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【短編小説】冷たい身体に小さな夢を

果たして機械に心はあるのか。それとも人間の錯覚か。

以前書いた「花売り少女は夢を見る」の少し前の時代の話です。ひとまずこれで終わりと言いながら同じ世界線の話ですみません。上記の話を読まなくても読めますが、読んだほうが分かりやすいです。

 大きな画面に映し出されているのは複雑な計算式が書かれたいくつものウィンドウ。さらにコンピューターの前には設計図やら走り書きのメモ用紙が散乱している。
 机の上に突っ伏していた男は頭をかきながら顔を上げた。顎髭は伸び放題、顔は皺が刻まれていない箇所を探すほうが難しいほど深い皺が顔中に刻まれている。白髪をかきむしり、男は再び画面に向き直った。

「この設計通りいけば必ず上手くいくはずなんだがな」
『機械に心をいれるのは辞めたほうがいい。彼らに永久の時を過ごすという苦しみを与えるつもりか』

 友の咎めるような眼差しが頭をよぎる。かぶりを振って男はキーボードを叩き始めた。
 機械が一人の人格を完璧に模倣し、またその人間がとるであろう行動を再現することは可能である。
 先人たちが人生をかけて明らかにしてきた知識の積み重ねはすさまじく、人間の性格パターンや仕草の特徴、声の波長から得られる感情の機微などを始めとし、それらが脳でどのような処理または作用を及ぼしているのかまで明らかにされ、生体のブラックボックスとまで呼ばれた脳の仕組みは今やほぼ解明されていた。
 そしてそれら全てを搭載した人工知能に個人の情報を食わせていけばどうなるのか。機械にも心が生まれるはずだ。いや正しくは「私たち」がその物体に心があると錯覚するのだ。
 人間は自分が考えている以上に感情移入しやすい生き物である。古来より動物や無機物にまで、まるで自分と同じ心をもっているかのように感じてしまうことが知られてきていた。それが同じ人型ならば尚更だ。
 たとえ本人の脳が残っていなかろうと、本人を映した映像や写真、家族や友人から得られる情報、本人が遺した日記や文章、学校や仕事の実績でもいい。そのデータを寄せ集めれば、後は人工知能がその人物を形作っていく。
 もしも本人が本当の自分をひた隠しにしていたがために、導き出した答えが違ったとしても構わない。購入者が求めているのは自分の目からみえる本人の振る舞いなのだから。

『だがそのデータを食ったAIはその人の心をもつんじゃないのか』

 友の声が頭の中で反響する。男はすっかり冷めきったコーヒーを口に含んだ。
 それは違う。人工知能が自分の血肉にした膨大な情報から推測される行動をとっているだけなのだから。ただ、みている私たちが心があるのだと錯覚しているだけだ。あるいはアンドロイドに搭載されたAI自身が、インストールされた情報に引っ張られて心があると思いこんでいるだけだ。
 男の手がふいに止まった。

『じゃあなぜ旧式の部品を使っているので? 壊れにくく、長持ちする新型のものではなく、博士が使う部品は新型よりも脆い古い型ばかり。それこそあなたが機械に心があると思っているからこそ、あるじが死んだ後、機械が悲しまぬようわざと期限つきの命にしたのではないですか?』

