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【短編小説】告夜鳥と癒し手

やわらかな心をくるむ毛布のようになれたのなら。
夜を告げる孔雀と、その心に寄り添う青年の話。
青年の話に出てくるもののモチーフはアンデルセンの「小夜啼鳥」です。

 開け放った出窓の両開き扉がカタカタと揺れた。外はすっかり夜の帳が下り、空には輝く星々が浮かぶ。

「ああ、そろそろか」

 青年は椅子から立ち上がり、窓辺へと近寄った。瞬間、風が吹き、大きな影が室内へと滑りこんだ。

「お疲れ様です。告夜鳥こくやちょうさま」

 青年はうやうやしく腰を折る。
 赤を基調とした豪奢な天蓋つき寝具の上には一羽の孔雀が座っていた。天鵞絨ビロードにも劣らない艶のある黒は夜の静寂を思わせ、流れる長い尾羽には星屑のような銀が散る。それは息をのむほど美しい光景であった。
 この孔雀はただの孔雀ではない。夜の訪いを知らせる鳥である。
 この国は二羽の鳥によって月日が回っている。朝を告げる鶏と夜をもたらす孔雀。それぞれ曙鳥あけぼのちょうと告夜鳥と呼ばれていた。
 孔雀はじいと青年を見つめたまま微動だにしない。長いまつ毛が震えて雫がほろりとこぼれた。

「告夜鳥さま、今日は本を読もうと思うのですが」

 青年は微笑を浮かべたまま寝具に腰掛けた。孔雀との距離はちょうど腕一本分ほど空いている。孔雀は無言のまま距離を詰め、肌と羽毛が触れ合う寸前で腰を下ろした。

「クッションはお使いになりますか?」

 寝台の上には手触りのよい上質なクッションがいくつも散らばっている。真紅の布地に金糸で細やかな装飾を縫いつけたそれらは、職人が丹精こめて作った逸品だ。全てこの鳥のために作られたものである。
 孔雀は静かに首を振った。

「そうですか。それではさっそく始めても?」

 孔雀が頷く。青年は手元にあった分厚い本を開き、ページをめくっていたが、やがてある章で手を止めた。

「今回のお話はですね、とある詩人が語ったと言われる物語です」

 この物語の舞台は遠い東の国。広大な領土を統べる大国でのお話です。
 その昔、その国の王様は絶大な権力を誇っておりました。望むものは何でも手に入れることができ、珍しい外国の工芸品も、舌がとろけてしまいそうな美食の数々も、手を叩けばその日のうちに国中の詩人を集めて歌詠みの会を開くこともできたのでした。
 そんな彼が気に入っているものの一つに一羽の小鳥がおりました。その小鳥は見目こそ地味でありましたが、歌声は実に素晴らしいものでした。
 小鳥が住んでいる場所は王様がもつ広大な庭の中にある林でした。林といっても、野山にあるような雑草ばかりの鬱蒼とした木立ではありません。腕利きの庭師によって整備された林は自然の趣を感じられながらも、野生のもの特有の見苦しい雑多さを無くし、歩きやすく整備しておりました。
 小鳥はいつも池のほとりで歌っていました。小柄な身体から奏でられる美しい旋律は多くの者を魅了し、風にのって流れてきた歌声をきいた通りすがりの人さえ思わず立ち止まって聞きほれるほどでした。
 美しい声音をもつ小鳥の噂はあっという間に王様の耳にも届き、王様は家臣たちに命じます。その小鳥を連れて来いと。
 連れてこられた小鳥は宝石で飾りたてられた止まり木に乗せられて、その歌声を披露しました。噂にたがわぬ神に愛された声は、その場にいる全ての人を魅了しました。
 もちろん、それは王様も例外ではありませんでした。王様はひと声きいただけで、その歌声に夢中になって常におそばにおいておくよう命じました。
 小鳥は昼夜問わず、天上の喜びもかくや、という声を響かせます。王様は金銀を散りばめた鳥かごの中に小鳥をいれていつも愛でていました。
 しかしある強欲な商人が一つ悪だくみを思いついたのです。どうにかしてあの小鳥の歌を再現できれば王様からたくさんのお金をふんだくれるのではないか、と。
 商人はときどき開かれている一般の人でも小鳥の声を聴くことができる鑑賞会に音楽家と腕利きの職人を連れていき、小鳥の声を完璧に再現するよう依頼しました。
 なんどもなんども失敗を繰り返し、音楽家にだめ出しされながら、ついに職人たちは作りあげました。天に愛された声を完璧に再現するからくり鳥を。
 しかも暗い茶色の小鳥とは対照的にからくりの鳥はきらびやかな羽でおめかししており、大層派手でした。みんな一瞬でそれに目を奪われてしまって小鳥のことなど頭から抜け落ちてしまいました。
 忘れさられてしまった小鳥は、突然かえりみられなくなった不幸に愚痴をこぼすでもなく、恨み言を連ねるでもなく、ただ今まで世話になったことの礼をいい、元のすみかへと帰っていきました。しかしからくり鳥に目を奪われた人々は小鳥がいなくなったことすら気づきませんでした。
 しばらくの間はからくりの小鳥がさえずりを高らかに響かせ、小鳥が去った後もいつもと変わらぬ日常が過ぎていきました。が、あるときからくり鳥が突然うんともすんとも言わなくなってしまいました。
 王様は慌てて商人を呼び出し、直すよう命じました。商人はすぐさま職人たちを呼び出して修理を頼みましたが、職人たちはあれこれ調べた後、悲しそうに首を振りました。音を鳴らすために必要な部品がすり減っていて、取りかえるしか手がないがそれを作れる職人は去年亡くなってしまった、と言うのです。
 商人は飛び上がって設計図は残っていないか、どうにか再現できないかと問い詰めましたが、欲張りな商人は他の商人たちがこぞって真似することを避けるため、先んじて設計図のたぐいを燃やしてしまったのです。
 職人たちは口の堅い者たちでしたから、彼らがいれば修理はどうとでもなると腹をくくっていたのですが、それが裏目にでる結果となってしまったのです。
 商人がどうしても直せないと王様に言うと、王様はとても嘆き悲しみました。失意のまま王様は商人を追い出してしまいました。手元に残ったのはむやみやたらに派手な置物だけです。
 しかし不幸はさらに続きます。宝物を失った王様はすっかり気落ちしてしまい、ついに病に倒れてしまいました。
 名高いお医者さまが何人も王様を診ましたが、心の傷は深く、ついぞ治すことができませんでした。そうこうしているうちに王様の上には常に黒い影が居座るようになりました。王様の命が果てるのを今か今かと待つ悪魔です。
 ある晩、悪魔はついに鋭い爪を首元に押し当てて言いました。今晩、お前の魂をもらっていくと。
 王様は助けを呼ぼうにも声が出ません。悪魔が胸を足でおさえているからです。悪魔が爪を振りかぶったそのときでした。
 朝焼けのような爽やかな歌声が夜を引き裂きました。王様も悪魔もはっと声の方向に顔を向けると、そこには一羽の小鳥が窓辺にちょこんと座っていました。
 歌声は恐ろしい死の手を遠ざけ、眩い太陽が差しこむまでずっと高らかに鳴り響いていました。
 気づけば悪魔はどこにもいませんでした。代わりにとっくに枯れてしまったと思っていた生きる力がわき水のようにあふれでてきます。
 王様は今までの行いを心の底から詫びました。小鳥は笑って言いました。わたしの歌をはじめてきいたとき、あなたさまは涙を流して喜んでくださった。それだけで十分です。ですから頭をあげてください。はじめから怒っても、恨んでもいないのですから。

