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【短編小説】箱庭の墓荒らし

うずめた想いを暴いて晒せ。

以前書いた「負け戦のその後」の前日譚。後輩たちにやきもきする先輩二人の話。

 顎をのせた机はひんやりとしている。目の前の黒板の端にはまだ消されかけた文字の切れ端が残り、暗緑色に散らされた粉たちは薄く粉砂糖をはたいたようだった。放課後を知らせるチャイムが間延びした音を落としていく。
 テスト期間でもない部活動休止日の教室は、自習で残る者もおらず閑散としている。茜色の光が徐々に弱々しくなり、明度が落ちていく様は物と物の境界が溶けて全てが一つになるようだった。
 それに反して唯一、その存在を主張するものが自分に突き刺さっている。しかもそれはどんどん強く、鋭くなっていく。
 ――そろそろくるな。
 瞼を降ろして、再び引き上げたその瞬間だった。

「じん、やめとけって言っただろ」

 ついに沈黙は破られた。予想通りのタイミングだ。
 咎めるような目がこちらを貫く。迅介はそれに一瞥を投げ、再び粉をふく緑板に視線を戻した。

「俺が何をしようが勝手だろうが。それに俺が何をしたって変わらないだろ」
「馬に蹴られるぞ」
「蹴る馬がいたらよかったのにな」

 乱暴に吐き捨てる。親友の眉が力なく下がり、珍しく困ったような顔をみせた。

「……ああいうのは当人同士でなんとかするべきじゃないのか」
「ずいぶん歯切れ悪い言い方じゃねえか、総助」

 弱いところを突かれた自覚があるのかぐっと押し黙った総助を挑発的にねめつける。
 喧嘩なら上等だ。かかってくるがいい。元々口は自分のほうがよく回る。やり合うつもりなら完膚なきまでに叩き潰すまで。
 結局、かちあった目を先にそらしたのは総助のほうだった。

「……どちらかの肩をもてば、どちらかの想いは報われないだろ」
「ずいぶん日和った平和主義だな。いや単に卑怯なだけか」

 迅介は鼻で笑う。総助は黙り込んだままだ。しかしその目の奥の光は依然として変わっていなかった。

「俺はどちらも選べない。俺が選べば一気に天秤が傾く。それじゃ不平等だ」
「ハッ、他人事だな。お前も間接的に関わっているくせに」

 再び総助は口を閉ざした。夕陽が二人の間に濃い影を落とす。
 くすんだクリーム色の天井に開いた穴は不規則で、後輩たちの関係のように複雑だ。
 ――あーあ、俺だったらもっとガンガン口を出していくのにな。
 双子だなんだと言われ、いつもセットで扱われる自分たちは考え方まで同じと思われることが多いがそれは誤解だ。実は根っこからして正反対。似ているところなんてせいぜいくせっけがある髪質くらいなものだ。
 多分自分たちは真逆だからこそここまで二人でやってこられたのだろう。だから度々ぶつかりあうこともあるが。そう、今回のように。

「俺は鳴美のも、林太郎のも、どちらの想いも尊重するべきだと思う」

 目を伏せたまま、しかし確固たる意思をもって総助は言った。迅介は思わず舌打ちしそうになるところを寸前のところで留めた。
 この期に及んで何を甘っちょろいことを。今までの会話はなんだったんだ。この強情者が。

「じゃ、賢治は?」
「……っ」

 苛立ちのまま間髪いれずに切っ先を突きつければ、小さく息を詰まらせる音がした。斜め前を向くと、喉に小骨でも詰まらせたようにしかめている総助と目があった。

「……俺にどうしろっていうんだよ」

 苦りきったその表情を見て、一気に溜飲が下がる。迅介はふっと口元を緩めた。

「まあ、今の質問は意地が悪かったな。悪い悪い。賢治のお前に対する心酔っぷりはお前がわざとやったわけじゃないしな」
「俺は特に何かした覚えもないし、鳴美の恋路を妨害したいわけでもない」

 宥めるように口調を和らげてやると総助は拗ねるように顔をそむけた。

「事実無根だっていうのにまるで恋泥棒みたいなことを言うなよ。俺はお前と違ってわざわざ馬に蹴られにいく趣味はねえ」
「いや俺もそんな趣味はもってないけどな」
「噓つけ」

総助は明らさまに不服ですと言った表情を張り付けている。迅介は苦笑を深めた。

「自分で言っておいてなんだけど、お前は完全に巻き込まれ事故みたいなもんだしな。賢治のお前に対するあれは忠犬、いや狂犬か?」
「狂犬ではないだろ。……ただちょっと尊敬が強いというか、態度によくだしてくれるだけで」
「あれを尊敬の一言で片づけんのか。ありゃいっそ信者の域にでも入ってんじゃねえの」

 迅介はけらけらと笑った。そしてふいに両手を天に向け、声を張り上げた。

「まーあれは賢治が悪い。というかこの件に関してはぜーんぶアイツが悪いからな」
「たしかに賢治の鈍感さはあれだとは思うが、林太郎も鳴美も悪いところがないわけじゃねえだろ」

 総助の眉間に皺がよる。後輩三人の関係に頭を悩ませてきた総助だが、別に嫌っているわけではない。むしろかなり気に入っているほうだ。そうでなければ、もう直接部活の後輩でもない奴らをいちいち気にかけない。ただでさえ興味ないことには、クラスメイトの名前すら記憶の片隅にすら留めない奴なので。
 この事実を賢治が知ったら文字通り飛び上がって喜ぶだろう。卒倒しかねない勢いでまくしたてるか、頬を紅潮させて身に余る幸福に身体を震わせるか。そのはしゃぎようが瞼の裏に浮かんで苦笑いがこぼれた。