 今度ささやいてきたのは部下の青年だった。男は唇をかみしめた。
 たしかに壊れやすい旧式を用いたのは意図的だ。だがそれは決して心があるから時間制限をつけたのではない。あくまで安全性との兼ね合いのためだ。
 男が設計したアンドロイドにはセーフティシステムとして人への殺傷を命じられたり、人を殺傷しようと判断したりした場合には自動的に中枢システムにロックがかかり、一時的に活動を停止させる。
 このセーフティシステムが保証される年数を超えてまで他の部品が稼働し続けていれば、人を襲う可能性は否定できず、ひいては兵器として利用されてしまうことさえあるかもしれない。それだけは避けたかった。
 これは軍事利用には使わせない。友や同僚の反対の声を押し切ってまでこのアンドロイドの開発に着手したのはひとえに、男にはどうしても叶えたい願いがあったからだ。
 男はちらりと机の隅に目をやった。そこには白衣をきた瘦身の男と二十代ほどの女性が並んで映っている。男はグレーの髪に白髪が少し混じっており、目尻には笑い皺がついている。対する女性は明るい茶髪のロングで、目元の笑い皺のつき方が男にどこか似ていた。
 ホログラムで映しだされた二人は仲良く談笑している。映像が切り替わった。今度は女性のみで黒い博士帽とローブを身につけ、照れくさそうに笑っている画像だ。
 再び画像が切り替わる。今度は「Happy Birthday」とクリームで書かれたカラフルなケーキを、誕生日のときに歌う有名な歌を口ずさみながらもってくる女性だ。
 映像に映るどの女性も幸せそうに笑っていた。

「ああ、もうすぐだよマリア」

 映像抽出端末の縁を愛おしげになでる。

『機械に故人を演じさせて虚しくないのか?』

 これはこのアンドロイドの開発費用を得るためにプレゼンテーションをした後に投げかけられた言葉だ。問いかけたのは男と幾度も機械工学の研究で競ってきた博士だった。
 基本の人格も何パターンか備えつけてあるので、手伝い用としても、話し相手として使うことも可能だと説明をつけておいたが、競争相手とはいえ、長年の付き合いがある彼は、男の目論見を一発で暴いたらしい。
 男が果たして何を求めて家庭用アンドロイドの開発に着手しようとしたのか。彼はあの場にいた誰よりも理解していたはずだ。
 男は知らず知らずのうちに唇をゆがめていた。

「君たちは私がやることに後ろ指を指すが、父親が娘を求めるのは罪なのかね?」

 心があると人が感じるのが判定基準となるのならば、彼らには心があるのだろう。男にとってはどちらでもよかった。ただ一度でいい。もう一度娘に会いたかっただけなのだ。たとえそれが偽りのものであったとしても。それが脳の錯覚だったとしても。
 男は硬い足音を鳴らしながら部屋の中央にあるカプセルの前までやってきた。ひんやりとしたガラスの感触が心地よい。
 カプセルの中には一人の女性が眠っていた。うねりのある茶髪の毛先が胸元近くでたゆたっている。これだけみれば本物の人間が眠っているかのようだ。しかし実際の人間とは違うところが一つ。首に「AD-HK001」という文字が刻まれているのだ。

「必要な情報は全て入力した。後は起動させるだけだ」

 男は震える手で脇についたボタンを押す。中を満たしていた液体が急速に減少し、排泄孔に吸いこまれていった。と、次の瞬間女性のまつ毛が震える。ゆっくりと幕が上がり、琥珀色の瞳が現れた。

「はじめまして……いや久しぶりだなマリア」

 能面のような顔に初めて笑みが浮かんだ。

「はい、久しぶりですお父様」


 家庭用アンドロイド初号機AD-HK001が作られたのは開発者が若くして亡くなった自身の娘との再会を強く望んだことが契機とされている。初号機から既に基本の人格のパターンを選ぶこともでき、介護施設や医療現場でも実験的に用いられた。
 しかし最大の特徴はやはり個人の情報をインストールすることによって、その個人を模倣することであろう。ただし、これには倫理的、技術的にさまざまな問題が存在し、当時から人権団体などに強い批判を受けた。その後、多くの改良を経て現在の形に至る。
 開発者の意図を汲み、初号機以降AD-HKシリーズには一定の年数が経つと中枢システムに関わる重要な部品が自然に壊れるようになっている。
 また箱には法律により使用年数もとい彼らの寿命が明記することが義務づけられている。
 ――データベース9807『アンドロイドの歴史 第10章 家庭用アンドロイド』より

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