「そうして元気を取り戻した王様は再び玉座に戻り、小鳥は時おり林から王様のもとにやってきて、その歌声で王様を癒しました、というお話です」

 青年は本を閉じて孔雀のほうに顔を向けた。

「いかかがでしたでしょうか」

 小首をかしげて孔雀は青年をみている。青年はそっと笑みをこぼした。

「なぜこのお話を選んだのか、という顔をしてらっしゃいますね。私が今回このお話を告夜鳥さまにお聞かせしようと思ったのは、このお話に出てくる小鳥が告夜鳥さまに似ていると思ったからなのですよ」

 孔雀はきょとんと目を瞬いた。理由を尋ねるかのように青年に顔を近づける。

「このお話に出てくる小鳥はとても深い慈愛の心をもっておりましょう。なぜなら忘れられても王様のもとにはせ参じてそのお命を救ったのですから。告夜鳥さまも同じです。この国に夜が訪れるのは告夜鳥さまのおかげですが、告夜鳥さまはそれを威張らず、常に謙虚な態度でいらっしゃる。そしてこの国の民たちを愛してらっしゃる。その美しい心がこのお話に通じると思ったのですよ」

 孔雀は青年の袖をつついて、ぬばたま色の瞳をうるませた。

「ああ、ご自分の仕事をまっとうできるのは私たちのおかげだとそうおっしゃりたいのですか」

 孔雀は何度も何度も首を縦に振った。青年は笑みを深めた。

「そのお気持ちはとても嬉しいですが、告夜鳥さまのお心を慰めるのは私たち癒し手の役目ですから」

 青年の役職は癒し手という。これはこの国特有の役職だ。仕事内容は主に告夜鳥の世話。特に精神面の支援を行っていた。
 夜は人を感傷に浸らせやすくさせるが、それに呼応するかのように告夜鳥は繊細な心をもっている。
 暗闇に怯える子どもたちの泣き声を耳にしては胸を痛め、悪夢にうなされる男を見かけては瞳をうるませ、夜のベールにくるまって密かに枕をぬらす女のことを思って羽を震わせる。
 しかし柔らかな心は人々の思いに共感するあまり千々に乱れ、そのまま放置してしまえば告夜鳥は空を飛ぶどころか、日がな一日泣き暮らしてしまう。そうなればこの国に夜は訪れない。常に元気がありあまっている鶏の空を駆け回る足音が、明るすぎる陽光と共に人々の安眠を妨げるだろう。
 そのためこの心優しい生き物が潰れてしまう前に重荷を取り除いてやる必要がある。それを行うのが癒し手だ。
 癒し手は青年の他にも数人いる。青年のように話をする者もいれば、歌を紡ぐ者、ただ無言で身体の手入れをする者など、とる方法は違えど、朝が訪れるまで告夜鳥の傍に寄り添うのは変わらない。
 青年はそっと羽を梳いた。ベルベットを思わせるそれはいつまでも触っていられるほど手触りが良い。

