Splatoonは人生ゲームだった|悩む原因と楽しむコツ
Splatoonを長らく(2、3合わせて5600時間以上)プレイしてきて、
そしておっさんとして人生の経験を重ねるにつれて、辿り着いた発見がある。
Splatoonと人生で、「悩みの原因」と「楽しむコツ」が共通しているということ。
プレイヤーが悩む原因のほとんどが「他人との比較」であり、楽しむコツは「他人と比較しない」こと。
そして、私も含めSplatoonのプレイヤーは悩みの原因でもある「他人との比較」が大好きである。
他人を蹴落とすのは都合が良いと感じて、他人に蹴落とされたら都合が悪いと感じる。人間は勝手な生き物だ。
Splatoon以外の対戦ゲームや、スポーツ勉強など、あらゆる趣味を頑張ると、同じことが言えるような気がする。
強さとは
Splatoonはウデマエを競う対戦ゲームである。
「ゲームのウデマエ」をSplatoonではXPという相対評価の数値で表している。
だが、そんなものは表面的な強さなので、さほど重要な指標ではない。
「本当は弱い自分をさらけだすのが、とても怖い。」そんなちっぽけな理由で、心の弱い人間ほど、高いXPという鎧を装備したがる。
それは、現実社会でも全く同じ。心の弱い人間ほど、自分を認めてもらいたくて、高いスペックの鎧を装備したがる。
「芯(中身)」が強い人間はスペックも高いが、スペックが高い人だから心も強いかと言うと、そっちからの相関性はない。
僕も若い頃は、「頑張ってとにかく何かを成し遂げるのが人生の目的だ!」と思っていた。
つまり『このままじゃダメだ!』って自分を否定し、追い込んでいた。
友達や恋人に、泣いたり悩んだり格好悪い部分を見せて、素の自分を認めて貰える成功体験を重ねると『このままで良いんだ!』という人生訓を学んだ。
生きてく強さとは「ありのままを認めること」だ。
Splatoonにおける強さとは「負けを認める強さ」だ。
自分のプレイを否定する人間は弱いし、他人のプレイを否定する人間も弱い。
人生もSplatoonも、高いスペックの鎧を手に入れることが目的ではない。
「ありのままの自分を認める」と「ありのままの他人を認める」という、心の強さが試されている。
楽しさとは
Splatoonには様々なブキが用意されているが、
どのブキが「楽しい」と感じるかどうかは、自分の中に基準がある。
他人の「楽しいブキ」の基準は、参考程度にはなるけど、他人の基準はさっぱり理解できないモノがほとんどである。
しかし、「みんなが欲しがっているから、なんとなく自分も手に入れた方が良い気がする」
そんなあいまいな理由で、XPを手にするために、自分の基準で選らんだ「楽しいブキ」を捨ててしまう人も居る。
本当は「自分が楽しい」体験をする為に始めたゲームなのに、
気が付いたら「みんなが欲しがっている」XPを手に入れる為に、苦汁をなめながら頑張ってプレイしている。
そんな状態に陥りやすいのは、Splatoonプレイヤーならきっと誰もが理解できると思う。
そしてそれは、人生も同じ。
『みんなが頑張っているから、自分も頑張らなきゃ』
そんな理由で、他人を基準にしてしまい、自分の「エンジョイ」の基準がどんどん分からなくなって、自分を見失う。
冒頭でも書いたが、楽しむコツは「他人と比較しない」こと。
他人が楽しいと感じたモノが、自分が楽しいと感じるかどうかさっぱりアテにならないのだから。
無理して他人に合わせると、「自分が楽しい」基準を捨ててしまう。
何だかんだ叫んだって、自分のやりたい事をやるべき。
No.1を目指すのでなく、「オンリーワンの楽しさ」を追求する事だけに一生懸命になれば良い。
他人を意識すると楽しくなくなる理由
上手くなる=過去の自分が「出来なかった事が、出来るようになる」こと。
つまり、上手くなるには「出来ない事にチャレンジ」以外に方法がない。
しかし、人は「他人の失敗」を見るのが大好きな生き物である。
自分が蹴落とすのは罪悪感があるが、他人が勝手に落ちていくのを見ると、自己肯定感が上がったような気がする。
たとえばスキーが上手くなるには、何回も転んで滑るしかないが、
転んでいる(=上手くなろうと思って、頑張っている)自分を、他人と比較すると愚かだと感じてしまう。
つまり、他人の評価を意識すると、「転ばない」のが目的となり、ひたすら安全に滑るようになってしまう。
スキーの目的はそれではない。
時々転んでも良いから、スリルを味わいながら滑る方が楽しいし、難しいコースにチャレンジする方が、達成感や上達の喜びを感じられる。
他人と比較して上手くなりたい気持ちが強い人ほど、自分のミスばかり気にして、楽しくなくなる。
だから、楽しむコツは他人と比較しない事なのだ。
昨日まで出来なかったという事実が、今日も出来ないという理由にはならない。
甘い夢だと誰かがほざいたって、『今日の自分は出来るかもしれない』って、自分の可能性を信じてチャレンジするのが「強さ」であり、楽しさを広げる方法だ。
