営業と日本語教師2

営業の仕事も授業も、大切なのは話すことではない、と書いた。今回はその続き。

営業トークのスクリプトには、売りたい商品のことが事細かに書いてある。ある種の教案に、その日使う例文やその成分がびっしり書いてあるのと同じだ。
新人営業の頃は覚えさせられたのだが、どうもうまくいかない。話が有機的な感じがしないし、話しているのか流れを思い出しているのかだんだん分からなくなってきて、まるで汗のせいで脱ぐに脱げないTシャツと格闘しているような、奇妙なストレスになっていた。

うまくいくようになったのは、思い切ってスクリプトを捨ててからだった。実際よくよく売れたし、こちらも楽だった。何しろ、たくさん話さなくてもいい。省エネだ。

よく、営業は「商品を売るのではない」「ヒトを売るのだ」などと言われている。それはそれで、そのとおりだと思うのだが、ではどういうヒトが買ってもらえるのか。簡単にいうと、ツボを押さえている人だ。

商品にはいろんな側面がある。価格が安い、従来品と比べてこういう新機能がある、逆に、ちょっと高い、でも長持ちするなど、見つけようと思えば数十個はいけるだろう。
お客さんにそのすべてを説明しても無意味なことを知っているのが、売れる営業だ。こちらも疲れるし、お客さんも聞くのが疲れる。

それよりも、会話の中からお客さんのツボを探り、そこを押すのが近道だ。こちらにとっても、お客さんにとっても時間が無駄にならないし、断られ方も建設的になる。「良いと思うけど、即決はちょっとな……」とか「今ちょっと金がね……」となれば、それはタイミングの問題であって、売り込み方の問題ではないから良いのである。

逆に、ツボはあったが売りたい商品では押せなかった、と分かれば、その旨を正直に話して撤退する。すると、いつかまたツボと商品が合致したとき、買ってくれたりするのである。少なくとも、話は聞いてくれるお客さんになる。

なんて書いてきたが、言うのは簡単、やるのは難しい。新人研修でこんなことを言うと、ツボを探るために一問一答を始める新入社員がいたりして、「問診か!」と一緒になって笑ったものである。

ところで、ツボというのはニーズと似ているが、ちょっと違う。ニーズはないときはないというのが真実で、上司が定例会議で「ニーズは作り出すものだ」と檄を飛ばすのはただの詭弁である。
ニーズはタイミングに左右されるが、ツボはいつでもある。ツボというのは、別の言い方をすればワクワクするスイッチだ。人間なら、みんなワクワクするスイッチを持っている。

数千回の営業トークをした中で分かったのは、人は最終的にはニーズよりも気持ちに従って買う、ということだった。
本当にワクワクしたとき、人は経費の計算に関して大甘になるし、疑っているときは激辛になる。

ワクワクさせるために必要なのは何か。
スペックの正確な説明では全然ない。そんなものは後付けでいいし、詳しくはパンフを見てください、で良いくらいだ。
必要なのは、一緒に未来を想像することだ。しかも、ツボを押さえた未来の想像なら契約まではあと一歩だ。

授業も似たようなものだ、と常々感じる。
真面目な人ほど文型や語彙に対して正確であること、精密であることに固執するが(日本語教師なのだから当然なのだが)、それは日本語教師に必要な能力のほんの一部に過ぎない。

お客さんは「この商品があればこんなことができる!」とワクワクしたら、買う。
生徒は「この語彙、文型があればこんなことが言える!」とワクワクしたら、覚えるものだ。

スペックとかルールとか(日本語教育で言うなら語彙や文型の正確な使い方など)、そういう細かいことは、その先の話である。

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