついた。パックがずるりと滑る。
「ちょっといきなり来ないでよ。落としちゃうでしょ!」
佳奈子は大きな毛玉を引き剝がし、小皿に取り分けた。しらたまは佳奈子の正面の席によじ登る。
「じゃあいただきます」
「いただきます」
佳奈子の真似をしてしらたまも手を合わせ、食事の挨拶をした。
まずは湯気をたてる栗ご飯に口をつける。瞬間口の中に鶏肉、醬油、酒、栗の香りが一体となって駆け抜けた。それを後ろでまとめるのは蜂蜜。塩や醬油の塩からさと栗の甘さが混ざりあって料亭のような上品さが漂っている。
「なにこれおいしい!」
手が止まらない。ただただ手をご飯と口の間を往復させることで精一杯だ。
「こんなの初めてですね」
しらたまも頬いっぱいに詰め込んでいる。返事を返すのも惜しくて佳奈子は頷きながら箸を動かした。気づけばお椀の中は既に半分が消えていた。
「あれ私こんなに食べたっけ?」
「ちゃんと食べてましたよ」
首をかしげる佳奈子にしらたまが冷めた目で返した。気を取り直して今度はアルミの包みをほどくと色鮮やかな秋が花開く。
「わっすごい」
「ちょっと待ちなさい。まだかけるものがあるから」
調味料棚からポン酢を取り出すと鮭にかける。佳奈子は鮭に手をつけた。脂が十分にのった秋鮭が口の中で崩れていく。きのことニンジンの火の通りも完璧だ。嚙んでいるとバターの風味が香り立つ。脂っこくなりそうなところも爽やかなポン酢が引き締めていてちょうどいい。これは間違いなくご飯がすすむ。
「カナコちゃん、僕にもください」
「はいはい、ちょっと待ちなさい」
堪能していると目の前の兎が軽く机を叩いた。佳奈子は三分の一ほど残して、しらたまの方へ皿を押しやる。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げてしらたまは鮭をじっくりと眺めた。
「おおーこれが秋鮭……」
感慨深げにフォークで突き刺すしらたまを横目に佳奈子は茶をすすった。
「しょっぱいけど、脂やバターの香りのおかげで甘くもあっておもしろいですねこれ。あっ、もちろんきのこもニンジンもおいしいです!」
「わかったから食べながら喋らないで。落ち着いて食べなさい」
両頬を膨らませて話そうとするしらたまを押しとどめる。細かく口を動かすしらたまを眺める佳奈子の口元は無意識のうちに弧を描いていた。
「あんまりお腹いっぱいにしないでよ。まだあるんだからね」
「はーい」
威勢良い返事に一つため息を返して、佳奈子はしらたまが食べ終わるのを待った。
「はい、これが大学いもよ。味わって食べなさい」
「もちろんです!」
艶のある表面が反射する。佳奈子はその一つをとって口の中に放り込んだ。
パリッと小気味いい音を響かせて糖蜜の層が割れる。中からホクホクのさつま芋が姿を現して、食感の変化が楽しい。懐かしい味に思わず頬が緩む。
しらたまのほうを見やれば、無我夢中で頬袋に詰め込んでいて佳奈子は呆れた笑みをこぼした。
「気に入った?」
「はい! 甘くておいしいです!」
「そう。それはよかったわね。でも取らないからゆっくり食べなさいよ」
「でもおいしいんですもん」
手はゆっくりになったが、口は細かく動いたままなのでせわしない。片肘をついて佳奈子は言った。
「そういえば、アンタ今週末空いてる?」
しらたまの耳が真っ直ぐ立った。きょとんとした顔がこちらを見上げる。
「多分来れると思いますけど、なんでですか?」
「アンタが食べたいって言ってたスイーツもってピクニックいこうかと思って」
あれだけ動いていた口が停止ボタンを押したように止まった。そこから反応が全くないので佳奈子が目の前で手を振る。と、そのときだった。
「いいんですか!?」
突然しらたまが身を乗り出す。ぱっと机に艶やかな欠片が転がった。
「ちょっと、大学いも飛ばさないでよ。汚れるじゃない」
「す、すいません」
眉をひそめられて、しらたまは席に座り直した。
「で、でも本当にいいんですか? ウソじゃないですよね?」
「アンタが乗り気じゃないなら別に私は構わないわよ。私はアンタと違って、食べたいときに秋のスイーツ堪能できるし」
「そんなわけないじゃないですか! カナコちゃんのいじわる!」
しらたまから食い気味に返事が返ってきて佳奈子は満足気に笑った。
「じゃ、決まりね。今週末、例の公園まで行くわよ」
「はい。楽しみです!」
食い意地のはった兎に苦笑をこぼしながら、佳奈子は色づいた葉が舞い散る小高い丘を脳裏に浮かべていた。
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