目的とは
僕にとって、幸せとは「自分が満足した状態。」
つまり、自己満足することが目的である。人生も、Splatoonも。
何の為に生まれて、何をして喜ぶか。自分のことなのによく分からないまま終わる。そんなのは嫌だ。
周りが何やら頑張っているから、焦って周りに合わせて頑張ると、「自分の基準」を忘れてしまう。
そうなったら、「頑張らなければならないハードル」が自分の中で上がり、頑張れない自分を否定して、満足度が下がる。
弱い自分を否定して、頑張って強い自分になろうとするより、
「弱い自分に誇りを持って、堂々と楽しむ」ことが大事だ。
「頑張らなければならないハードル」は低い方が、好ましい体験がしやすい。
Splatoonで数百試合こなしてXP3000まで行かないと満足できないより、5戦だけ計測して大満足できる方が絶対に良い。
どんな事にもメリット・デメリットがある
世の中には「頑張るメリット」ばかり注目し、「頑張るデメリット」には全く目をくれない人が多い。
頑張ることもたしかに大事なんだけど、それ以上に、自分の心の声を聴いて「頑張りすぎないこと」が大事。
Splatoonプレイヤーは盲目的に頑張るメリットばかり信じる、「頑張りすぎ屋」がとても多い印象がある。
頑張りすぎ屋を続けていると、デメリットが蓄積され、いつかどこかで燃え尽きてしまう。
自分の人生だもの。誰になんといわれようが、日々マイペースで歩いてく。
他人が勝手なことをほざいてても、自分の歩みを止めない。
頑張ることと、頑張らないことが大事。
頑張らない自分も誉めろ
僕は、『悔しい』と感じるとその人を見返す為に、頑張りすぎてしまう性格。
若い頃にゲームを頑張っていた努力の原動力は「見返したい」という、コケにしてきた奴らへの復讐みたいな負のエネルギーだったけど、
それで学んだことは、「人を見返す」というのは、視点が自分でなく他人である。
だから、それが成功しても動くのは他人の感情なので、自分自身には何の変化も起こらない。
なので、20回目の成人式を迎えたいまは『よく、頑張らなかったな!』と頑張らない自分を誉めながらSplatoonをプレイしている。
僕なんて1000時間プレイしてなお、初心者扱いされることもあった。
(むしろ5600時間プレイした現在でさえ、初心者扱いされることもある。)
人を見返す為に頑張って、努力で得る経験も無駄ではないのだけれど、99%くらいは基本的に時間とエネルギーの無駄遣いだ。
人を見返すために努力をするのでなく、自分を好きになるための努力。
つまり、頑張っている自分と、頑張っていない自分を誉めるのが大事。
他人の期待に応えようとする自分を捨てて、鏡に映っている素顔を誉めろってダウンタウンの浜ちゃんが言ってた。
価値とは
SplatoonでXPの価値がどうたらとか話題になっているが、
本人の自己肯定感の高さを高める「価値」と、周りから尊敬される「価値」の評価基準は全く別である。
『俺様は、偉い人間である。』と自己肯定感が高すぎる人間を、XPが高いという理由だけで尊敬できる人は、極めて少ないだろう。
どれだけ偉大な実績を残しても「人間性」が備わっていないと、人として尊敬されることはなく、むしろ「残念な人」として扱われる。
野球で世界一ヒットを打ったギネス記録を持つ、イチローがこんな事を言っている。
(この10分の動画はぜひ見て欲しい。)
つまり「コレを手にしたから自分は、人としての価値が高くなった!」
そう思ってしまったら、それを手にした自分の価値はマイナスになる。
「俺はXPが高いから、偉い」と思って心のない誹謗中傷をしている奴らは、界隈に悪影響を与える存在価値の低いプレイヤーだ。
僕も若い頃は「人に認められたい」「自分の存在意義を証明したい」という理由でバーチャファイターに打ち込んでいたが、
それで学んだことは、結果でしか評価出来ない人に認められても、大した価値はない。
(僕自身は、結果が伴わなかったけどw)
幸いにも結果が振るわなかったおかげで、「結果が出なくても、努力を認めてくれる人」と繋がれて、その嬉しさやありがたさ、恩を受けた経験は人生で役に立っている。
20年経った今でも、繋がっている人もいる。
だから、月並みな言葉だけれど、価値があるのは結果ではなく、努力の過程で得た経験だと思っている。
イチローの動画の内容も踏まえて、まとめると
自己肯定感高い人は、自分との繋がりが良いだけで、決して他人との繋がりが良い状態とは言えない。
努力している人は魅力的に感じるので、支えてくれる人や認めてくれる人との繋がりが生まれやすく、それがヒトの人生を豊かにする。
豊さとは
ここまで書いても、「年収やルックス、XPなど、自分よりスペックが高い人を羨ましく感じる。」のは、100人中100人がそうだろう。
では、『始めたばかりの初心者より、XPが高い上級者の方が、楽しくプレイしている。』YESかNOか?
