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【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第一話

あらすじ

幻獣たちが住む世界の片隅で病理医をやっている人間のパトロギ。そんな彼のもとにある日、鳥人ガルダの青年の遺体が運びこまれる。納得のいく死因の説明がつかないそれにパトロギは首をかしげていた。
しかし事態は既に大きく動き出していた。青年の死は暗殺疑惑へ、さらには幻獣界を揺るがす大事件へと発展していく。
幻獣病理医のパトロギ、その助手を務めるハーピーのパフィン、ちょっと小生意気な新入りケットシーのウィローは果たして真相を解き明かすことができるのか?

第一章「幻獣病理医の日常」

「せんせー届いたこれ、部屋に運んじゃっていいですかぁー?」

 間延びした声が裏口から聞こえてくる。顕微鏡を覗いていた男は顔を上げた。ところどころ寝ぐせのついた明るい茶髪に眼鏡をかけ、齢は三十代ほどであろうか。白衣のポケットの上にはパトロギという文字が縫いつけられていた。
 男は壁にかけてある予定表と時計を見比べる。ちょうど時間ぴったりだ。彼は白衣を椅子の背にかけて席を立った。

「せんせー? 聞いてますー?」
「聞いているともウィロー君。部屋に運んでくれて構わないよ」
「はーい」

 台車を転がす音が近づいてくる。男は目の前の扉を開いた。扉の上にかけられたプレートには病理解剖室と書かれていた。

「今日のはケンタウロスですよ、パトロギ先生。まったく重いったらありゃしない」

 ぶつくさ文句を言いながら台車を押して入ってきたのは二足歩行の黒猫だ。灰の混じった碧眼に、胸元には星のような白い斑点がある。
 その台車の上には上半身人間、下半身馬の青年が横たわっていた。力なく垂れた蹄に生気が感じられない浅黒い肌。瞼は固く閉ざされ、顎髭は薄っすらとしか生えていない。死んだ者特有の、妙に不快感のある甘い匂いが漂い始める。
 パトロギは苦く笑った。

「そう言うな。私たちは責任をもってこの仕事を任されているんだ。ご遺体には敬意を払わねば」
「でも流石にこれは僕には荷が重すぎますよぉ。僕はか弱いケットシーですよ?」

 聞き飽きたと言わんばかりにウィローは耳をふさぐ。そこに新たな声が割りこんだ。

「ケットシーはか弱くなんかないでしょ。文句言っている暇があるのなら台車から下ろしなさい」

 道具を並べながら冷たい目で見下ろしたのは腕に翼を生やしたオレンジ髪の女であった。先端は茶、根元に向かって彩度が上がり、付け根は橙色の翼はすらりと伸び、彼女用に特別に作られた白衣を着ていても、その美しさが隠れることはない。

「じゃあパフィンさんがやればいいじゃないですか。これくらいなら持ち上げられるでしょ。ハーピーなんだから」

 瞬間、パフィンの眦が吊り上がる。

「私には道具の準備をしなきゃいけないっている大事な用事があったの。大体今日の予定はわかっていたんだから、そんなに嫌なら事前に交代をお願いすればよかったのよ」
「そうやって高圧的な態度とってくるから頼み事もできなかったんですよ」

 まさに一触即発のそのとき、手を叩く乾いた音が響いた。

「はいそこまで。既にご遺体がきているんだから喧嘩している場合じゃないだろう。さあ始めるぞ」

 手袋をはめながらパトロギが宣言すると、パフィンは潔く頭を下げた。

「すみません先生。今準備しますね」
「ええー僕悪くないじゃないですかぁ」

 対してウィローは不満げに唇を突き出す。パトロギは深いため息をついた。

「いいかい、ウィロー君。この仕事はチームワークが不可欠だ。それができないと言うのであれば私も君の対応を考えなければならない」

 ウィローは視線をそらし、肩をすくめた。

「はあいすみません。僕も悪かったですよ。なので解雇は勘弁願います」
「わかったのならよろしい。じゃあ紐を足にかけてくれるかね。まずは台から降ろさなければ」

 蹄の少し上、球節あたりに輪っかを通す。そのまま壁についたレバーを引っ張ればゆっくりと身体が持ち上がった。パトロギは手元の紙に目を落とす。

「今回は突然腹痛を訴えたものの原因がわからず、ひとまず痛み止めと便秘薬を処方するもその後容態が急変して亡くなった方だ。年齢は二十。まだ若いな」
「じゃあ消化器系ですね」

