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オタクが気付いた「自信」の本当の意味

「自信がある人」と聞くとどういう人を思い浮かべますか?

・人よりなにか秀でたものを持っている人?
・人に誇れる立派なことを成し遂げた人?
・なにか大きなことにチャレンジして成功した人?
・はたまた、常に「自分は出来る!」というオーラを纏った人?

そうだとしたら学生時代の私はお世辞にも「自信がある人」とは程遠い存在でした。

校内で抜きん出て顔が可愛いわけでもない。
体格も大きく、トイレの鏡で小柄な女子と並んだときはいつも劣等感で死にそうな気持ちになっていました。
それに加え、キラキラ女子とは縁遠い二次元オタク。
彼氏がいるでもなく、ましてや出来るはずもなく。
オタク友達と毎日飽きもせずアニメの話をしているだけ。
三次元の世界には目もくれず、来る日も来る日も絵を描いているような日々でした。
しかしそんな趣味の絵だって自分より上手い人が周りにごろごろいる。
そんな学生でした。
人よりなにか秀でているものなど特段持ち合わせていませんでした。

オタクである毎日はそれはそれは楽しかったですが、
それと同時に「二次元にしか興味がない自分」に強い絶望・焦燥・劣等感を感じながら過ごしていた毎日でもありました。

大好きで大嫌いだったオタク時代

その当時、高校生だった私がめちゃくちゃドハマリしていたものが週刊少年ジャンプで連載されていた漫画「銀魂」でした。

あの頃は生活の全てが銀魂一色でした。
朝はジャンプで銀魂を読んで、日中はずっと銀魂の絵を描いて、友達と延々銀魂の話をして、夜は銀魂のアニメを観て、とにかく銀魂銀魂銀魂尽くしの日々でした。
銀魂の全ては私だったし、私の全ては銀魂でした。

それくらいとにかく銀魂好きだった私ですが、「銀魂以外なにひとつ興味がない自分」をもう一人の冷静な自分が冷めた目で見続けていたことにも気付いていました。
要は自分で自分のことを心底引いていたんですよね。
銀魂は大好きだったけど銀魂を好きな自分は気持ち悪いと思っていたし、そんな自分に自信など到底持てるはずもありませんでした。

「これだけは自分を信じられる!」と思ったもの

高校3年生になったある日。
私は進路のことで悩むことが増え、気分が沈むことも多くなりました。
そんなときいつものように何気なく銀魂を読んでいたら、さすがは天下のギャグ漫画。
悩んでいたことも忘れるほどお腹がよじれるくらい笑っていたことがありました。
笑ったと同時に、こんなに塞ぎ込んでいた人間を一瞬で笑顔に出来る作品の凄さに今度は泣けてきて、わんわんと声を出して泣いてしまったんです。
(情緒不安定だろう?情緒不安定だったんだよ笑)

そのとき改めて「あぁやっぱり私、銀魂が大好きだ!!」って
心の底から思ったことを今でも鮮明に覚えています。

劣等感だらけだし、何も持ってないし、ましてやキモオタで人に自慢できるものなんて何もなかったけど、

「銀魂を好き」

これだけは胸を張って言える。
自分が「銀魂を好き」なことは「信じられる」と思いました。
銀魂を好きすぎる自分は気持ち悪い。皆みたいに外の世界に興味を持てない自分は気持ち悪い。そんな大嫌いで大嫌いでたまらなかった自分の中の土を掘り起こした先にあったものが「信じられる自分」だったのです。


「自信」の正体に気付いたのはこのときでした。

今まで「自信」の意味、履き違えてたんじゃないか?

「自信」とは自分を信じると書きます。
書いて字のごとくです。
「これならば自分のことを信じてあげられる」ものが自信なんだと思います。
そこに立派不立派は関係ないし、優劣も関係ありません。
問題なのは”できるできない”じゃなくて”信じてあげられるか否か”だけです。

もし「自信」という言葉の意味が「人よりなにか出来ること」「他者と比べてとても優秀なもの」なのだとしたら
きっと”じしん”の漢字は「自信」ではなく「出来」とかだったんじゃないかなと思っています。
でも「じしん」は「出来」ではなく「自信」と書きます。
漢字は正直です。

たとえば「あなたは朝起きたら歯を磨けますか?」という問いに、
「え?当たり前じゃん。普通に磨くでしょ」って思ったのなら
それは「毎朝歯をきちんと磨く自分を信じている」ことになるんです。
これだってひとつの自信。
人より虫歯が少ないとか歯磨きに時間をかけているとか丁寧に磨けているかとかそういうことは今重要ではないんです。
重要なのは「磨ける自分を信じられるか否か」だけ。

そう思ったら自分の中にある「自信」って案外たくさんあると思えてきませんか?

だから私は、人が「自信に思えることが何もない」と言っているのを耳にしたら「そんなことないよ><」なんて思う前に「あぁ~この人自信の意味履き違えてるなぁ。きっと漢字の読み方間違えてるんだな」と思います(笑)

だって「これだけは自分を信じられる」と思えることが何一つない人なんてそうそういないです。
そもそも「自信に思えることが何もない」と自分で自分を信じちゃってることが既に自信なんですよね。
ネガティブなことに関して自信満々なんですよ。それだって立派な自信です。

どういう自分を信じたいですか?

自己否定が得意な私も初めは「銀魂を好きなことだけが唯一の自信!」って
結局自分には他になにもないのか?やっぱりイタイ人間だな…とそれでも尚ネガティブが止まりませんでした。
でも15年以上経った今、「ひとつのものにこんなにも愛情を注げる力」って手に入れたくてもなかなか手に入れられる力じゃないんだということを痛感しています。

思い返せば昔、友人から「そんなにも夢中になれるものがあって羨ましい」と言われたことがありました。
彼氏もいて友達もたくさんいて、いかにもリア充という子に言われたので正直何が羨ましいのかさっぱり分かりませんでした。
むしろ人間関係を豊かに出来るあなたの方がよっぽど羨ましいよと思っていました。

でも今ならわかる。
「夢中になれるものがある」って強いです。
「愛情を注げるものがある」って強いです。それが何であれ。どんなものであれ。
それを探すのってとても難しい。そしてそんな自分を認めるのも難しい。

そこまで夢中になれるものに高校生のうちから出会えた私って実は幸せ者だったんだなと今なら思えます。
そして今では「好きなものを全力で愛せた実績がある自分」を信頼しています。
あれだけ銀魂を愛せたのなら今後出会うであろう様々な「自分の好きなもの・人」もきっと全力で愛せるんだろうと信じています。
なにせ気持ち悪いほどの実績がありますから!(笑)


昔はオタクくさくて恥ずかしくて惨めだと思ってた「自信」が、今となっては自分を支える大事な大事な柱の1本になっています。
今惨めで恥ずかしいと思う「自信」でも、これから先どういう花を咲かせるかなんてわからないものなんです。

それでは最後に質問です。
皆さんの「これだけは自分を信じられる!と思うものは何ですか?」

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