と聞かれたら、これはNOの方が多いだろう。
「楽しい」を基準にした場合、スペックは最低条件であるだろうけど、それが全てではないはずだ。
日本は資本主義なので、「資本(スペック)が高ければ高いほど良い」というシステムで社会が成り立っている。
消費者としては、資本(お金)があればあるほど良いんだけれど、
そのシステムを支える労働者側の立場だと、「お金はちょっと余裕があれば良い」くらいで、職場の人間関係とか休みの取りやすさの方が大事。
もっと言えば、都会は便利で田舎は不便って言うけど、消費者ファーストか労働者ファーストかってだけな気がする。
消費者にとっては24時間開いている方が便利だけど、労働者にとったら長時間働かなきゃ仕事が成り立たないシステムは、生産性が低くてやりがいを感じにくい。
福岡には19時に閉まる居酒屋がある。仕事が終わって飲みに行く消費者にとっては不便である。
その店で働いている従業員はめっちゃお酒に詳しく、お酒大好き。
だから、売り上げの多さより閉店後に飲みに行ける環境の方が絶対に楽しそうって思うんだよね。
Splatoonプレイヤーは労働者と同じく、「やりがい」が大事。
残業みたいに「ストレス爆増させてまで、XPを多く貰う方が良い」とは言えないだろう。
XPはちょっと余裕があればそれで十分。人間関係とか他の趣味の時間の取りやすさとか、自分の環境を豊かにするのが本来の目的。
エネルギーがあり余っている学生はともかく、社会人は『休みの日くらい、のんびりしたいなぁ』って、きっと誰もが思っているはず。
昼間っからお酒飲みながら、のんびりスプラトゥーンをやる。
それは僕にとって、最高XP更新より好ましい体験だ。
つまり、スペックは豊かさの一部であり、全てではない。
まとめると、人生もスプラトゥーンも、
他人との比較して羨ましいと思うのではなくて、自分の基準の楽しさを追求し、豊かな生活を送るべき。
資本主義が何のこっちゃか分からん学生は、簿記を勉強したら資本主義の仕組みが理解出来る。
XP至上主義でXPが評価されるのと同様に、
資本主義の日本で、簿記は「周りに評価されるNo.1の資格」なので、XPの更新とともに学んでみるのはイカがだろうか。
終わりに
このnoteは、紹介したイチローの動画と、ケツメイシの「心の声」と「オレの道オマエの道」という曲を基に書きました。
最後まで読んでくれた方には、きっと刺さると思うから、ちょっとマイナーな曲だけど聴いてみて。
歌詞は心の声の方が好きだけど、曲はオレの道〜の方が好き。
他にも、何曲かフレーズをパクッてるけど。(近い世代なら絶対に分かるw)
正直、この2年間はひたすら自分との戦いだった。
僕はわりと怒らない人間だと思っていたけど、Splatoon3は配信の視聴でさえイライラする。
(その原因がまさかの「音」だったのだけど)
音が原因と分かるまでの2年間、
この「怒」の感情の根元は何なのだろとずっと葛藤し、自分が知らない自分が居て、モヤモヤした霧の中を彷徨ってた。
試合の勝ち負け関係なく、僕は音でストレスを感じていて、苦しい中で楽しむ工夫をイカにするか悩み、
ストレスの原因を減らすために、自分とひたすら向き合って学んだことを今回はまとめました。
あとは、前にも紹介したこの記事に、めちゃくちゃ影響されて書きました。
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