「それでも、だ。アイツが鳴美の気持ちに気づいてやれればちょっとは違っただろうよ。ま、俺は気づかないほうが林太郎の勝率が上がるから万々歳だけどな」

 総助の視線に冷たい光が混じる。お前本当に最低だなとでも言いたげだ。が、迅介は無視して続けた。

「お前はさ、アイツらに甘いから誰も傷つけたくなくてどっちつかずの立場を貫いているんだろうが、そりゃ無駄な努力だぜ。どうせ誰かは傷つく。だったら早いほうがいいだろ」

 夕闇に暮れていく黒板の端に固まったチョークの小山はまるで煮詰めすぎた苦いカラメル、いやそれすらも通り越して炭のようだ。

「だからといってお前がせっついたところで何が変わるわけでもないだろ。お前は林太郎の想いがかなってほしいみたいだが、お前の思い通りに進むとは限らねえし、そもそも林太郎が動くかどうか」

 中学時代から見守ってきた三人の関係。恋は盲目だというが、彼らはまさにそれだった。
 初恋を突っ走らせた少女は背後にいる林太郎の視線には気がつかないし、彼女の瞳に映る賢治の視界に映るのは目の前のコイツだけだ。
 まあ賢治のは恋ではないが、一部から狂信者とまで揶揄されるほどの崇拝と恭順の姿勢は実はそれ以上に厄介なのかもしれない。

「ま、たしかにな。俺のウン十回目のせっつきじゃ今回も駄目だろうさ。でも全部無駄だというわけでもない」

 どういうことだと訝しげに総助が視線をよこす。迅介はにやりと口角を上げた。

「林太郎が動かなくても鳴美が動く。それでアイツも腹くくるだろ」

 そろそろ現状維持に痺れを切らした鳴美が想いをぶつけにいくだろう。
 残念ながら結末は見なくても分かるが。賢治はずっと目の前のコイツしか追いかけてこなかったし、鳴美の恋情がわかるほどそちらの方向は育っていない。同じ熱量を持たなければ、意外と誠実なアイツはとりあえず付き合ってみようなどと軽薄な考えに至らないだろう。――そして失恋話に付き合うのは林太郎だ。

「でも今まで動かなかった林太郎だぞ? そんなすぐに変わるか?」
「変わる。俺が何のためにしつこく尻を叩いてきたと思ってんだ。俺は無駄なことを何年もやるほど暇人じゃねえよ」

 疑わし気な総助を鼻で一蹴する。
 ずっと、ずっと硬い岩盤を叩いてきたのだ。冷たい土に埋めた火種を掘り起こすために。本人すらも既に灰になったと思い込んでいる小さな炎に新鮮な風を送り込んでやるために。
 これで変わらなければそれまでのこと。だが恐らく林太郎も重い腰を上げるはずだ。いくら臆病でも好きな女子の涙を見過ごすほど腰抜けではない。

「じん、お前はなんでそんなに林太郎のことを応援するんだ?」
「そりゃ決まっているじゃないか。賢治よりも林太郎のほうが上手くいきそうだから。あと俺を純粋に慕ってくれる林太郎のほうがかわいい」

 不思議そうな片割れにやれやれと芝居がかった調子で首を振った。
 あの可愛げのない後輩も恐らく尊敬の念は抱いてくれているはずだ。が、いつも総助の隣にいたせいで目の敵にされ、散々生意気な口を叩かれてきた側からすれば、無口ながらも慕っていることを全面に出してくれる林太郎のほうがかわいいに決まっている。

「最後のが本音だろ。ついに本性現したな」

 半目で睨みつける総助に肩をすくめ、迅介は立ち上がった。

「まあ賢治だってかわいいぜ? いつもとげとげしいくせに褒めると途端に顔を真っ赤にしてテンパるところとかな」

 そろそろ帰らねば正面玄関が施錠されてしまう。靴をもって教員玄関からでるのは少し面倒なのだ。

「でもな、俺はずっと一途に想ってきた林太郎のほうが好感度高くてね。応援したいのはそっちのほうなんだよ」

 勝機がないとは言わせない。人間、長い間共にすれば愛情もわくというものだ。それが恋情でなかろうとそれを利用しない手はないだろう。
 涼やかな顔を情けなくゆがめて、俺じゃ無理ですよと嘆く姿が脳内に浮かぶ。
 お前そんなんだからいつまでたっても幼馴染から抜け出せないんだぞ。せっかく顔も整っているのだ。全部使って獲りにいけばいい。
 どの道捨てようと思ったところでどうせ捨てられないのだ。冷たい墓穴に放り込み、蓋をしたところで、一度ついた炎は容易には消えない。くすぶったそれはやがて硬い地面を突き破り燃え上がるだろう。

「俺はさ」

 もはや太陽は山の向こうに髪の毛一本ばかしの閃光を残すだけで、既に周りは深い夜の帳が降ろされている。迅介はその最後の一閃を焼き付けた。煌々と燃える美しい光を。

「性格が悪いもんで、人が隠し通したいものを掘り起こしたくなるんだよ。特に俺より若いくせに出家したみたいに何もかも諦めたような顔をしている奴のな」
 だからお前の言い分は聞けねえわ、ごめんなと口先だけの謝罪をする。真っ直ぐこちらを見つめる片割れの瞳にへらりと笑う自分が映った。

「……そうか、それならもう俺は何も言わない。後は自分たちでなんとかするだろ」

 総助は呆れたため息をつきつつ、並び立つ。

「いい未来があるといいな」

 主語のない言葉に迅介は笑みを深めた。

「そうだな」

 藍色に満たされた教室でも黒板に散ったチョークの粉はアラザンのように輝いていた。
 

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