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みんな幸せになってしまえばいい


嫉妬や羨望、怒りを通り越して心が疲労でいっぱいになると「もうみんな幸せになってしまえばいい」と考えを放棄する時がある。
憎むとか羨むとかを考えるのが面倒くさくなって、そんな事にとらわれている自分が嫌になるからだ。

最近、付き合う友達ほとんどに恋人がいたり、結婚を決めている。
自分の年齢的にそういう事が起きても不思議じゃないけれど、やっぱり少し寂しくなる。
友達との付き合いが長ければ長いほど、友達の恋人達へのやきもちが芽生え、友達に恋人が出来た事への嫉妬心が生まれた。
言いようの無い虚しさに苛まれ、時には涙する事もあった。

勿論付き合う相手にもよるが、恋人がいても埋められない虚しさや寂しさはある。
以前は何かしら相手に期待している節があって、そしてそれは無駄だという事を思い知る、というのを何度も繰り返していた。その度に「期待したわたしが馬鹿だった」と相手と自分に落胆する。
そんな時に、友達が恋人の惚気話や上手くいっている話を聞くと「どうしてわたしは上手くやれないんだろう」「ただのつまらない話を聞かされ、無駄な時間を過ごしてしまった」など、妬み嫉みで心が埋め尽くされコントロール出来なくなり、家に帰ると泣きじゃくった。
泣き疲れ、酸欠のぼーっとした頭で思うのは、冒頭の「もうみんな幸せになってしまえばいい」というものだ。
みんなが各々幸せを掴み取り、毎日愛する人と美味しい物を食べて、居心地の良い場所で円満に暮らせば良い。どうぞご勝手に、と行き着く。

そこから数ヶ月、色んな人に愚痴ったり1人になってからは泣いて発散しようとしたり、趣味で気を紛らわせようとしたり、とそんな日々を過ごしていた。
ただ、その時心掛けたのは、"悩むだけ悩んで、悲しむだけ悲しむ"という事で、心に蓋をして無理して楽しむより、悲しい気持ちを無視せずに湧き上がる感情に従順になるようにした。

するとある日、気付きを見つけた。
曇天から快晴になるような、目の前が明るくなる感覚がして「ああ!こうすれば良いんだ!」と解決策を見出した。
その解決策を実行していく内、自然と心が軽くなるのを感じ、妬みや嫉みは薄れていった。

今も嫉妬や歪んだ羨望が全く無くなった訳では無い。でも毎晩のように泣いたり、嫌な事をわざわざ考える時間は減った。
1番心地良いのは、他人に対して自分が少し無頓着になってきている、という点であった。
良い意味で"自分が1番主義"になれた事は、少し成長出来た気がする。
自分の機嫌は自分で取る、自分の親友になれるのは自分、自分を大事に出来るのは自分だけ、という事を強く感じた。

回り道をしたと思ったけれど、多分、時間をかけて、色んな人と話して、考えて考えて、考え抜いたからこそ、今わたしの心は、つやつやと潤いを取り戻している。きっと、そういう時間や思考が必要だったのだ。

多分、否、必ずこれから何度も「みんな幸せになってしまえばいい」と、自暴自棄になる時は来る。
でも、そんな自分を受け止められる自信がある。
回り道は必要だともう知っているし、その時は新しい回り道を探せば良いと思う。

#コラム #エッセイ #日記 #つらつら