 パフィンが床に降ろした遺体から輪っかを取り外しながら言う。

「ああ。だからまず腹を開く必要があるな」

 解剖刀片手にパトロギは瞑目した。冥福を祈り、そっと冷たい身体に触れる。

「でもケンタウロスだったらなんでうちに頼むんです? ケンタウロスって野蛮ですけど、たまにとんでもない天才を輩出するじゃないですか。たしか医者もいましたよね。ケンタウロスならわざわざ街の病院にかからなくたって診てもらえるでしょ。もし死んだとしてもたかだか市井の病理医に頼む理由もありませんし」

 パトロギは蹄のもっとも近い関節に切れこみをいれた。長い足は作業の邪魔になる上、硬い蹄は時として凶器にもなり得るからだ。上手く骨と骨の間に刃を差しこめば、小気味いい音と共にあっさり足の先端が外れる。

「この方ははぐれだったそうだ。だから彼らの協力は得られなかった。診断した医者はケンタウロスを診たことがなくてな、ろくな対処もできぬまま命を落としてしまったことを悔いていたよ。だからこそ我々に死因究明を依頼したわけだ」

 腹の間に刃をあてる。こげ茶色の毛は滑らかで、光沢があった。皮を切り開いて、さらにその下の筋肉の層をかきわけていく。

「えっ、じゃあ遺族も関わりたくないでしょ。誰から許可得てうちに来たんですか」

 群れから追い出されたケンタウロスは多くの場合において彼らの掟を破った罪人だ。たとえ家族であろうとも縁を切っているだろう。病理検査を頼むときには遺族の合意が必要だ。ウィローの疑問はもっともと言えた。

「彼は同族からは絶縁されていたが、友人には恵まれていたようだ。彼の友人たちが彼の死を無駄にはしたくないと頼みこんできてね。まあそれで上にも確認し、特例で許可を出したようだ」

 ついに刃は腹膜まで達した。この膜を破ればいよいよ臓器がしまわれている腹膜腔に到達する。

「へえそんなことってあるんですねえ。にしてもこの人もついてないや。治療経験のない医者しかあててもらえなかったんだから。僕だったらすぐに病院変えますね」
「そうとも言ってられないほど切迫した状況だったんじゃないかしら。よっぽど痛かったらしいわよ、この人。最後のほうは床をのたうち回ったらしいもの」

 悲痛そうにパフィンが顔をゆがめた。患者の状態が書かれた紙は淡々とした文字が並ぶが、それでもこの業界に務めていれば、当時の状況をまるでその場にいたかのように思い浮かべることができる。

「まあ医療体系はまだまだ未熟だからな。医者だってまだまだ研鑽が必要なのだよ」
「一番少ないのはうちみたいなところですけどね。先生はなんでこんな街の端っこで幻獣病理医なんてやっているんですか」

 幻獣たちを診る医者は並大抵の努力ではなることができない。なぜなら幻獣というのは人と動物が複雑に混じり合っている種が多いため、幅広い知識が必要不可欠だからだ。さらに異種族のハーフまで加えると、要求される知識、技術は恐ろしく膨大となり、もはや天を仰ぐレベルである。
 よって大半の医者は診る種族を限定し、安定した医療を提供するのが普通だった。
 しかしそうもいかないのが幻獣病理医だ。幻獣病理医のもとには毎日様々な種族の病理診断依頼が舞いこんでくる。つまり求められる知識量が最も多い職種だと言ってもいい。従って幻獣病理医は数少ない医者の中でも最も少ない部類の一つであった。
 パトロギはふむと顎をさする。

「立地がいいからだな。ここには知り合いの医者もいるし、何より住んでいる種族が多い。いろいろなものが見られるだろう?」

 種々の幻獣たちが寄り集まって暮らすようになってから数百年は経つ。生活の違いからほとんどは種族ごとに固まっているが、比較的新しいこの街には種族を超えて多くの移民が流れこんできていた。