「告夜鳥さまはご自分にできることは微々たるものと思っておられるかもしれませんが、そのお力は計り知れないのですよ。そう、例えばその尾羽」

 青年は長く垂れる尾羽を指差した。絹よりも繊細で、どんな染料で染めた染物よりも深みのある黒地に散らばる銀紗。先端についた丸模様は光り輝く銀の粒も相まって満月と見間違えるほどだ。

「告夜鳥さまが羽を揺らせば、夜空に星が散って、空の色はぬけるような青からしっとりとした紺や黒へと変わっていきます。また、例えばそのお足」

 青年は、今度は孔雀の足を指差した。ほっそりとした印象を与える告夜鳥だが、よくよくみれば鱗のように固い皮膚で覆われた足はがっしりとしていて力強ささえある。

「たくましいそのお足で空を駆け抜ければ、にぎやかな昼は息をひそめて代わりに月が天に昇るのです。それからそのお声」

 青年の指が向けられたのは孔雀のすらりとした喉であった。光の反射によっては青みがかった黒にみえるそれは、昼と夜が入れ替わる空の境目色だった。

「ひと声でこの国の隅々まで響きわたるお声は、太陽に休む時間を知らせるとともに、この国の民たちに夜の訪れを知らせるのです。それから――」

 もういい、とでも言うかのように孔雀が体を押しつけてくる。体をゆするたびに優美な尾羽がしゃらりしゃらりと揺れた。

「おや、まだ私めは言い足りないのですが……。ああ、そうですか。わかりました。一度中断いたしましょう。これはまた別の機会に」

 青年はすべて本心から述べていたことであったし、特に恥ずべきことでもないのだが、告夜鳥がやめてほしいと訴えるのならば仕方がない。青年の目的は告夜鳥を照れさせることではないのだから。
 青年は告夜鳥の目を見据えた。厄除けとして親しまれる黒瑪瑙によく似た一対の瞳を。

「いいですか告夜鳥さま。あなたさまが求める理想像は常に高くありますので、己の至らなさを内省なさるのはよろしいですが、責めすぎるのもよくありません。
 あなたさまが毎日空をかけるからこそ、この国の民は仕事を切り上げて家族との団らんを楽しむことができるのです。あなたさまが夜を招いてくれるからこそ、この国の民は優しい夢の世界に旅立つことができるのです。
 すべてが昼になってしまいましたらどうなさいます? この国の民は眩い太陽に常に照らされておちおち身体を休めることもできますまい。
 私たちが敬愛している告夜鳥さまを、いくらご自身であるとはいえ、そうけなさないでください。私たちはあなたさまがいるからこそ夜を迎えられるのです」

 長いまつ毛がふるりと震えた。水の真珠がひと粒、ふた粒と転がり落ちていく。青年は小さく笑ってそれを拭った。

「告夜鳥さまのお心がとてもやわらかで民に寄り添っておられるのは皆も周知の通りでございます。これは誇ってもいいことでしょう。しかし夜に人が泣くのは決してあなたさまのせいではないのです。涙を流して人は前を向けるのです。ただ、多くの人は他人に涙をみせるのを厭います。そんなとき、全てを覆い隠してくれる黒の薄布はぴったりなのです。夜もそう悪いものではないのですよ」

 告夜鳥は青年の手にそっと頬を擦り寄せて静かに瞼を閉じた。


 夜空を切り裂くけたたましい鳴き声が東の端から飛んでくる。曙鳥が朝を告げる声だ。もう瞬きもしないうちに純白の羽が空を舞い、濃紺の帳を上げて、代わりに眩い陽光を差しこませることだろう。

「美しい朝日ですね、告夜鳥さま」

 目を細めて青年が呟くと、孔雀もこくりと頷いた。

「ですがこうして朝の光に感謝できるのも告夜鳥さまがいつも変わらず夜を告げるからなのですよ。どうかご自身のお力を過小に評価しないでください。あなたさまのおかげで」

 孔雀はじっと青年を見上げていたが、やがて頭を微かに上下に動かした。ふいに孔雀は立ち上がり、青年の反対側、ベッド端に積まれたクッションの山に飛び乗ると、身体を丸めて動かなくなった。

「おやすみなさい告夜鳥さま。よい夢を」

 青年はうやうやしく一礼をし、扉を閉めた。


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