「医療も十分じゃないので先生の仕事も多くなりますもんね」
「ウィロー!」

 腹に据えかねたパフィンが非難の声を上げる。それを片手で制し、パトロギはレンズ越しに一対の青を見据えた。

「ウィロー君の言う通り、ここの医療は十分だとは言い難い。ただね、医療に携わっている人々のことを馬鹿にしてはいけない。彼らは日夜病と戦い、より良い医療を届けようと奮闘しているのだから。私は少しでもその手助けができればいいと思っているよ」
「……すみません。言い過ぎました」

 ウィローはぼそぼそと謝罪した。心なしかひげも垂れ下がっている気がする。パトロギは微笑して、殊更明るい声を上げた。

「ではウィロー君、今から腹を開くから向かい側に来てくれ。ケンタウロスは見たことがないだろう?」

 ウィローがこくりと頷いて反対側へ立つ。パトロギは薄く弾力のある腹膜へ刃を差しこんだ。
 まず真っ先に飛び出すのは大きく膨れた盲腸である。

「これが盲腸だ。馬の胴体を持つ場合、腹を切り開くとまず真っ先に出てくるのがこの臓器。消化管疾患の場合、これも膨張や異常が見られることがある。注意してみるべき箇所だ」

 真剣な眼差しで観察するウィローを横目で確認しつつ、パトロギの手は休まない。次々と飛び出てくる腸の中に手を突っ込みながら、異常を探していく。やがて長い長い腸管の中から浅黒く変色した箇所が現れた。

「ふむ、見事にねじれているな。恐らくここが原因で消化管の血行障害が引き起こされ、消化管の壊死と閉塞が起きたのだろう。典型的な変位疝だ」
「典型的って言いましたけど、こういうのってよく起こるんですか?」

 パトロギは頷いた。

「ああ。ケンタウロスは下半身が馬だろう? 馬というのはそもそも腹部の疼痛を起こしやすいんだ。腸に分布する神経が鋭敏だったり腸管の大きさが異なっていたりするのでね。ケンタウロスも人の特徴を兼ね備えているから馬ほどではなくともやはり腹痛を起こしやすいし、馬系の幻獣の腹痛は要注意なんだ。今回みたいに急激に容態が悪くなってあっという間に命を落とすこともよくあり得る」

 病変箇所がよくみえやすいように表に引きずり出す。隅で診断書を書いていたパフィンがシャッターを切った。ケンタウロスの賢人が発明し、ドワーフが作った映写機は大変便利な代物だ。おかげで克明に記録することができる。

「君もこの仕事に就いていれば必ず出会う症例だ。よく覚えておくように」

 検査が終わると丁寧に臓器を戻し、パトロギは黙禱した。

「そういやこの後これどうするんですか? まさかこの後葬儀にだすというわけにもいかないじゃないですか」

 いくら衣を着せても解剖の痕はどうしても隠し切れまい、とでも言いたげにウィローは遺体に視線を向けた。

「ああ、そこは友人たちに許可をもらってあるらしい。後は葬儀屋に任せるしかないな。彼らはプロだから上手くやってくれる」

 再び台に乗せ終わったとき、タイミングよく裏口から物音が聞こえる。馴染みある気配にパトロギは微笑みを浮かべた。

「ちょうどいいな。ではウィロー君、裏口までお願いするよ」
「ええーまた僕ですかぁ?」

 あからさまに顔をしかめたウィローに嚙みついたのは先ほどまで大人しく記録係に徹していたパフィンだった。

「あら、そんなに嫌なら変わってあげるわ。ただしその代わりここの掃除を任せることになるけどね」

 滑らかな緑の床には血がべっとりとこびりついている。掃除しやすいように溝がついているとはいえ、気乗りする仕事でないことはたしかだろう。

「先生に任されられた仕事は放棄できないんで、パフィンさんに掃除は任せておきます。あー僕もしたかったんだけどなあ、掃除。残念だなあ」
「いいから早く行きなさい」

 パフィンが羽を逆立てて言い捨てる。黒猫はわざとらしく飛び上がって、足早に部屋を後にした。

「ではパフィン君。掃除を手伝ってもらえるかね?」
「もちろんです先生」

 パトロギは部屋の隅に置いてある管を取りに歩き出した。

 奇妙な依頼が舞いこんできたのはその翌日のことだった。

第二話以降はこちら。

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